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  • 松井孝治

あな怖ろしや、党首討論

 先日の党首討論で、安倍首相がポツダム宣言の内容についてまだ詳らかに読んでいないという発言を行ったことが話題となっている。戦後レジームからの脱却を唱えている安倍首相が、戦後レジームの原点とも言うべきポツダム宣言もきちんと読んでいなかったのかという批判がネット上で渦巻いているのだ。

 私が偶々ラジオでこの党首討論を聴いていた印象で申し上げると、安倍首相がポツダム宣言を読んでいなかったというよりは、国会討論の中でも、党首討論の特殊性、すなわち、他の質疑とは異なり、党首討論では、討論議題の事前通告を極めて簡潔にしか行わなくてよいという慣行が、結果的に、安倍首相の表面上はちょっとした失言、しかし野党からすれば安倍首相の根幹をなす政治信条についての疑義を生ぜしめる発言を引きだしたように思えるのである。

 通常の予算委員会などの質疑の場合、内閣総務官室(旧内閣参事官室)という政府内の部署が、質疑の前日に、それなりに丁寧に、質疑者への「質問取り」(質問者が総理に何を質問するかのインタビュー)を行う。国会で、かみ合った質疑を行うためには、ある程度どのような事柄をただすのかを事前通告し、首相や閣僚は事実関係や従来の政府の姿勢を確認したうえで答弁することが国会の慣行となっているのだ。
 つまり、質問通告があまりに粗いと、総理や閣僚は、具体的に質問通告を受けていないので、ここで突然そのようなことを訊かれてもお答えできません、という答弁となり、質疑が空転してしまう。国会の慣行としては、政府側の、ある程度事前に質問の趣旨を知らされた上で、その内容にきちんと回答を準備して答えさせていただきたい、さもなければ、答弁のしようがないという言い分が理解され、許容されてきたのだ。このことは、政権交代の前後を通じて政府が一貫して主張し、その時々の野党側も一定程度その主張に理解を示してきた慣行である。

 無論そうした慣行を無視して無通告で細かいことを訊く議員はいる。
あえて事前通告せずに、総理なのにこんな基本的なことも知らないのか、と恥をかかせる、国会論戦とクイズをはき違えた、けたぐりのような質問をする人物も少なからず存在するが、私は、基本的にはそういう質問は王道を外れていると思う。
一国の総理の無知を嗤うという態度は議会人として個人的には好きになれない。

 そこで気になるのが、先日の党首討論で、志位氏がポツダム宣言に絡めて安倍首相の歴史観、戦争観を訊いた質問について、果たして事前通告はなされていたのだろうか?という点である。  
 私の推測では、このあたりが志位氏の質疑の巧みなところなのだが、戦後レジームからの脱却を唱える総理としては、戦後レジームの起点であるポツダム宣言について、「突然通告なしに訊かれてもお答えできない」という常套句は使いにくいことを承知の上で、志位氏は、恐らくあえて事前通告なしに、ポツダム宣言の連合国側の認識に重ねて総理の戦争観を訊ねたのではないかと思うのだ。

 志位氏は、先ず、村山談話の「遠くない過去の一時期我が国は、国策を誤り」という歴史認識を踏まえて、安倍首相に、先の戦争が間違った戦争であったかどうかについての戦争観を訊ねている。その際志位氏は、安倍首相が万が一にもかの戦争を間違った戦争と断罪するような答弁は行わないであろうことは充分に見越したていたのだと思う。

 そのうえで、志位氏は、二の矢として、ポツダム宣言やポツダム宣言が引用するカイロ宣言で示された戦争認識、すなわち我が国が仕掛けた戦争は世界征服を企図する侵略戦争であるとの連合国側の戦争観を首相が認めるかどうか、認めなければ、ポツダム宣言を受諾したこととの矛盾を突くとともに、安倍首相は歴史修正主義者であるというレッテルを貼ろうとしたのだろうと思う。

 その際、先ほど申し上げたように、首相がもっとも根幹的な政治信条とする「戦後レジームからの脱却」の「戦後レジーム」の起点に当たるポツダム宣言における連合国側の認識を訊かれた時に、「ポツダム宣言」に関して訊くなどという事前通告もない質問には答えられぬとは、よもや言えないだろう、と志位氏は踏んでいたに違いない。しかもこの場は、事前に事務的な質問取りなどを行わず、政治家同士がその政治信条を闘わせる天下の党首討論であればこそなおさらそうである。
 したがって、安倍首相は、その場で、ポツダム宣言の戦争観と自らの歴史観を重ねることは避けるであろう、さすれば、安倍首相に修正主義者の呼称を用いることが出来、7分間という短い討論時間で有効な打撃を与えることが出来るという計算ずくの質問なのだ。

 現実には、しかし、通告外のこの質問は、さらに志位氏も思ってもいない方向に展開したのではないかと、私は思う。安倍首相が、ポツダム宣言の一部についてまだ読んでいないので論評を避けたいとの発言をしたからである。

