トモは最近お風呂上がりに「炭酸水」をよく飲むみたいですね!!
最高にうまいって←どうでもいい情報って!!!!!
炭酸水!炭酸水!!炭酸水!?
炭酸水!?色々考えた(笑)
そして、新しいヘッドフォン購入!!!
一耳惚れ←これって新語!?一目惚れはよく聞くけど・・・(笑)
どうでもいい話でした!!!!!
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「蒼い炎」自叙伝
Scene4 3月11日
震災当時、羽生結弦は自宅近くのホームリンクで練習中。本人も家族もそろって無事だったものの、ホームリンクは半壊し、大切な練習場所を失ったまま、シーズンオフを過ごしたことになる。
(2011年、5月のインタビューより)
「今でも目をつむると、いろいろ思い出すんです。氷が揺れている感触、地面が押し上げてくる振動、足が勝手に動いてしまう恐怖・・・。
リンクが壊れていく瞬間が全部鮮明に浮かんできてしまいます。
あの日はちょうど学校がテスト休みで、昼間から滑りに行っていました。仙台のリンクには末永功さんという先輩がいて、今は海外のショーに主演中なんですが、ちょうどショーから帰って来て、僕と一緒に練習してたんです。リンクにはそれほどお客さんもいなくて、ほとんど貸し切り状態。
その時に地震が起きて・・・・・僕は、何もできませんでした。
このリンクでは、小さい頃にも何度か、大きな地震を経験しています。小学校の2年生か3年生のころかな?、夜の練習中に何度か、震度5強の大きな地震が続いて起きました。その時母はリンクの隣のダイエーで紳士服関係の仕事をしていたんですが、ダイエーの中はガラス張りで、母の仕事場には大きな棚がいっぱいあった。自分も地震に遭いながら、「母親は大丈夫か?」とすごく心配した記憶があって・・・・その気持ち、地震で家族がいなくなっちゃうことへの恐怖が、ずっと心のどこかにあるんですね。それで、僕は大きな地震が起きるたびに、何もできなくなっちゃう・・・。
巧君は僕の頭を押さえて「大丈夫!大丈夫!」って言ってくれます。僕はもう、ひたすら「やだやだやだやだ!」って・・・。
本当に、怖かったです。揺れてる音が尋常じゃなくこの世のものとは思えなかった。貸し靴の棚がガタガタって倒れる音も、入口のガラスのドアが崩れる音も聞こえました。ガシャンガシャンガシャンガシャン!って。
そこらじゅうのドアも、バーン!って全部開いていく。
「いやいや、ちょっと待てよ。無理でしょ、これ!」って・・・。僕、本気で泣いてしまいました。
そんな感じで、一波目が終わりそうになった時、「ああ、やっと終わった・・・」とほっとしたら、
バーン!って、ものすごい音がしたんです。
何かと思えば、リンクの横の壁がボコーンってずれてる。揺れてる最中ではないです。もう揺れが収まりそうになって、「ああ、やっと止まるんだ」と思ったとたん、
バーン!
さすがに、巧君も、「もうこれは無理かな」って言いました。
それでも、何とか落ち着いてきて、逃げる時はもう、四つん這いです。靴にはエッジケースも付けられず、エッジのまま逃げました。コンクリートの上をエッジのままなんかで歩いたから、刃はもうぐちゃぐちゃ。
外は寒かったです。半袖の練習着のまま出てきたところに、雪まで降ってきました。ジャパンジャージをはじめ、荷物も、外で履く靴も、リンクの中に置いてきてしまった。そして何回も余震が来て、そんな中をたくさんの人が逃げてきていた。雪は吹雪になっていきました。
中略
「僕の家族は・・・・地震が起きた時は、全員バラバラでした。僕はリンクで練習していたし、姉は同じリンクでアルバイトしてたんですが、それが終わって家に帰る途中。母は家にいて、父は仕事に行っていました。
街は電柱が倒れ、下水道が割れてマンホールのふたが飛びだし、あちこちから水があふれていて・・・。家は幸いお風呂の壁が崩れて、部屋の壁や天井、柱にも亀裂が走ってるくらい。
その夜は避難所に落ち着きました。父は仕事から帰ってこれなかったので、姉と母と3人で、2畳くらいのスペースで一晩過ごしたんです。
本当に狭いスペース、みんなで毛布一枚だけかけて、かたまって寝て…すごく寒かったです。
電気も一つ、ガソリンで発電している電灯が灯ってるだけ。
そして、びっくりしたのは次の日です。
朝、新聞が避難所に届いた時に、本当に何が起きているかをやっと知ったんです。その日から、避難所で4日間ー何もすることないので、天井をぼけーっと見ながら、いろいろなこと考えていました。
「地震から10日後ー。練習を、再開しました。東神奈川県にリンク。でも、10日も滑らずにいたら、ジャンプが全然跳べなくなっていたんですよ。
筋肉が落ちて太ももの裏。ここの筋肉がまったくなくなってしまった。
それからしばらく悩まされたのが、震災当時の記憶です。
ジャンプを跳ぶ時もイメージトレーニングをかなり重視しでいます。調子が良い時は跳ぶ瞬間のフォームが、跳びながら3Dで見えるんですよ。そんなことをいつもしていたから・・・
目をつむるとあの時の光景が全部浮かんでくるようになってしまった・・・・。
そして、震災の後に見た、モスクワの選手権(4月下旬)。
それはもちろん燃えましたよ!正直言ってあの結果は悔しかった。
中略
一時は本当に、スケートをやりたくない、もうスケートはいいんだ、と思いました。「こんな地震が起きちゃたんだし、僕はもうしょうがないよ。普通の高校生になって、普通に生活したいよ」すごく思った。でも、それは「スケートをやりたくない」という思いを、地震のせいにしていたんですね。
そんな時にチャリティのショーがあるから出てみないか、と言われて、「滑ろう!」と思った。そして、やるのならば、もう地震やリンクのせいに絶対したくない、ってことも。これから試合が始まったら、羽生は地震のせいで成績が落ちた、なんてことはしたくない。
もう頑張るしかないです。とにかくまっすぐに、上を目指していくしか、僕に出来ることはない。
その為に精一杯、やれることは全部やっていこう。そう思っています。
2011年10月ジャパンオープン。特別ゲストとして招かれ「白鳥の湖」を演じた
続く
Scene5 アイスショーを練習の場に
お楽しみに!!
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