2011年 10月 16日
世界史 萌える女武将30選 |
少し前に女性武将特集を行いましたが、今回は、少し毛色の違う女性武将特集。
萌える女性武将特集です。
若くて美しいと記録されている、あるいはそう推測される、女性武将を世界史からかき集めてみました。
とはいえ「若い」をあんまり厳しく認定しすぎると、取り上げれる人物が減って、ビッグネームが幾人か落ちてしまってもったいない。
かといって範囲を広げるのも限度というものがあり、どの程度まで許されるのか悩ましい限りなんですが、
なんか最近、39歳(+ごにょごにょ)な伯母を猛プッシュしてるとしか思えないラノベとかありましたので、
それを参考に、萌え文化圏でも美人なら30代は守備範囲内と判断し、「若い」は30代以下とさせていただきます。女は29歳までと明言していたランスさえ30歳にOKを出す時代ですから、別にこれで問題無いよね。
そういうわけですので。
ここで言う
萌える女武将は
30代までに活躍した美女・美少女武将
となります。
一部全く年齢どころか年頃も不明な人がいますが、その辺の人は、特例でセーフということで。今より人間が早く老けたであろう時代に美しいとされているのだから、それなりに若くして活躍してるでしょうし。
なお、画像は生存期間やそれに近い時代の絵や写真が見つかったもののみ掲載しています。必ずしも萌える画像ではありませんので、萌えない場合は脳内フォトショップで加工して下さい。
なお【】で名前を囲んだのは拙著『世界各国女傑列伝』の本文で取り上げた人物、“”で囲んだのは同書のコラムで取り上げた人物です。より詳しくはそちらをご参照下さい。
Amazon :『世界各国女傑列伝』
楽天ブックス:『世界各国女傑列伝』
当ブログ内紹介記事
世界史 萌える女武将30選
“アルヴィルダ”[5世紀 スウェーデン]
女バイキング。男装して戦に乗り出したところ、美貌の故に首領を無くした海賊団の頭目に選ばれ、暴れ回った女。非実在説あり。
【イェネンガ】[12世紀 ブルキナファソ]
ブルキナファソに栄えたモシ人の王女。開いた傘や天まで幹をのばすヤシに喩えられる美貌の持ち主で、戦士としては雌獅子に喩えられた。14歳から王国の遠征に活躍。非実在説あり。
“王聡児(斉王氏)”[18世紀 中国]
襄陽白蓮教指導者の妻。元旅芸人。夫の刑死後、反乱を起こしたが、2年後、22歳の若さで戦死。妖しい美女であったとされる。
【オリガ】[10世紀 ウクライナ]
キエフ公妃。945年に夫イーゴリが死ぬと、摂政となり幼い息子に代わって政務を取り仕切った。ちなみに息子は964年に成年に達した。オリガの生年を890年頃とする伝承もあるが、これらの年号からして、どう考えても無茶である。957年のコンスタンチノープル訪問時の彼女について年代記は美しかったと記しているそうである。以上を考え合わせると945年時点でせいぜい20代半ばであろう。946年、大軍を率いて、夫を殺害したドレブリャーニン人の首都イスコロステニを壊滅させた。
“甲斐姫”[16世紀 日本]
武蔵の国の忍城の城主の娘。美貌と才能で知られたが、19歳の時に城を空ける父に守りを任され、石田三成らが率いる大軍を相手に活躍した。
【ショテ・ガリカ】[20世紀 コソボ]
コソボの愛国者。外国人支配からのコソボ解放を求めて20歳の頃から夫とともに戦い、夫の死後も戦いを続け、活躍した。写真を見る限り割と美人かと思うので選出。
【アニータ・ガリバルディ】[19世紀 ブラジル]
ブラジル生まれの女性。18歳の時、革命家ガリバルディと駆け落ちして戦いに参加、その翌年には妊娠中の身で補給隊や騎兵隊の指揮を執った。長身巨乳美女で、船の上から望遠鏡で陸を眺めていたガリバルディが、一目惚れし彼女を求めて衝動的に上陸したというのが二人の出会いであった。
