あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「福島県南相馬市 山田護さん」 2015.05.20


(テーマ音楽)東京電力福島第一原発から25キロの場所にある福島県南相馬市原町区。
原発事故によりほとんどの住民が避難し商店も休業しました。
原町区で鮮魚店を営む…町に残っていた人たちのために店を開け続け食料を求める人たちを支えました。
あの日山田さんは家族と一緒に店で仕事をしている時震度6弱の揺れに襲われます。
地震の後片づけをしている時テレビのニュースに驚きます。
母富子さんが通っている老人福祉施設が津波に襲われたというのです。
山田さんはすぐに施設に向かいますが津波を心配した消防と警察に制止されてしまいます。
山田さんは家に引き返すしかありませんでした。
その日の夜母富子さんは施設の人に抱えられて戻ってきました。
津波が施設を襲う直前に車に乗せられていたのです。
しかし翌日再び試練の時が訪れます。
福島第一原発の爆発事故です。
ほとんどの住民が避難していく中山田さんも町を出るかどうかの判断を迫られます。
母は重度の認知症。
更に山田さんの家に避難してきた妻和子さんの父も自力では動けません。
山田さんは避難せず町にとどまる事にします。
その後山田さんの店にしきりに電話がかかってくるようになります。
町を出る事ができない人が食料を求めていたのです。
山田さんは店を開ける決断をします。
放射能汚染を恐れ入り口を半分だけ開けて営業を再開。
店には長蛇の列が出来ました。
原発の危機的状況がひとまず落ち着き町に人が戻ってきたのは4月に入ってからでした。
山田さんは再び原発危機が起きた時も同じ行動をとらざるをえないだろうと考えています。
2015/05/20(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「福島県南相馬市 山田護さん」[字]

東日本大震災に遭遇した人々の証言。福島県南相馬市で鮮魚店を営む山田護さんは、原発事故で多くの人が避難する中、残っていた住民のために店を開け、食料を供給し続けた。

詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の証言。福島県南相馬市で鮮魚店を営む山田護さんは、原発事故で多くの人が避難する中、残っていた住民のために店を開け、食料を供給し続けた。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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