長州力
プロレス
2015.05.19
長州力新着情報
長州力が5月18日(月)より「スカパー!」でオンエアされる「スカパー!オンデマンド」インフォマーシャルに登場。本人が出演する映像はBSスカパー!他でご覧いただけます。
2015.05.15
ホームページを公開しました。
会社名 | 株式会社ロストワンズ |
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所在地 | 〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-22-17 オーワビル6F |
連絡先 | TEL 03-5786-1149 / FAX 03-5786-0354 |
資本金 | 4,000,000円 |
弊社及び所属タレントに関するお問い合わせは右側のフォームをご記入の上、送信ボタンをクリックしてください。
出演に関するお問い合わせは専用フォームをご利用ください。
平成25年01月01日
株式会社ロストワンズ
株式会社ロストワンズ(以下「当社」といいます)は、以下の方針に基づき、お客様個人を識別しうる情報(以下「個人情報」といいます)を取り扱わせていただきます。
当社は、「個人情報の保護に関する法律」、その他個人情報の取扱いについて定められた適用ある法令、関係省庁のガイドライン、社内規程等を遵守いたします。
当社は、業務を遂行する上で、お客様の氏名、住所、電話番号、メールアドレス、生年月日、職業、経歴、家族構成等の個人情報を取得させていただいております。
当社は、アーティストのマネージメント、各種イベント・演劇・映画テレビ番組及びデジタルコンテンツ等の企画・制作、CD・DVD等の媒体・各種出版物及びキャラクター商品等の販売等の事業を遂行するに際して、お客様の個人情報を以下の目的のために利用することがあります。
当社は、お客様から直接書面等により個人情報を取得する場合、その利用目的を明示するものとし、それ以外の場合についても、その利用目的を通知または公表いたします。
当社は、お客様の事前の同意がある場合、または、法令により許される場合でない限り、上記の利用目的の達成に必要な範囲を超えて、お客様の個人情報を利用いたしません。
当社は、個人情報の漏えい、滅失、き損または不正アクセス等を防止するために、必要な措置を講じ、お客様の個人情報を適切に管理いたします。
また、当社は、お客様の個人情報の取扱いに関して、従業者に対して適切な監督を行うとともに、お客様の個人情報の取扱いを委託する際には、委託先に対しても個人情報を適切に管理するよう監督いたします。
当社は、お客様の事前の同意がある場合、または、法令に基づく場合、利用目的の達成に必要な範囲内で個人情報の取扱いを第三者に委託する場合等、法令により許される場合でない限り、お客様の個人情報を第三者に提供いたしません。
■情報管理の責任者:当社
お客様がご自分の個人情報の開示、訂正、利用停止、利用目的の通知等を希望される場合、当社までご連絡くださるようお願いいたします。
お客様から開示等の求めを受けた場合、当社は、お客様ご本人からの求めであることを確認させていただいた上で、法令に定めるところに従って、これに応じるものといたします。
当社は、個人情報の取扱いについて定められた法令、関係省庁のガイドライン、社内規程等を遵守するため、全役員、従業員、派遣社員等を対象に社内教育を実施いたします。
また、当社は、お客様の個人情報の取扱いに関する責任者を設置し、定期的な監査を実施いたします。
本ポリシーの内容、その他当社の個人情報の取扱いにつきまして、ご意見、ご質問等がございましたら、当社お客様相談窓口までご連絡くださいますようお願い申し上げます。
当社は、お客様から当社の個人情報の取扱いについてご苦情の申出を受けた場合、迅速かつ適切に対応するものといたします。
当社は、お客様のご意見等も踏まえ、また法令の変更等に伴い、本ポリシーを必要に応じて見直し、その改善に努めます。本方針を改定した場合、当社ホームページに掲載することにより公表いたしますので、定期的にご確認いただきますようお願い申し上げます。
弊社所属タレントへの出演依頼及び業界関係者の方からのお問い合わせは、下記のフォームをご利用ください。お問い合わせ内容の確認後、弊社担当者よりご連絡させていただきます。
長州力
長州力公式サイト http://www.choshuriki.com