“サディー・ザ・ゴート”[19世紀 アメリカ]
ニューヨークのギャング達のアイドルであったが、海賊の頭目に収まり暴れ回った。好き放題女遊びもしてきたであろうギャング達がアイドル扱いするのであるから、それなりに容姿が良いのであろうと判断し、選出した。
“ザリナ”[前7世紀 イラン]
遊牧民スキタイ人の好戦的な女王。美貌の持ち主であったとされる。臣民に慕われた。
【サラオウニア】[19世紀 ニジェール]
ニジェールのアズナ人の女王。良く熟したマンゴーのような滑らかな頬をした非常な美女であったらしい。18歳の時には戦闘で男達を指揮、その後王位を継いで、外敵との戦いに活躍した。
【サムラマト(セミラミス)】[前9世紀 イラク]
アッシリアの王妃。伝説では、アッシリア王の臣下の妻であったが、その美貌と軍略の才に王が惚れ込み、奪い取って王妃としたとされる。伝説はともかく、実像についてはわずかしか分かることはない。
【ジャンヌ・ダルク】[15世紀 フランス]
17歳の時からイギリスの侵略軍と戦ったフランスの少女。全ての人が口をそろえているわけではないが、人によっては美しかったと証言を残しており、地味で目立たないタイプの美貌の持ち主であったと言えるだろう。丸顔で髪の色は濃かったとされる。
“ジャンヌ・ド・ベルヴィル”[14世紀 フランス]
フランスの貴族女性。国一番の美女といわれた美貌の持ち主。物心付かぬ内に一度結婚したがこの夫とはすぐさま死別、やがて1330年に再婚した。この二度目の結婚の夫に最初から熱愛していたが、1343年フランス国王に夫を処刑され、復讐の戦いに乗り出した。おそらくこの時点で30歳前後であろう。
【タイトゥ】[19世紀 エチオピア]
エチオピア皇后。33歳で皇后となると大きな政治力を行使、5千もの自分の軍隊さえ保有した。イタリアの侵略に対する抵抗戦争でも活躍した。完璧な卵形の顔とたいまつのように輝く瞳を持った国で最も美しい女の一人であった。
【タマラ】[12世紀 グルジア]
グルジア女王。軍事指導者としての活躍することを期待して迎えたにもかかわらず、飲んだくれるだけの夫を29歳頃に離婚した。以後、自ら軍事指導も行い、2年後に攻め込んできた元夫の軍を破るなど、何度も見事な勝利を収めた。後世、詩の題材となり、美しく恐ろしい魔女として描かれた。比較的近い時代の絵画から美人の片鱗が伺えなくもない気がするので選出。
【チュン・チャク】[1世紀 ベトナム]
中国の侵略に抵抗した古代ベトナムの英雄。諸城を攻略し女王を名乗った。金の鎧で着飾って戦場に臨み、美しい姿で兵士達を鼓舞した。彼女の美しい姿は敵兵に畏敬の念を引き起こし、彼女を見た中国兵は思わず立ち止まったと伝説されている。
“鄭一嫂”[19世紀 中国]
元売春婦。26歳の時に海賊の頭目と結婚、夫が大海賊連合を結成するのを助けた。32歳の時に夫が死ぬと海賊連合の頂点に立った。海賊の頭目という実力者が売春婦から妻に迎えたのであるから、それなりに美女であっただろうと判断し選出した。
“巴御前”[12世紀 日本]
12世紀の日本で覇権を争った木曽義仲軍閥において24歳の時から活躍、美しさと武勇、武将としての優れた才能で知られる。
“ニュー”[19世紀 ベトナム]
ベトナムの愛国者。夫とともに外国の侵略に抵抗する義軍を率い、夫の死後も戦い続けた。美貌の元歌手。
【ミカエラ・バスティダス】[18世紀 ペルー]
ペルーでスペイン支配に反乱したトゥパク・アマルの妻。優れた軍事的才覚で、カリスマはありながら杜撰な夫を支えた。反乱発生時に35歳。長身痩身の気品ある美女だったとされる。
【ハトシェプスト】[前15世紀 エジプト]
古代エジプトの女王。25歳頃から20年以上に渡り統治を行い平和を維持したが、自ら軍事も担当し、軍を率いたことが分かっている。澄み渡る美貌を誇ったとされる。
