2015-05-22

クローゼットについて

かつてこんなにも私のクローゼットが素晴らしかったことはないと思った。

ここ2年間服装について私は試行錯誤を重ねた。

普通女の子だったら10代後半くらいにくるのかも知れないそのビッグウエーブは、20代後半の私に訪れた。

それまで自分の服装というもの社会生活を送る上での必要最低限を満たすものしかなかった。

オシャレをしようとかお化粧をしようとか積極的に考えたことはなかった。

もともとそれほど自分容姿に自信があるほうではなく、所得賃金も低く、オタクだったり非常に忙しい仕事をしたり、

とにかくオシャレをしない理由は数え切れないほどあった。

きっかけはそのときの同僚の男の人に「もっと薄い色のほうがモテる」と言われたことだと思う。

それまでの私であればきっとそんな言葉無視してたであろう。だがなぜかすとんときしまった。たぶん、所得が大幅に改善したこともあるだろう。

私は次の日から服を買いに銀座新宿に出かけ始めた。はじめのうちは何を買っていいかもわからず、失敗したり、着まわしのきかない服を買ったりして困ったりした。

それまで黒や濃い茶色、ネイビーをベースにしていて、薄い色の洋服なんてそれまで着たことがなかったので、はじめのうちはワンピースしか買えなかった。

そのほかにも雑誌を読んだりお化粧を覚えたり、アクセサリーをつけたりダイエットしたりした。

私はオシャレではないくせに人一倍こだわりが強く、どんなに勧められても自分がこれと思うものしか買わないという頑固な性格をしていたので、

自分の好きなもので、似合うといわれる形の服を買う、ということを繰り返した。

それほど毎日ほめられるというわけでもないし、自分ではまだまだ修行が足りないと思っている(なにせまだ服の数はとても多い)が、

それでも今日クローゼットを見て、「なんて着たい服でいっぱいなんだろう」と思った。

どんなTPOにも対応できて、自分が素敵に見えて、朝悩まなくてもいいクローゼットになった。

二年前までの私は、着たい服を着ていたわけではなかった。

なにもかも仕方なく着ていたのだ、と気がついた。

そんな消極的人生を送ってきたのだ、と。

今は服を買うのが楽しくなった。これを着たら楽しいだろうな、素敵だろうな、とわかるようになったからだ。

だがもちろんオタクオタクだし、やりたいこともたくさんあるし、今はもう服は買わなくてもいい。

もう少し服を減らして、それから考えてもいいんじゃないかという余裕ができた。

それから着たい服がたくさんになったので、もう数週間先までやってみたいコーディネートが埋まっている。

そうすればもう夏だ。夏には夏の服が必要だ。

わいせつ物陳列罪でつかまらないために、服は日常生活では欠かせない。

だけれども、自分で素敵だと思える服を着ることは、素敵であることを選択している。

自分が素敵であるということは、相手と自分に敬意を払うことだ。

そして自分に対して敬意を払うということがきっと自信なのだろうと、私は考えている。

そして自信のある人間けが、人に敬意を要求できるのだ。

はいつも私に自信をくれる。

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