自ら眼瞼下垂症の手術を受ける
眼瞼下垂症手術を行っていると、患者さんから様々な報告を受けます。肩こり頭痛の変化に関しては驚かないのですが、腰痛や膝の痛み、不眠が改善、手の震えが収まった・・・・などなど予期せぬ変化報告をたくさん受けるにつけ、自分も体験してみたくなったのでした。そんな中、信州大学形成外科学教室松尾清教授にお願いして、松本で手術をしていただく事となります。
以下、わたしの松本での手術体験手記を掲載します。
2009年12月某日
夜8時半松本駅に到着。新鮮な空気を吸い込もうとしたら酒のにおいが鼻腔を刺激した。飲み会帰りと思われる若い衆3人組が自分の前でエスカレータを降りている。
駅を降り立つと凛とした空気に包まれる。闇とネオンのコントラストが強くて美しい。松本に来るのは3度目だ。この空気感には、誰も踏み入れられることのない奥地の湖に佇む硬質で澄み渡る真水のような透明感を覚える。
本来の松本の気候を考えれば幾分か暖かいようだが、凍える感じを覚え、コートの前を半分閉じる。徒歩数分でリッチモンドホテルに到着した。近くのセブンイレブンに買い出しに直行。マスカットベリー Aの 360ミリリットルワインと揚げ出し豆腐、そして明日の帰室後に備えてカロリーメイト、飲むゼリー、ミネラル水などを購入した。
早めに床についたものの心臓の高鳴りを感じてときどき目が覚めた。
手術日(松本にて)
6時の携帯のアラームで覚醒良好。しばらく入浴できないと考え、ゆっくり入浴して身支度を調え、出発。駅前の松屋で牛丼セットをかき込んでタクシーで信州大学医学部へ向かった。
タクシーの運転手ととりとめのない話をしたがメーターが始動していないのに程なくして気づいた。よそ者と思って吹っかける気か?と疑った瞬間に信州大学医学部に到着したが、運転手がメーター倒し忘れた!と慌てていた。単なるおっちょこちょいさんだったようだ。乗車前に料金の目安がタクシー乗車場に掲げられていたのでその料金を申告して支払い(1300円)下車した。
仄暗い階段と廊下を伝い歩いていくと、信州大学形成外科学教室の掛け看板が目に留まる。手術の予定は夕方だったがせっかく訪れるのだから手術見学もしたいと思い、あらかじめ連絡を取って丸一日お邪魔することにしていたのだ。
松尾清教授にお会いした。肩を丸めてのゆっくりした挙動は相変わらずである。なんと私の入院の準備をして頂いていた。心遣いに感謝しつつホテルをとってある旨をお話し、日帰り手術に変更していただいた。
教授回診に参加。救命救急科の部長が病棟にいた。3日前に眼瞼下垂手術をしたらしい。まぶたはぷっくり痛々しく腫れていた。この3日間はとてもよく眠れたらしい。彼は手術前まで夜間の喘息発作で時々目が覚めていたようだ。松尾先生談:眼球を引っ込めなくなるのでアシュナー発作が起きなくなる。つまり副交感神経を刺激しなくなるのだそうだ。そのために呼吸が楽になる。
自分の初診手続きをした。松尾清先生の愛弟子、伴緑也先生が付き添ってくれた。外来棟は綺麗だった。5月に完成したばかり。ちなみに以前は狭い天井とくすんだ壁で非常に古くてヒビだらけだった。昭和を感じさせるレトロな床屋のあのくるくる回る看板(サインポールと言うらしい)もあったのが思い出された。
さて、自分の手術までの時間は松尾清先生の手術見学をする。はじめの手術は再手術症例。10年以上前に某有名形成外科医により二回ほど下垂手術を受けたらしい。大腿からの筋膜移植か真皮移植?を受けていたらしく、前回は瘢痕切除と腱膜固定を施行したが術後眼が開きすぎるのが気になる(瞳孔上縁だが)とのことで、開瞼量を下げるべく横方向の突っ張りを再度作成する手術となった。右は挙筋腱膜が存在し、腱膜固定を外してこれの外角を縫い付けるようにした。左は挙筋腱膜自体が不明瞭で、瘢痕組織を瞼板前で剥離して外側方向へ緊張を作るように6-0プロリンで縫い付けた。たぶん痙攣があるのだろうとのことだった。
一件目終了後昼食を摂り、病棟へあがって自分の手術の説明をしてもらった。松尾先生は慣れた手つきでイラストを書きながら(何千、何万回とこのイラストを書いているのだろう)説明して下さった。サインをした。
2例目は看護師さん。眼瞼痙攣手術。眼輪筋隔膜部の切除(コンポジット切除)を行う。右眼輪筋を切除したら右鼻腔の通りがよくなったと。アシュナー反射消失によるものらしい。型の如く挙筋腱膜外角、内角をリリース。腱膜固定施行(内側より3点)し、重瞼作成。何度か抜針して修正した。内側の重瞼引き込みは浅くするのがいいらしい。
さて、自分の番になった。
未知の体験ゾーンへようこそ!わくわく・・・