(photo by Postdlf)
“ファルザナ・ソムル”[18世紀 インド]
踊り子をしていたが、ドイツ人傭兵の妻となった。夫ともにムガル皇帝のために戦い、私兵を持った。28歳の時に夫が死ぬと、単独の指揮官となった。踊り子が務まり、さらにそこから妻に成り上がった辺り、美貌と才覚を兼ね備えていたであろうと思われるので選出。若き日の姿を描いた画像は見つからなかったが、老いた姿を描いた絵から推測しても、美しかったと思われる。
“ベレニケ2世”[前3世紀 エジプト]
軍を率いて活躍したエジプト王妃で戦車の達人。24歳頃に気にくわない婚約者を殺したのが、最初の軍事的行動とされる。出征する夫の生還を祈って髪を祭壇に捧げたが、臣下がこの髪が星座になったのが見えると賞賛した。いわゆる「かみのけ座」である。問題となっているのは髪の美しさであるが、髪の持ち主もある程度以上は美しくないと、髪の美しさを褒めても皮肉として取られかねないわけで、廷臣のおべんちゃらとしてはなりたちません。というわけで美貌の持ち主だと判断し、選出。(追記:普通に美しく勇敢で敬愛されていたと書いてる本がありましたし、それを元に自分も『世界各国女傑列伝』で美しく勇敢だったと書いてました。)
(photo by Tilemahos Efthimiadis)
【マント・マヴロゲヌース】[19世紀 ギリシア]
24歳の時に勃発したギリシア独立戦争で陸海の戦いに活躍した。広く功績と美貌を謳われた。
【マティルダ・ディ・カノッサ】[11世紀 イタリア]
ローマ教皇を支えて教皇と対立するドイツ皇帝と激しく戦い軍を指揮して大いに活躍、教皇の娘の異名で呼ばれた。15歳の時には臣下の補佐を受けつつ軍を統率していた。その美貌は外国にまで轟いていた。
【マリア・ボニータ】[20世紀 ブラジル]
ブラジルの盗賊王ランピオンの愛人。マリア・ボニータとは美人のマリアの意。23歳の時からランピオンに同行。盗賊団が壊滅させられた戦いにおいて、ランピオンの死で崩れていく部下達を自らの下に結集し直し、将となって絶望的な戦いを最後まで戦い抜かせた。
【ムトニ・キリマ】[20世紀 ケニア]
ケニアのマウマウの反乱の女元帥。20代で反乱に参加し、巧妙な戦略能力でのし上がった。伝記において細身で美しい女性と評される。
【ラクシュミー・バーイー】[19世紀 インド]
インドの国民的英雄。28歳頃、イギリスの侵略と戦い、優れた武勇と将才を示した(年齢についてはだいぶ若い異説あり)。肖像から見て美人だったと言えそうなので選出。
【エリサ・アリシア・リンチ】[19世紀 パラグアイ]
高級娼婦であったが、パラグアイ大統領ソラノ・ロペスに見初められ、愛人となった。彼女が31歳の時に起こった三国同盟戦争でロペスを支えた。軍のシンボルとなって大佐と呼ばれたが、シンボルとなったのみならず、何度も軍事的行動に手を染めた。最初の軍事的行動は34歳の時で野営地にいた女達を率いてパラグアイ軍を救援した。空のような青い目と透き通るような肌の美女。
梁紅玉[12世紀 中国]
町一番と評判の美しい娼妓であったが、虐待から助けてくれた兵士時代の名将・韓世忠に結婚を迫った。夫を助けて戦場で活躍、韓世忠8千、敵の金軍10万が激突した1130年の黄天蕩の戦いでは、太鼓を叩いて夫を助けた。これについて女武将マニアとしては、太鼓叩いて戦術指揮したのだと高評価したくなるところですが、色々読む限り、太鼓を叩いて士気を高めたものであるらしい。
生年は中国語の人名大辞典を調べたところ不明となっている。ただネット上の百科事典等ではおおむね1102年とされており、英語の本では1100年としているものがある。
残念ながら落選した惜しくも萌えられない人たち
