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ここで出たURLにある、他掲示板の教学レポートを一通り目を通しました。
いや~衝撃を通り越して呆れましたよ。
先生の側で戦ったであろうに、『信心』をロクにわかってない様子がよくわかります。
信心をちゃんと体感的に理解してる者とわからない者とでのトラブル、そう感じました。
それと同時に、なぜ僕自身が『冬眠』をすることになったのかも理解してしまいました。
肝心な『信じるもの』『信じる一念』が体感的にわからないのだから信心をしようにもやりようが無かったんです。それが長年で苦悩と苦痛、さらに活動の強要からついにいったん離れて『自習』が必要、という経緯だったけれど。
先生の側で戦うような人でさえ信心がわからないものを、地区辺りでは僕にちゃんと理解できるよう話せる道理など無かったのですね。けっこうあちこち流転したけど、見事に誰1人として納得できるよう話せる人はいなかったです。
そして、今現在この掲示板でなされてるもの。
これはひとえに『信心』を体感的にしっかり理解してる者とまるで知らない者とのトラブルの最中で話が進んでます。
それで、読み終わって感じたことですが。
これが表沙汰にならず実際に行われていたならまず間違いなくマスコミを喜ばせることになっていたことでしょう。それこそ宗門事件の比ではないでしょうね。
そしておそらく信心をちゃんと理解してる陣営と信心利用してる陣営とで別れる事になったでしょう。その後は学会と宗門のように、信心利用してる陣営は衰退しながら主流的立場を失い、徐々に信心をちゃんと理解してる側が再び主流となって再建という流れかなぁと。
以前に河内さんが宗門と構図が同じ、という趣旨のものが述べられてましたが、僕もそう感じます。真面目に信仰しようとしてて単純にわからないだけ、という右も左もわからない『信心初心者』ならあえて擁護して和合を図るべきでしょうが、ただ信心利用・組織利用だけなら『除名』しかないでしょう。先生でさえ信心につける事ができなかったものを、もはや誰にも不能でしょう。だからとてこのままズルズルとやっていたのでは、引きずるほど末端は『いい迷惑』なだけです。提婆達多のようにいったん地獄をみて『発心』して頂く以外にはないですよ。
やり過ぎた以上、しっかり『自己責任』を取らせ、時間がもったいないからさっさと地獄を見させるのがかえって『慈悲』というもんです。その問題の幹部をも含めた全学会員のために。
さて、やっとソースを見ることができて話題に参加できそうな感触です。
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