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先生は、永遠に広宣流布の指揮をとる

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年10月 1日(水)22時03分20秒
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    何度も触れてますが、大事なポイントです。

  池田先生は80歳までに世界広宣流布の基盤を完成し、
  このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する。
  との宣言どおりに身を引かれました。

   今、先生が望まれているのは、いかに末法万年まで創価学会を永遠に存続させ、
   繁栄させるのかです。その後事を弟子に託したのです。

  今、先生は本物の弟子の力量を見極めようとされています。

  先生は、宗門に打ち勝った、
2001年5月3日を迎えた後、
  いよいよ学会内に巣食う悪との闘いを開始されています。

  その最大の戦いが、矢野への追撃でした。
  矢野と繋がっていた学会幹部の悪をあぶりだされようとした。

  先生は自ら、私自身が直接闘ってもよいのだかと言われ、
   青年部の2名を矢野追撃に指名され細々とした指示を与えました。

  その2名のうちの1人、弓谷男子部長は例の件で撃沈。

  様々な妨害があり、谷川は
利害関係から悪を暴かれたくない側につきました。

秋谷、浅見は元々葬儀屋を追放したい立場。
  谷川、佐藤は葬儀屋に囲われていた。お互いを利用しあう関係。

この悪を暴かれたくない連中、
秋谷、八尋、矢野

会長になりたい谷川
一蓮托生の佐藤、丹治

この大連立が今の動きです。

  会長に成りたい自らの欲望から
悪に食い破られていった谷川ら。

一蓮托生の佐藤と葬儀屋とのつながり。
  浅見追放、諸々の謀略は、自分が会長になるための布石でした。

  天魔に食い破られた、師子身中の虫の有様ではないかと思います。

  矢野追撃は結局できずに和解に終わりました。

一連の不祥事や謀略に隠された悪の本質を暴き出す。
  そして悪を追放しないと、
天魔に食い破られた学会になることを恐れます。

  公正な会の運営、清浄な信仰の組織を取り戻すには、悪を追放するしかない。そう考えます。

  まずは悪を取り除くことです。
破邪が咲きです。

  会長の要件は公平、公正な人です。皆の意見をよく聴く方。
これは先生のご指導から明確です。

  さらに、その前提として、組織の情報公開のあり方が問われます。
   会員が何も知らないから、隠蔽しようとする。
   情報のコントロールは独裁につながります。
  それは、歴史上からも明らか。

  まして、宗教団体は閉鎖性に陥りがちです。
  世界宗教ならば、当たり前です。反人権的なあり方は許されません。

  最終的に、どのようなあり方がよいかは衆知を集めて決めていく方法が望ましい。

  組織運営のあり方は
個人的な見解の部分もありますが、
  今の意見を言えない独裁体制は道理からも根本的におかしいです。

  教学部レポートはそうした悪をあぶりだしたレポートです。

  表面上は教義問題から論じていますが、教義内容が一番の問題ではありません。

  先生の構想からどうあるべきか。を考えるべきです。

下記は以前に先生が発表されたものです。どのような思いでおられるか。
それを知ろとしなければ、答えは出ないのではないか。そう思います。
….……………………………………………

かつて、30歳の誕生日を約一ヶ月後に控えた、懐かしき日記に、私は、こう記していた。

「先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る」

病弱のため、医師から、30歳まで生きられないだろうと言われたわが生命。

戸田先生はそんな私を誰よりも心配され、厳愛の指導を続けてくださった。

激しき法戦の明け暮れ。病に苦しみ、疲労困憊した私に、先生は言われた。

「三障四魔との戦いだ。泣いて、御本尊にぶつかれ。そして、すべてを打開せよ」

「いつ臨終になっても、悠然と、従容(しょうよう)たる人生であれ、信心であれ」

生命を貫く、厳父の声。

また、ある時は、「私の命をやろう! 生きぬけ、私に代わって、断じて生き抜け!」とも。

師に生命を吹き込まれ、病魔の宿命に打ち勝ち、迎える30歳。その感慨を胸に、10年ごとの人生の来し方と未来の指標を、日記につづっている。

10歳まで …… 平凡な漁師(海苔製造業)の少年時代

20歳まで …… 自我の目覚め、病魔との闘い

30歳まで …… 仏法の研鑚と実践。病魔の打破への闘い

40歳まで …… 教学の完成と実践の完成

50歳まで …… 社会への宣言

60歳 …… 日本の広布の基盤完成

しかし、日記には、60歳から先のことは、触れていない。それ以上、生きぬけるとは、とうてい、考えられなかったからである。

私が体調を崩し、検査入院したのも、恩師の逝去の年齢58歳が、目前の晩秋であった。

先生がご存命ならば、間もなく98歳。先生の命を分けていただいての、わが「更賜寿命」の七十星霜なりと、しみじみ思う。

かのユゴーは、70歳で小説『九十三年』の制作に着手。またトルストイは、70歳の頃、名作『復活』の執筆に没頭した。

牧口先生は、70歳になられてすぐ、機関紙『価値創造』を創刊。新しき言論戦の火蓋(ひぶた)を切られた。

法悟空も、『新・人間革命』第8巻の執筆に余念がない。間もなく、連載も再開となる。

ここに、60歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如くなる哉(かな)。

70歳まで …… 新しき人間主義の哲理を確立

80歳まで …… 世界広布の基盤完成なる哉

このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する。
 
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