【アウラ・ポコウ】[18世紀 コートジボワール]:ガーナのアシャンティ王国の王族女性。コートジボワールに侵入、征服を行った。水辺の花のような面長の美しい顔と湖のゆらめきのような瞳を持つ美女であったが、武将として征服活動を行ったのは50歳を超えてからなので、残念ながら落選。
ヌール・ジャハーン[17世紀 インド]:34歳でムガル帝国皇帝ジャハーンギールの皇妃となり、美しさで皇帝を引きつけた。ヤク中の皇帝を傀儡にして絶大な権勢を振るったと言われている。もっとも皇帝が麻薬の愛用者であるのは確かだが、傀儡に成り下がるほど、耄碌はしていなかったらしく、これは過大評価であるらしい。ジャハーンギールを救おうと象に乗り軍の攻撃を率いたことがあるが、49歳の時のことなので落選。ちなみにこの時は惨敗している。
【ファランゼム】[4世紀 アルメニア]古代アルメニア王妃。彼女を巡って激しい争いが起きたほどの美女。おそらく320年頃の生まれで、361年から、ササン朝ペルシアの侵略に対し要塞を守り、長きにわたって抵抗した。年齢的にわずかの差で落選。
【エミリヤ・プラテル】[19世紀 リトアニア]リトアニアとポーランドの愛国者。両地域のロシアからの解放を求めて各地を転戦。検索をかけると19世紀のものらしい肖像画が色々出てくるものの、19世紀のいつごろなのかはっきりせず、また丸顔やら細面やら美人の絵やらすごい怖い顔の絵やらとバラバラなイメージの肖像が流布していて美人な絵がいまいち信用できず、さらに美人と推測すべき情報が他から得られることも無かったので落選。
【ンジンガ】[17世紀 アンゴラ]:アンゴラのンドンゴ王国の王族女性。ンジンガ。政治家、武将として高名だが歴史上に姿を現した時既に40歳、それまでも美しい男装の女戦士として名を轟かせていたらしいが、武将として活躍したがはっきりせず、残念ながら落選。
参考資料
(『世界各国女傑列伝』の参考資料と重複するものは省略します。)
飯塚朗『中国四千年の女たち』時事通信社
石田保昭『ムガル帝国とアクバル大帝』清水新書
関連記事
【古代~現代まで】 世界史“女性武将”100選 【アジア・アフリカ・ヨーロッパ・新世界すべて対象】
ジャンヌ・ダルクは萌えれるか? ~ジャンヌ・ダルクのおっぱいとか容貌の話~
軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―
http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kouroumu.html
中国民衆文化史
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020607.html
中国仏教史
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/011221.html
楽天ブックス: 世界各国女傑列伝
なお今回少し言及した、パラグアイの戦った三国同盟戦争については『敗戦処理首脳列伝』が割と詳しいです。
今回の女武将ネタと関連する箇所は少ないですが、軍事史系のマイナーネタを趣味にしている方はどうぞ。
楽天ブックス:敗戦処理首脳列伝
<10月17日修正>
○30代までに活躍した美女・美少女武将←×30代までに戦場で活躍した美女・美少女武将
武将になったからといって戦争が起きねば戦場には出ないのだから、「戦場で」を要件とするのは不適切かと思い修正。
タイトゥが自分の軍隊は持っていたものの、若いうちに戦場に立つ機会を持ったかどうか良く分からず「戦場で」の記述があると不都合という事情もあったりします。
ベレニケ2世に追記
萌える女性武将特集です。
若くて美しいと記録されている、あるいはそう推測される、女性武将を世界史からかき集めてみました。
とはいえ「若い」をあんまり厳しく認定しすぎると、取り上げれる人物が減って、ビッグネームが幾人か落ちてしまってもったいない。
