認知症になった母との絆を詠んだ詩集。
今介護に携わる人の間で静かな反響を呼んでいます。
作者は長崎市在住の藤川幸之助さん。
アルツハイマー型認知症を患い徐々に記憶を失っていく母の介護を父から託されその思いを言葉に紡いできました。
(藤川)この詩は母が認知症になってすぐの頃ですね。
自分の母親がそんなふうな状況になるって思ってもみない状況だったので。
寂しいと思ったのを覚えてます。
母が私の事をすっかり今から忘れていくんだろうなと何か不安になったのを覚えてますね。
長年母に寄り添い徐々に変わっていった母への思い。
一体介護とは何なのか…。
藤川さんがつづった詩からひもときます。
こんばんは。
「ハートネットTVリハビリ・介護を生きる」。
今日と明日の2日間は「認知症の母を詠む書く」と題してお伝えしていきます。
ご一緒して下さるのはタレントの荒木由美子さんです。
よろしくお願いします。
今日は藤川さんは九州の出身でいらっしゃいますので。
同じ九州ですね。
はい。
私は詩集を読んでいてもう胸が熱〜くなりました。
込み上げてきますよね。
込み上げてきます。
ではゲストご紹介します。
今ご紹介ありました詩人の藤川幸之助さんです。
よろしくお願いします。
藤川さんお母様の介護経験を基に多くの詩を発表されています。
私たちの前にもその詩集がいくつかありますけれども。
介護生活24年に及んだという事でいつごろから詩を書こうと思ったんでしょう?最初の頃は父が介護をずっとやってて…24年の最初の頃ですね。
そして12年過ぎて12年後ぐらいから私がやってたんですがそこから少しずつ書き始めたんです。
…というのはもう介護をやってたらいっぱいいっぱいになりますでしょ?心が。
心がいっぱいいっぱいになったらそれを吐き出すしかないと思って。
どんどんどんどんノートに書いたんです。
自分の気持ちを。
自分も解放されたっていう事はありますか?ありますね。
やっぱり書く事で自分を客観的に見る事ができると。
荒木さんもそうじゃなかったですか?そうですそうです。
私の経験の中でも介護してる時にとても重苦しい嫌な言葉を誰かに言うっていうのはとてもつらくて。
夫婦の中でも夫にはなるべく言いたくないじゃないですか。
しゅうとめの悪口みたいな…で私も書きました。
ええ。
でも書いては私は詩人ではないプロではないので破きました。
破きました…。
私はいっぱいノートに書いて今でも取ってあります。
人には見せません。
もう自分の心の全てを書いているので。
思いとかは心の中にあったらグルグルグルグル回り続けて出ないんですよどこにも。
そのグルグル回り続けるのがつらいんです。
それを出すためにはもう切って言葉に出すしかないこれは。
そうですね。
では藤川さん認知症のお母様とどのように関わってこられたのか。
これまでつづられた詩や文章から見ていきます。
ああ…。
もう母が亡くなってからすぐの頃よくここを歩いてて。
ああやっと終わったなっていう気持ちとやっぱりそれは寂しさもすごくあって。
亡くなってみたら…何でしょうね?24年間母の介護をしましたけど…藤川さんは1962年熊本県湯前町生まれ。
大学卒業後長崎県で小学校の教員を勤めました。
母キヨ子さんの異変に気付いたのはキヨ子さんが60歳の時でした。
三面鏡の前に座ってるんですねず〜っとじ〜っと。
手帳を見ながら「藤川キヨ子藤川キヨ子藤川キヨ子藤川キヨ子…」って言ってるんです。
それから「おかあさんおかあさんおかあさんおかあさん…」って言ってるんです。
その手帳の中に父の名前兄の名前私の名前親戚の名前いろんな人の名前があってそれを忘れないようにと思って必死に読み返しているんです。
医師から告げられた病名は…その後母の介護をしていた父清人さんも介護生活11年目に74歳で他界。
父が藤川さんに残した遺書にあったのは「母たのむ墓たのむ」の文字でした。
(鈴の音)父は多分家に連れてきて私が母を見ると思ってたんだと思うんです。
あの遺書の書き方は。
父が母を家できちっと見てきたようにあんなふうにやってくれって言ってたと思うんですけど私はもう自分の仕事の都合やいろんな事を考えると家に連れてくる事はできなかった。
それで施設に預けた訳です。
父の急逝により突如母の介護をする事になった藤川さん。
仕事と介護の両立の日々が始まりました。
この道を長崎から母の住む熊本の錦町という所まで5時間ぐらいかけて私はずっと毎週土曜日から帰ってました。
いつも思ってた。
キヨ子さんの症状は進み変わりゆく母の姿にいらだちと戸惑いを隠せなかったといいます。
施設での母のこんな姿が忘れられません。
母がここを徘徊といいますかウロウロウロウロここをしてたので…。
ここら辺に来たらこうやって確かめるようにず〜っと回りながら行ってまたこう元に戻ってそしたらこの時はこっちにこう行ってず〜っと行ってそしてこっちにまた来ると。
これ必ずその法則でやってましたね。
藤川さんは母の手を引き廊下を歩きながらふと気が付いた事があるといいます。
母の手はいつも冷たいんです。
私の手はいつも何か温くて。
そして母の手をスッと握るんです。