名前 | 長州力 |
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身長 | 184cm |
体重 | 120kg |
生年月日 | 1951年12月3日 |
出身地 | 山口県徳山市 |
血液型 | O型 |
得意技 |
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ニックネーム | 革命戦士 |
テーマ曲 | パワーホール |
専修大学時代はアマレスで活躍し、72年のミュンヘン五輪に出場。73年12月、アントニオ猪木に師事して新日本プロレス入門。74年8月8日、日大講堂でデビュー。
82年10月、これまで地味な中堅レスラーの1人に過ぎなかった長州が、同世代スター藤波辰爾への「かませ犬」発言で大ブレーク。その後、アニマル浜口らと維新軍団を結成。日本中に空前の"革命戦士"長州力ブームを巻き起こし、プロレス第3次黄金時代を築く。
84年にジャパンプロレスを旗揚げし、主戦場を新日本プロレスから全日本プロレスに移し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎らと激闘を繰り広げる。長州の活躍により、全日本プロレスのテレビ中継がゴールデンタイムに昇格することとなった。
87年に新日本プロレスに電撃Uターンを果たす。アントニオ猪木が第一線から退いた90年代以降、現場監督として新日本プロレス再隆盛の時代を統率し、98年1月4日東京ドームで現役生活にピリオドを打つ。
00年に度重なる大仁田厚の挑発に乗り、横浜アリーナにおいて、大仁田との有針鉄線電流爆破マッチを敢行し現役復帰。2003年3月にWJプロレスを旗揚げ。崩壊後の2004年10月、新日本マットに突如乱入し宣戦布告。古巣のリングへ電撃参戦を果たした。
11年より藤波辰爾、初代タイガーマスクと共に「LEGEND THE PRO-WRESTLING」を始動させ、プロレス界に新たな時流となる"LEGEND"を確立させ、ブームを巻き起こす。60歳を過ぎた今でもストイックな生活と驚愕のトレーニング量により、全盛期と変わらぬ肉体を維持し、リングに上がり続ける。その姿はまさに"鉄人"そのものである。
東野峻
オフィシャルブログ http://ameblo.jp/tohnoshun
名前 | 東野峻 |
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身長 | 187cm |
体重 | 90kg |
生年月日 | 1986年7月11日 |
出身地 | 茨城県鉾田市 |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年ドラフト7巡目 |
初出場 | 2007年9月13日 |
横浜DeNAベイスターズ(2015 -)
オリックス・バッファローズ(2013 - 2014)
読売ジャイアンズ(2005 - 2012)
茨城県鉾田市出身。茨城県立鉾田第一高校を経て、2004年のドラフト会議で読売ジャイアンツから7巡目指名を受け入団。背番号は93。入団当初は故障に苦しむも、2008年のシーズン途中からその才能が一気に開花。2009年から背番号もジャイアンツのエース番号でもある17に昇格し、先発ローテーションの一角を担う。キレのあるストレートと鋭く曲がるスライダーを武器に8勝(8敗)を挙げる。翌2010年には最後まで最多勝争いを演じ最終的には13勝(8敗)をマーク。チームは優勝を逃したものの月間MVP(4月)、JA全農Go・Go賞(5月)を獲得するなど、シーズンを通してチームに貢献した。2011年には自身初となる開幕投手(対ヤクルト戦)に抜擢され見事勝利するも、その後は不調に陥り8勝(11敗)に終わる。2012年11月にオリックス・バッファローズにトレード移籍。新天地での復活を期するも、わずか1勝に終わり2014年シーズン終了後に球団より戦力外通告を宣告される。同年11月に草薙球場(静岡)にて12球団合同トライアウトに参加。そこでの投降が高く評価され横浜DeNAベイスターズに入団。2015年より背番号00を背負い完全復活に賭ける。
山本郁滎
公式サイト http://athleteclub.net/ikuei_yamamoto/
名前 | 山本郁滎 |
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所属 |