かといって範囲を広げるのも限度というものがあり、どの程度まで許されるのか悩ましい限りなんですが、
なんか最近、39歳(+ごにょごにょ)な伯母を猛プッシュしてるとしか思えないラノベとかありましたので、
それを参考に、萌え文化圏でも美人なら30代は守備範囲内と判断し、「若い」は30代以下とさせていただきます。女は29歳までと明言していたランスさえ30歳にOKを出す時代ですから、別にこれで問題無いよね。
そういうわけですので。
ここで言う
萌える女武将は
30代までに活躍した美女・美少女武将
となります。
一部全く年齢どころか年頃も不明な人がいますが、その辺の人は、特例でセーフということで。今より人間が早く老けたであろう時代に美しいとされているのだから、それなりに若くして活躍してるでしょうし。
なお、画像は生存期間やそれに近い時代の絵や写真が見つかったもののみ掲載しています。必ずしも萌える画像ではありませんので、萌えない場合は脳内フォトショップで加工して下さい。
なお【】で名前を囲んだのは拙著『世界各国女傑列伝』の本文で取り上げた人物、“”で囲んだのは同書のコラムで取り上げた人物です。より詳しくはそちらをご参照下さい。
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世界史 萌える女武将30選
“アルヴィルダ”[5世紀 スウェーデン]
女バイキング。男装して戦に乗り出したところ、美貌の故に首領を無くした海賊団の頭目に選ばれ、暴れ回った女。非実在説あり。
【イェネンガ】[12世紀 ブルキナファソ]
ブルキナファソに栄えたモシ人の王女。開いた傘や天まで幹をのばすヤシに喩えられる美貌の持ち主で、戦士としては雌獅子に喩えられた。14歳から王国の遠征に活躍。非実在説あり。
“王聡児(斉王氏)”[18世紀 中国]
襄陽白蓮教指導者の妻。元旅芸人。夫の刑死後、反乱を起こしたが、2年後、22歳の若さで戦死。妖しい美女であったとされる。
【オリガ】[10世紀 ウクライナ]
キエフ公妃。945年に夫イーゴリが死ぬと、摂政となり幼い息子に代わって政務を取り仕切った。ちなみに息子は964年に成年に達した。オリガの生年を890年頃とする伝承もあるが、これらの年号からして、どう考えても無茶である。957年のコンスタンチノープル訪問時の彼女について年代記は美しかったと記しているそうである。以上を考え合わせると945年時点でせいぜい20代半ばであろう。946年、大軍を率いて、夫を殺害したドレブリャーニン人の首都イスコロステニを壊滅させた。
“甲斐姫”[16世紀 日本]
武蔵の国の忍城の城主の娘。美貌と才能で知られたが、19歳の時に城を空ける父に守りを任され、石田三成らが率いる大軍を相手に活躍した。
【ショテ・ガリカ】[20世紀 コソボ]
【アニータ・ガリバルディ】[19世紀 ブラジル]
“サディー・ザ・ゴート”[19世紀 アメリカ]
ニューヨークのギャング達のアイドルであったが、海賊の頭目に収まり暴れ回った。好き放題女遊びもしてきたであろうギャング達がアイドル扱いするのであるから、それなりに容姿が良いのであろうと判断し、選出した。
“ザリナ”[前7世紀 イラン]
遊牧民スキタイ人の好戦的な女王。美貌の持ち主であったとされる。臣民に慕われた。
【サラオウニア】[19世紀 ニジェール]
ニジェールのアズナ人の女王。良く熟したマンゴーのような滑らかな頬をした非常な美女であったらしい。18歳の時には戦闘で男達を指揮、その後王位を継いで、外敵との戦いに活躍した。
【サムラマト(セミラミス)】[前9世紀 イラク]
アッシリアの王妃。伝説では、アッシリア王の臣下の妻であったが、その美貌と軍略の才に王が惚れ込み、奪い取って王妃としたとされる。伝説はともかく、実像についてはわずかしか分かることはない。