そしたら…母には今言葉がないけれども言葉なんかなくったっていいと思ったんです。
言葉がないけれども母はどんな思いなんだろうか?母が認知症になってこんなふうにここに何度も何度も通って母の徘徊ウロウロウロウロするのにつきあって手を握って母をじ〜っと見つめているうちに…それが…「よし母と一緒に生きていこう」と。
認知症の母に寄り添いながらしっかり生きていこうと思ったきっかけですねやっぱり。
施設からの帰り道藤川さんは海辺に足を運びなぜかしきりに子どもの頃を思い出したといいます。
小さい頃…幼い頃でした。
もう訳の分かんない話ばっかり繰り返す子どもだったんです。
それも延々と話すんです。
1時間も2時間も。
母はず〜っとしゃがんで私の顔を見ながら「ああそうねコウちゃん。
あ〜そうねそうね」って言ってその話が終わるまで全部聞いてくれた訳です。
母を見ててもう本当に海の前にいる時と同じような感覚を持ってた。
全て私の思いも知ってくれて感じも知ってくれてつらさも知ってくれてじ〜っと目の前にいてくれる。
「言葉のない母が私に問いを投げかける命とは何か生きるとは何か死とは老いた母がその存在から私に問いかけ続ける」。
ご両親が認知症になった方を見たお子さんっていうのは認知症にならなければこういう愛をまた振り返る事はなかったって皆さんおっしゃるんですよね。
だからそういう気持ちになるというのが何か今となっては宝ですよね。
そうですね…そうです。
私も母が認知症にならなかったら本当にこんな母の事を思わなかったし母の痛みを自分の事として感じる事は絶対なかったと思います。
母の介護をず〜っとやりながら…母の体を拭くでしょ?体を拭いたらある時私の手を優しく抱いてくれて優しい言葉をかけてくれたなとか。
背中を拭いてたら病院に私をこの背中にしょって病院まで駆けてくれた背中だなと思う訳です。
そしたら少しずつね幼い頃の母の記憶がよみがえってくる。
つまり…何でしょう?母との絆を少しずつ思い出したという感じかな。
日常の忙しさや仕事なんかにかまけてついつい見えなくなってる。
見失っているものが絆だったと私は思ってて少しずつ母との絆が見えてきたように私は思いますね。
介護をするまでお母様に対してはそういう思いはあまりなかったんですか?全くありませんでした。
誕生日も知らなかったし。
え〜っ!
(笑い声)もう…何でしょう?優しい言葉もかけた事がなかった。
最初父から介護…「母たのむ墓たのむ」なんて言って遺書に書かれた時には「何で俺がやらなくちゃいけないんだ!?」と思った訳。
そして大問題だと思って「ああ…もう冗談じゃないな」と思いながら母の介護をず〜っとやっていったら母から愛された愛というのが自分の体の中にあるっていう事を気付いた訳です私は。
それは大問題ではなくてこれは課題なのかもしれない。
つまり私への問いかけなのかもしれない。
そっか…。
先ほど朗読して頂いたここにも「老いた母がその存在から私に問いかけ続ける」というね。
その…私に対する課題であり問いならば解かなくちゃいけないと思い始めてそして一生懸命やっていたら分かった事があったんです。
それは誕生日も知らなかった息子が母の心を考えるようになった。
つまり私の心の中から人を愛する気持ちとかそういうものを母が引き出しながら育ててくれているんじゃないだろうか。
詩集って詩ですからそんなダラダラダラダラ書くものではない。
短い言葉で紡いでいく。
でも果たしてこの言葉で自分の気持ちを表現できているんだろうかとか何か言葉にする時の作業というのは何かありましたか?はあ…そうですね。
言葉と置き換えない事ですね。
つまり母の詩を書く時母と何かがあったので母がこうだったああだったというふうに言葉に置き換えるんではなくてまず母との毎日毎日一日一日を大切に生きようと思った訳。
詩を書く事よりも母と生きる事の方が大事だと思った訳。
そうする事によっていつかそれが言葉となって自分の心の中に浮かんでくるんですよ。
それは介護が始まってどれぐらい時間がたってからですか?ああ…それはやっぱり10年ぐらいです。
やっぱり。
そんなにかかりましたか。
かかりました。
私たちの手元に藤川さんが介護をされる中で毎日つづられた日記があるんです。
たくさんこうね。
わ〜すごい。
表紙にもいっぱい書かれてますね。
「ノートを忘れたのでまたこのノートの表紙に書く事になった」。
(笑い声)…あったりしますけれども。
これね2002年の9月の日記では「母が死期が近いのであろうか。
信じたくはないが心してやる事を決心する。
母の一生をしっかりと終わらせる事もこの私の息子としての使命と心せよ」と。
自分に対して…。
もういつ死ぬんだろうか。
今度会う時に母は死んだ姿じゃないだろうかってそんなね死とおびえる日々が続きました。
何か母が死ぬというのは怖かったですね。
このように認知症のお母様と向き合って詩や文章に表現し続けてきた藤川さん。
今どのような心境に至っているのか。
こちらをご覧下さい。
3年前に84歳で亡くなった母キヨ子さん。
遺影には元気だった頃の笑顔の写真。
そしてもう一つ病院で撮られた小さな写真があります。
私は24年間この顔とつきあいながら母を支えてきた訳。