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生年月日 | 1945年2月17日 |
出身地 | 愛知県 |
競技種目 | レスリング・グレコローマンスタイル |
実績 | 1972年ミュンヘンオリンピック男子レスリング・グレコローマンスタイル57kg級7位 |
日本体育大学体育学部体育学科卒業。高校まではバスケットボールや剣道をしていたが、大学入学後にレスリングへ転向した。瞬く間に頭角を現し、全日本選手権で日体大在学時(1969年)、日体大OB時(1970年)、日体大教員時(1972年)に3度優勝し、1972年にはレスリング日本代表としてミュンヘンオリンピックへ出場(グレコローマン57kg級)した。
世界最激戦区の同階級は、グレコローマン最多の30選手が出場であったが、メダル獲得確実の強豪選手として参戦。しかし、不可解な判定負けにより7位という不本意な結果に終わるも、山本に5回戦で判定勝ちを収めたソ連のカザロフが金メダルを獲得したため「幻の金メダル」とも評され、当時の世界中のメディアがそれを取り上げた。
後に生まれる美憂はミュンヘン、聖子はオリンピックに因んで命名されたことから、この時の父の無念を晴らしたいと子供達がレスリングを志すきっかけとなった。長男の徳郁も総合格闘家としての活動を一時休止して、アマチュアレスリング選手として北京オリンピック出場を目指したことからも、レスリング一家の思いが窺い知れる。
現役引退後は指導者としての才能も開花。長年に渡ってナショナルチームのコーチとして後進の指導にあたり、また長女・美憂、長男・郁徳、次女・聖子を幼少期からの徹底的な英才教育で世界屈指の強豪選手に育て上げた。同時にアメリカ留学時に学んだテーピングの理論・実技指導などを紹介し、スポーツ医学の専門家として日本におけるテーピングの普及に多大なる貢献を果たした。
現在は「GEN SPOTS ACADEMY総監督として現役復帰した長女・美憂、その長男であり孫にあたるアーセンの指導にあたり、山本一族悲願のオリンピック金メダル獲得を目指す。
山本美憂
GEN SPORTS ACADEMY
http://gsa.asia/
名前 | 山本美憂 |
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所属 | GEN SPORTS ACADEMY |
生年月日 | 1974年8月4日 |
出身地 | 神奈川県 |
居住地 | カナダ・トロント |
競技種目 | レスリング・女子フリースタイル |
実績 |
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ミュンヘンオリンピック レスリング代表だった父・山本郁滎により小学校の頃から弟の徳郁、妹の聖子と共に、レスリングの英才教育を施される。13歳で第1回全日本女子選手権に優勝。その後、全日本4連覇を達成したが、世界選手権へは年齢制限により出場が認められなかった。1991年、17歳で初めて出場した世界選手権を史上最年少で優勝。その後、1994年と1995年に世界選手権を連覇。またその美貌で数多くのメディアにも取り上げられ、CM出演や写真集発売などアイドルアスリートのパイオニア的存在であった。
1995年に惜しまれつつ現役引退。その後、長男・アーセンを出産。しかし1999年に現役復帰を発表し、クイーンズカップ決勝進出、アジア選手権大会優勝、全日本女子レスリング選手権優勝という結果を残すも、2000年再び現役引退を発表。
2004年のアテネオリンピックで女子レスリングが初めて正式種目になることを機に復帰。アテネオリンピックを目指したが、2004年2月の「ジャパンクイーンズカップ」(アテネオリンピック代表選手選考試合)で3位に終わり、オリンピック出場は果たせず同年4月に引退。
2006年12月に次男、2008年11月に長女をそれぞれ出産。現在はカナダ・トロントに生活拠点を移し活動している。
2013年に山本一族の悲願でもあるオリンピック(ブラジル・リオ/2016年)金メダル獲得を目指し再度現役に本格復帰を果たした。そして同じくメダル獲得が期待される長男・アーセン(男子レスリング)と共に「親子で出場、親子でメダル」という前人未到の史上初の記録に挑む。
1987年 全日本女子選手権 44kg級 優勝