【ジャンヌ・ダルク】[15世紀 フランス]
“ジャンヌ・ド・ベルヴィル”[14世紀 フランス]
フランスの貴族女性。国一番の美女といわれた美貌の持ち主。物心付かぬ内に一度結婚したがこの夫とはすぐさま死別、やがて1330年に再婚した。この二度目の結婚の夫に最初から熱愛していたが、1343年フランス国王に夫を処刑され、復讐の戦いに乗り出した。おそらくこの時点で30歳前後であろう。
【タイトゥ】[19世紀 エチオピア]
【タマラ】[12世紀 グルジア]
【チュン・チャク】[1世紀 ベトナム]
中国の侵略に抵抗した古代ベトナムの英雄。諸城を攻略し女王を名乗った。金の鎧で着飾って戦場に臨み、美しい姿で兵士達を鼓舞した。彼女の美しい姿は敵兵に畏敬の念を引き起こし、彼女を見た中国兵は思わず立ち止まったと伝説されている。
“鄭一嫂”[19世紀 中国]
元売春婦。26歳の時に海賊の頭目と結婚、夫が大海賊連合を結成するのを助けた。32歳の時に夫が死ぬと海賊連合の頂点に立った。海賊の頭目という実力者が売春婦から妻に迎えたのであるから、それなりに美女であっただろうと判断し選出した。
“巴御前”[12世紀 日本]
12世紀の日本で覇権を争った木曽義仲軍閥において24歳の時から活躍、美しさと武勇、武将としての優れた才能で知られる。
“ニュー”[19世紀 ベトナム]
ベトナムの愛国者。夫とともに外国の侵略に抵抗する義軍を率い、夫の死後も戦い続けた。美貌の元歌手。
【ミカエラ・バスティダス】[18世紀 ペルー]
ペルーでスペイン支配に反乱したトゥパク・アマルの妻。優れた軍事的才覚で、カリスマはありながら杜撰な夫を支えた。反乱発生時に35歳。長身痩身の気品ある美女だったとされる。
【ハトシェプスト】[前15世紀 エジプト]
(photo by Postdlf)
“ファルザナ・ソムル”[18世紀 インド]
“ベレニケ2世”[前3世紀 エジプト]
(photo by Tilemahos Efthimiadis)
【マント・マヴロゲヌース】[19世紀 ギリシア]
【マティルダ・ディ・カノッサ】[11世紀 イタリア]
ローマ教皇を支えて教皇と対立するドイツ皇帝と激しく戦い軍を指揮して大いに活躍、教皇の娘の異名で呼ばれた。15歳の時には臣下の補佐を受けつつ軍を統率していた。その美貌は外国にまで轟いていた。【マリア・ボニータ】[20世紀 ブラジル]
【ムトニ・キリマ】[20世紀 ケニア]
ケニアのマウマウの反乱の女元帥。20代で反乱に参加し、巧妙な戦略能力でのし上がった。伝記において細身で美しい女性と評される。
【ラクシュミー・バーイー】[19世紀 インド]
【エリサ・アリシア・リンチ】[19世紀 パラグアイ]
梁紅玉[12世紀 中国]
町一番と評判の美しい娼妓であったが、虐待から助けてくれた兵士時代の名将・韓世忠に結婚を迫った。夫を助けて戦場で活躍、韓世忠8千、敵の金軍10万が激突した1130年の黄天蕩の戦いでは、太鼓を叩いて夫を助けた。これについて女武将マニアとしては、太鼓叩いて戦術指揮したのだと高評価したくなるところですが、色々読む限り、太鼓を叩いて士気を高めたものであるらしい。
生年は中国語の人名大辞典を調べたところ不明となっている。ただネット上の百科事典等ではおおむね1102年とされており、英語の本では1100年としているものがある。
残念ながら落選した惜しくも萌えられない人たち
【アウラ・ポコウ】[18世紀 コートジボワール]:ガーナのアシャンティ王国の王族女性。コートジボワールに侵入、征服を行った。水辺の花のような面長の美しい顔と湖のゆらめきのような瞳を持つ美女であったが、武将として征服活動を行ったのは50歳を超えてからなので、残念ながら落選。