手術着のまま手術台に座って何枚も写真を撮った。まぶたにおもりをつけて上方視など。仰臥位になったらまな板の上の鯉。デザインをして麻酔(1%エピレナミン添加キシロカイン各々3.5ミリリットル)。左右それぞれ10数カ所打ったか?30G針だがチクチクする。やはり内側は痛い。先生方が手を洗い、ガウンを装着。わたしの顔に手術用シーツをかけておもむろに手術が始まった。
出血をぬぐっているであろう、ガーゼで抑えられるの強く感じた。ガーゼのがさがさ感がよく伝わってくる。照明がまぶしい。腱膜を固定するあたりまでは痛みは感じず。筋鉤が入ると目の奥がずしんと重く感じられた。ぐっと抑えられるとどうしても「ううっ」となって緊張してしまう。左は下位横走靱帯があったが、右はなかったようだ。実はわたし、生来左が下垂していた。左の眉が挙がる。左まぶたは横走靭帯が発達しているだろうとの予想は的中した。
松尾清先生と伴緑也先生がいろいろと話しかけてくれて朗らかに手術が進行する。
外角は完全には外さず、縫合する緊張を解くために切開を少し入れたようだ。何度か開瞼するよう指示された。上を見たりも。目の奥の突っ張る感じが強い。おそらく40分過ぎた頃からちりちり痛みを感じ始めた。不快な痛みではない。余った隔膜をellman社サージトロンで焼き切り捨てるあたりとか痛い。皮膚縫合もちくちくした。終わったら坐位になって確認。終刀となった。
下まぶたが突っ張って目玉が抑えられる。着替えて外来に移動し、ロキソニンを内服し患部を冷やしながら休憩。
会計が終わったら伴緑也先生と一緒に病院を出てホテルまで搬送して下さった。車の窓から見える松本の繁華街の夜の景色が美しかったが、夜の街に繰りだそうという意欲はさすがに無い。
その日は枕を2個使って壁にもたれかかってネットウェットガーゼクーリング。ロキソニンを内服していたためか痛みは全くない。麻酔が切れたら下まぶたのつっぱり感も消失した。
手術翌日
何かとお世話になった伴先生に感謝メールを送信。朝九時過ぎの松本発ワイドビューしなのに乗車。
しかし、何だこの爽快感・・・カフェインの強いコーヒーや感冒薬を飲んだ後の覚醒感?に似ている。
視界がクリアで頭もスッキリする。脳みそを再起動させたというか、クリーンインストールした直後のコンピュータ。
そして肩こり持ちだったわたしの肩は今フニャフニャである。肩関節と首の間を押すと筋肉が柔らかすぎて肺の先端を触れてしまいそうだ。
手術2日後
腫れのためにまぶたが重い。大きく開けようとしたり上方視すると眼の奥が突っ張る感じがする。
目を閉じると眠くなる。ぬれガーゼで軽く冷やしたりすると気持ちいい。午前中に家族でショッピングへ外出。身体が熱くなり、創がじわじわしてきた。昼食後に帰宅してまた冷却。
21時過ぎくらいからまぶたが軽くなり始めた。鏡を見ると幾分か腫れが退き始めているようだ。
手術3日後
信州ワインロゼ(アルコール8%)を飲んだ。縫合糸が皮膚を刺激してツンツンする。腫れのためかやはり突っ張る感じがする。
手術4日後
家族で集まり宴会。ビールと酒と焼酎とたらふく摂取。
薄いサングラスをしたが、目怪我したの?と言われた。胸部の凝りがよくなっている。胸を張るとバキッと音が鳴っていたのが、術後から全くない。
手術5日後
まぶたの縁の腫れた皮膚が知覚鈍麻。シャワーするときに気になる。顔の水気をさっと拭えない。
朝より夕方のほうが腫れが退いている印象。目を閉じると急速に眠りに落ちる感じがする。明朝4時に千葉へ出発。
手術6日後
大学で回診。だてめがねをかけているが師長に手術したの?いきなり言われた。バレバレのようだ。胸部のばきっという音が再発した。肩こりは3割減というところか。
手術7日後
当直あけ。夕方になると目の縁の発赤が幾分か落ち着いてきた。痒みを感じたので鏡を見ると皮膚縫合のPDSが皮下に少し埋まってる部分があった。研修医に左右1本ずつ抜糸してもらった。午後に眼瞼下垂とハント麻痺後遺症の2件手術をした。いつもならぐったり疲れているはずが夕方でも元気。
以上が手術を受けた時の手記であります。35歳でした。
かれこれ5年以上経過していますが、肩こりは半分程度後戻りを感じます。運転の疲労が少なくなり、渋滞に巻き込まれてもイライラしにくくなりました。創部はしくしくした痛みを感じることも時折有ります。左眉が挙がる癖はまだ残ります。左眼瞼下垂は気がゆるむと若干出ます。皮膚の知覚鈍麻は回復していますが、もともとどの程度知覚があったか覚えていないので何%回復したかは不明です。
貴重な体験ができたことを松尾清先生と伴緑也先生に心より感謝申し上げます。