だからこの顔が私にとっては一緒に母と歩んだ24年間の母の顔なんですよ。
キヨ子さんが藤川さんによく言っていた言葉から生まれた詩。
母の人生の地図があってその地図の一部分が私と重なっていて。
私の人生の地図があってその部分もまた母と重なっていてその重なった部分を母と一緒に生きた期間だった。
24年間。
そしてそこでお互いの人生が完結するようになっていていわばこの病気でつらそうな顔の時ですよ。
それでやっと自分の人生の地図のある部分が完成するような感じがするんですね。
母と子の人生の地図をのりしろのようにつなぐ24年。
認知症の母と共に生きた時間。
母の事を心配しながら悲しんだり不安になったりもう臆病になったり喜んだりそのいろんな感情の行き来や思いっていうのが…。
つまり母を大切に思っているっていう愛情の証しな訳です。
母は何にも言葉では私に伝えれなかったけれども…母が私に言いたい事だったんじゃないだろうか。
この体験を通して母が私を育ててくれてたんだろうなと思った。
小さい頃何か息子さんの話をずっと1時間も2時間も聞いて下さって。
でも24年かけて今度はお母様がお話はできなくてもたくさんの事を…。
届けてくれましたね。
そうですよね。
母と生きたこの24年間…認知症になって母が。
この24年間生きたその一日一日が私の中に刻まれていて実はそれが私自身を作っているというか。
言葉ではないもので母が私に遺言を残してくれてそれは私自身なんだって思ったので。
母の代わりにず〜っと私がやっていって私が支えていたと思っていたんだけれども実はその介護のプロセスの中で私がどれだけ多くの事を学んだかどれだけ母が私にいろんな事を教えてくれたかという事を考えた。
つまり支える側の私が支えられていたっていう事を深く感じるんです。
そうですか。
24年間介護されていて亡くなった時とそれから3年たった今…どうですか?気持ちの部分で何か違うところってありますか?そうですね…24年間ずっと振り返ってみると嫌な事ばっかりだったような気がしてたんです本当は。
もうやっていた時には。
「嫌だ嫌だもう何で!?」って。
フッと終わってみて3年間たって振り返ってみると「あれは本当に私の人生だったんだろうか」とフッと思った訳です。
それはもう何でしょう?やりきったっていうか。
いわば何か母と一緒に一つの仕事をやりきったという感じがした。
うん…。
まさに俯瞰をして今までの介護生活を振り返るという事もあるんでしょうね。
そうなんです。
だから俯瞰という言葉で言えば母が亡くなって行くようになった丘から見ると病院と家が見える訳です。
そしてそこを私は毎日行ったり来たりしてたんです。
もういろんな感情を抱えながら行ったり来たりしてまた帰って疲れてというその繰り返しだったのに上から見てみるとその行ったり来たりしている道を歩いてる自分なんてちっぽけなんです。
ちっぽけな中の小さな心があってあああんな事ぐらいでイライラしたり悲しんだりしてたんだなと思うけれどもその時は必死ですからね。
その日々を俯瞰してみるとあの日々があったからこそ私はまた一歩前に進めていると私は思うんです。
私の人生を完成…。
私の人生の地図のある部分をきちっと母が完成させてくれて後は自分で歩いていきなさいって母が言っているような感じが…。
今お母様に何かひと言おっしゃるとしたら何ておっしゃいますか?ひと言。
「大変だったよ」って言います。
(笑い声)笑ってますねお母さんね。
「本当大変だったよ」って。
これからどんな詩が生まれるのか楽しみにね。
体験から生まれる言葉。
生きざまから生まれる言葉というのは強いと思いますね。
ですからしっかり自分の人生を歩みながら言葉を紡いでいきたい。
これもやっぱり母が教えてくれた事なんですね。
ゲストは詩人の藤川幸之助さんでした。
ありがとうございました。
(2人)ありがとうございました。
2015/05/20(水) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV あなたの中の私を失う時▽認知症の母を詠む 詩人・藤川幸之助[字][再]
認知症を患った母を24年間介護した詩人・藤川幸之助さんは「何も語らない母が私を育てた」と語る。母と向き合う中で生まれた沢山の詩を味わいながら介護の意味を考える。
詳細情報
番組内容
アルツハイマー型認知症を患った母を24年にわたって介護した藤川幸之助さん。3年前に84歳で母が亡くなるまで人生の半分近くを母に寄り添った。言葉も無く、ゆっくりと死に向かいつつも生きる母と向き合っていない自分に気付かされ、母とともに生きることを決意し、その思いを詩の言葉に紡いでいった。 −言葉のない母が 私に問いかける 命とは何か 生きるとは何か 死とは 老いた母が その存在から 私に問いかける−
出演者
【出演】荒木由美子,詩人…藤川幸之助,【司会】山田賢治
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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