 私は、安倍首相がポツダム宣言をこれまで読んでいないなどとは思わない。思わないが、事前に準備なく、ポツダム宣言第6項及び第8項にはどのような記述があるとまでを首相が諳んじているとも思わない。
 事前通告なしで、手許にポツダム宣言についての参考資料もなく、もちろんその予習をしたわけでもない、いわば徒手空拳の安倍首相を前に、志位氏は一方的にポツダム宣言の第6項及び第8項、さらにはそこに引用されているカイロ宣言の文面を読み上げ、連合国側の日本が引き起こした戦争は世界征服を企てた侵略戦争との戦争観を受け入れないのかと首相に詰め寄る。
 ここで、安倍首相がポツダム宣言は受諾したけれども、ポツダム宣言に規定する連合国側の戦争観をすべて共有するわけではないと安倍首相が答弁すれば、志位氏に言わせれば、安倍首相が歴史修正主義者である言質をとったということになったのであろう。 しかし、安倍首相は、さすが在任期間歴代6位のベテランであり、そう正面から志位氏の思惑には乗らない。

 ところが、徒手空拳で、連合国側の戦争観と引き比べて自らの戦争観を問われた安倍首相は、志位氏が読み上げたポツダム宣言第6項、第8項(及び第8項が引用するカイロ宣言の趣旨)が正確な文面であるかどうかも定かではないし、討論上の何らかのトラップ(罠)が仕込まれている可能性も怖れたのではないだろうか、「ポツダム宣言のその部分を、まだ詳らかに読んでおりませんので、承知をしませんので、いまここで論評は避けたい」という留保を付けたのである。
 安倍首相の問題は、「まだ」「読んでおりません」という表現を用いたことである。これはいささか用語が不適切だった。
 「ポツダム宣言本文は日本国が受諾した文章であるけれど、その文言の一言一句までの詳細は、今突然のお訊ねであり手許にもないので承知しておりませんから、今ここで直ちにそれに対して論評することは避けたいと考えます」と答弁されていたとしたら何の問題もなかった答弁である。

 結果として、安倍首相としては、かの戦争の「侵略性」については言及しないという規定路線は堅持したし、我が国が受諾したポツダム宣言における連合国側の戦争観と自らの戦争観の差異についてもかわすことができたものの、上記のように、「ポツダム宣言のその部分をまだ詳らかに読んでいない」という、本来は確たる論評を避けるための留保発言が、微妙な用語選択ミスを逆手に取られて、志位氏によって「ポツダム宣言も読まずに戦後レジーム脱却を謳う首相」「そこまでしても戦争の誤謬を認めない修正主義者」とのレッテル貼りをされてしまった。まさに志位氏の術数にはまり、あたかも「王手飛車取り」に遭った如き感がある。
 「飛車取り」と言ったが、ポツダム宣言の中核文面を「まだ」「読んでいない」指導者が、戦後レジームの見直しを主唱しているというプロパガンダの方が、歴史修正主義者の呼称よりも、安倍首相の人格批判として、野党の効果的な攻撃材料となる可能性すらある。
 その意味で志位氏は、このところ国会答弁に安定感の出てきていた安倍首相の咄嗟の用語選択ミスを誘い出し、野党党首最短の7分半の討論時間で、野党の中でもっとも効果的な攻撃成果を挙げたのかもしれない。

 実を言うと、私が約20年前に官僚として官邸に勤務していた時、首相の国会での質問取りも重要業務のひとつであった。その時に、圧倒的に「王手飛車取り」的な質問を繰り出した手練れが志位氏であった。私のひそかな楽しみは、その志位氏の質問の(隠された)狙いを、「質問取り」で焙り出せるかにあった。
 何度か、志位氏の質問取りで、「先生、質問2と質問3の間に実は別の質問があるのではないですか」「この質問に総理が答えた場合、そのあとに総理の質問の矛盾点を別の角度から追及なさるのではありませんか」などと、食い下がるようなやりとりをしているうちに、志位氏から、君はどこの役所から参事官室(内閣)に来てるのかとか、出身地はどこかと訊かれるようになった。そして、ある時、何と「選挙に出てみる気はないか」と訊ねられた。私は元来思想的には保守の人間なのだし、共産党の強い京都で生まれ育って共産党へのアレルギーが強かったので、ご冗談をと笑い、実際冗談とばかり思っていたのだが、初当選して、議事堂で出会って挨拶すると、残念そうに、いや、とられてしまったな、と氏は笑顔で呟き、冗談であるにせよこの人のこの記憶力は、と驚くとともに、或いはあの時の発言は半ば本気だったのだろうか、などと戸惑ったものだった。

 ちなみに、党首討論は一般の国会の質疑と異なり、討論であって質疑でないということもあり、お互いに細かい通告を要しないという慣行になっている。その点を逆手にとって「討論」でなく王手飛車取りの「質疑」に持ち込んだ志位氏の技巧が、他の二人の野党党首を圧倒していたことは認めぬ訳にはいかない。

 共産主義者であるという違和感をおけば、氏の国会論戦、端倪すべからざるものである。と同時に、総理の咄嗟の一言の選択が、極めて効果的なレッテル貼りの対象にもなる。
 あな怖ろしや党首討論、である。

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