ヌール・ジャハーン[17世紀 インド]:34歳でムガル帝国皇帝ジャハーンギールの皇妃となり、美しさで皇帝を引きつけた。ヤク中の皇帝を傀儡にして絶大な権勢を振るったと言われている。もっとも皇帝が麻薬の愛用者であるのは確かだが、傀儡に成り下がるほど、耄碌はしていなかったらしく、これは過大評価であるらしい。ジャハーンギールを救おうと象に乗り軍の攻撃を率いたことがあるが、49歳の時のことなので落選。ちなみにこの時は惨敗している。
【ファランゼム】[4世紀 アルメニア]古代アルメニア王妃。彼女を巡って激しい争いが起きたほどの美女。おそらく320年頃の生まれで、361年から、ササン朝ペルシアの侵略に対し要塞を守り、長きにわたって抵抗した。年齢的にわずかの差で落選。
【エミリヤ・プラテル】[19世紀 リトアニア]リトアニアとポーランドの愛国者。両地域のロシアからの解放を求めて各地を転戦。検索をかけると19世紀のものらしい肖像画が色々出てくるものの、19世紀のいつごろなのかはっきりせず、また丸顔やら細面やら美人の絵やらすごい怖い顔の絵やらとバラバラなイメージの肖像が流布していて美人な絵がいまいち信用できず、さらに美人と推測すべき情報が他から得られることも無かったので落選。
【ンジンガ】[17世紀 アンゴラ]:アンゴラのンドンゴ王国の王族女性。ンジンガ。政治家、武将として高名だが歴史上に姿を現した時既に40歳、それまでも美しい男装の女戦士として名を轟かせていたらしいが、武将として活躍したがはっきりせず、残念ながら落選。
参考資料
(『世界各国女傑列伝』の参考資料と重複するものは省略します。)
飯塚朗『中国四千年の女たち』時事通信社
石田保昭『ムガル帝国とアクバル大帝』清水新書
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ジャンヌ・ダルクは萌えれるか? ~ジャンヌ・ダルクのおっぱいとか容貌の話~
軍事史概説 戦略と戦術の東西文明五千年史
れきけん・とらっしゅばすけっと/京都大学歴史研究会関連発表
物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―
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中国民衆文化史
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020607.html
中国仏教史
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/011221.html
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なお今回少し言及した、パラグアイの戦った三国同盟戦争については『敗戦処理首脳列伝』が割と詳しいです。
今回の女武将ネタと関連する箇所は少ないですが、軍事史系のマイナーネタを趣味にしている方はどうぞ。
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<10月17日修正>
○30代までに活躍した美女・美少女武将←×30代までに戦場で活躍した美女・美少女武将
武将になったからといって戦争が起きねば戦場には出ないのだから、「戦場で」を要件とするのは不適切かと思い修正。
タイトゥが自分の軍隊は持っていたものの、若いうちに戦場に立つ機会を持ったかどうか良く分からず「戦場で」の記述があると不都合という事情もあったりします。
ベレニケ2世に追記
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by trushbasket | 2011-10-16 02:57 | My(山田昌弘) | Trackback