1988年 全日本女子選手権 44kg級 優勝
1989年 全日本女子オープン 44kg級 優勝
1989年 全日本女子選手権 47kg級 優勝
1990年 全日本女子オープン 47kg級 優勝
1990年 全日本女子選手権 47kg級 優勝
1991年 全日本女子オープン 47kg級 優勝
1991年 全日本女子選手権 47kg級 優勝
1991年 世界女子選手権 47kg級 優勝
1993年 全日本女子オープン 50kg級 準優勝
1994年 全日本女子選手権 50kg級 優勝
1994年 世界女子選手権 50kg級 優勝
1995年 全日本女子選手権 47kg級 優勝
1995年 世界女子選手権 47kg級 優勝
1998年 全日本女子選手権 46kg級 3位
1998年 世界女子選手権 46kg級 準優勝
1999年 ジャパンクイーンズカップ 46kg級 準優勝
1999年 全日本女子選手権 46kg級 優勝
2003年 ジャパンクイーンズカップ 48kg級 準優勝
2004年 ジャパンクイーンズカップ 48kg級 3位
山本アーセン
GEN SPORTS ACADEMY
http://gsa.asia/
名前 | 山本アーセン |
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所属 | GEN SPORTS ACADEMY |
生年月日 | 1996年9月8日 |
出身地 | 神奈川県 |
競技種目 | レスリング・グレコローマンスタイル |
実績 |
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祖父はミュンヘンオリンピックのグレコローマンレスリング57kg級7位の山本郁滎、母親は元世界チャンピオンの山本美憂、叔父は総合格闘家の山本"KID"徳郁(HERO'S初代世界ミドル級王者)、叔母は元世界チャンピオンの山本聖子というレスリング一家の下に生まれ、4歳の時にレスリングを始める。
小学校の時には全国少年少女レスリング選手権大会で何度も優勝を飾り、中学1年生時には全国中学生選手権66kg級で3位に輝く。その後、グレコローマンレスリングの強豪国ハンガリーにレスリング留学。ハンガリーでがインターナショナルスクールのバビロン高校に通うとともに、スポーツ成施設で練習を積みながら、ナショナルチームの合宿などにも参加して力を付け、年に2度開催されるハンガリーの国内選手権では2010年から無敗を誇るまでに成長した。
2013年にはジュニアオリンピックのカデットの部に参加のため4年ぶりに国内大会に凱旋帰国し、グレコローマンの69kg級で他を寄せ付けない試合運びで圧勝。世界カデット選手権代表に選出された。世界カデット選手権では、決勝でヨーロッパカデット選手権を3連覇している絶対王者のルカン・アッコユン(トルコ)を破り優勝を果たし、この世代では世界最強であることを見事に実った。
2016年リオ五輪、2020年東京五輪に向けもっとも注目度の高い選手の一人であると同時に、祖父が味わった1972年の"ミュンヘンの悲劇"からスタートした山本家の長きに渡るオリンピック物語の完結章としてもその存在に注目が集まっている。
2003年 全国少年少女レスリング選手権大会 優勝 (30kg級)
2005年 全国少年少女レスリング選手権大会 優勝(39kg級)
2006年 全国少年少女レスリング選手権大会 優勝(45kg級)
2007年 全国少年少女レスリング選手権大会 2位(54kg超級)
2008年 全国少年少女レスリング選手権大会 優勝(57kg超級)
2009年 全国中学生選手権 3位(66kg級)
2010年 ハンガリー選手権(春季)優勝(69キロ級)
2010年 ハンガリー選手権(秋季)優勝(69キロ級)
2011年 ハンガリー選手権(春季)優勝(69キロ級)
2011年 ハンガリー選手権(秋季)優勝(69キロ級)
2012年 ハンガリー選手権(春季)優勝(69キロ級)
2012年 ハンガリー選手権(秋季)優勝(69キロ級)
2013年 ハンガリー選手権(春季)優勝(69キロ級)
2013年 ハンガリー選手権(秋季)優勝(69キロ級)
2013年 ジュニアオリンピック カデットの部 優勝(69kg級)
2013年 世界カデット選手権 優勝(69kg級)
2014年 チェコインターナショナルトーナメント 優勝(69kg級)&大会MVP