06/09/19〜06/09/23 放送 バックナンバー
親や祖父母の思いを次世代に! 奮闘在日コリアン劇団
ゲスト:
劇団タルオルム代表・金 民樹さん


聞き手:
浦川泰幸アナウンサー
 
4世や5世に『堂々と生きていこうや』というメッセージを!
祖国への帰還に備えて手弁当で作った『国語講習所』
在日にとって北も南も同じ祖国『ワンコリア』
チョゴリを着ることが民族の誇りを育てるのか?
今回の舞台をソウルやピョンヤンでも公演したい!
 戦前、朝鮮半島から日本に移り住んだ在日朝鮮人の人々。戦後60年を経て今や日本の社会に完全に根付いている皆さんですが、一方で偏見や差別は依然として残り、拉致問題やミサイル問題など政治問題が起きるたびに厳しい批判の矢面に立たされます。そんな中、去年、関西在住の在日3世の若者が劇団を結成しました。戦後の混乱期を歩んだ在日朝鮮人の苦難の歴史、親や祖父母の思いを日本語と朝鮮語のお芝居で伝えたいと活動しています。今週は大阪の劇団・タルオルム代表の金民樹(キム・ミンス)さんにお話を伺います。
■4世や5世に『堂々と生きていこうや』というメッセージを!

 劇団「タルオルム」とは、朝鮮語で「月が出る」と言う意味だそうですが、在日3世の皆さんが中心なんですね?

 「1人だけ日本人の劇団員がいますが、あとは在日3世です」


 何故、在日3世の人が劇団を作ってお芝居をしようと思ったんですか?

 「伝えたいことがあって劇団を結成したわけです。もちろん皆お芝居が好きで、芝居仲間や公演仲間がお互いに欲しいなというのがあったんですけど、私たちが日頃思っていることをお客さんに伝えたいと思った時に、右や左を見て探したら同じ熱い思いを持っている在日3世が集まってきたんです。
 で、たまたまその時期に、他の企画のお芝居で舞台に立っていた日本の林さんとも出会いました。とても良い人で、林さんもハングルを学んでいて、劇団にとても関心があるというので、『林さんとなら一緒に劇団をやっていける』と思いまして、林さんを含めて7人で劇団を結成したんですね」


 今回公演されたお芝居『大阪環状線』は、戦後の混乱期の大阪で、在日朝鮮人の皆さんが自分たちの民族学校を作ろうとして、それをGHQが弾圧をするという状況が描かれていますが、劇団員の皆さんが伝えたいメッセージは何ですか?

 「一言で言えないんですけど、まず私は在日3世で、子どもは4世です。その4世や5世たちに背中を押してあげたいという思いがありました」


 在日4世、5世がこれから大人になっていく時に、どれだけ民族の誇りを持って日本という国で生きていけるのかということを、お芝居を通じて伝えたいと思ったわけですか?

 「そうですね。そう改めて言われると恐縮なんですけど、下を向いて歩かせたくない。
 朝鮮人としての誇りを持って生きていくというのは、別にたいしたことではなくて、逆に言うと全く後ろめたさがなくて当たり前なんですけど、日本人が『私、日本人やねん』と誰に聞かれても答えるのと同じように。
 でもこれまでの在日の子供たち、まあ朝鮮学校に通っている子供たちは朝鮮人の先生に朝鮮語の教科書で朝鮮の友達がいる中で育っているのでなんとなく天真爛漫に育っていると思うんですけれども、日本の学校で育っている朝鮮のルーツを持った子供たちは嫌な思いをしたり、『自分は何人だろう?』と思って悩んだり、全く自分が朝鮮人であることを親友にも打ち明けずに自分の胸の中に隠して、親に『何で朝鮮人のルーツで自分が生まれてきたの?』と問い詰めたりという境遇の子供が多いと思います。
 だから、とても自然なことですけど、『堂々と生きていこうや! そっちの方が楽しいやんか』という素朴なメッセージを私たちの姿を見て感じてもらえたらなと思います」

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■祖国への帰還に備えて手弁当で作った『国語講習所』

 戦後すぐに全国で200ヶ所くらい民族学校の前身の『国語講習所』ができたと聞いていますが?

 「日本の植民地時代に言葉と名前を取られてしまって全く日本人としての教育をされてきたので、終戦で祖国が解放されて『すぐ祖国に帰るぞ!』と1世が荷物をまとめ始めた時にふと子供たちを見ると朝鮮語が話せない、自分の国に連れて帰っても順応ができない、『これは一大事だ!』ということになりました。
 真っ先に思い描いたのは、子供たちにどういう教育をするかということでした。例えば帰国が3年後になっても2年後になっても、自分の国に戻って堂々と生きていけるように最低限の知識、言葉、文字が書けるように『学校』というたいそうなものではなくて、とりあえず空間を作らなければならないということになりました。
 それで、飯場をしていた人の事務所を借りたり、ちょっと歌を知っている人に音楽の先生になってもらったりして、朝鮮集落の中で出し合えるものを出し合って『国語講習所』というものを作ったんですね」


 今回のお芝居『大阪環状線』では、現代の朝鮮学校に通っている在日朝鮮人3世の女の子が、昭和23年の大阪にある在日朝鮮人の集落にタイムスリップをしてしまう。そして、国語講習所に行って民族教育を行おうとした時に当時のGHQや日本政府の弾圧を受けるという内容ですが、同時の朝鮮集落ではどんな生活をしていたかという事も結構取材したのですか?

 「そうですね。当時を知る70〜80歳のおばあさんたちに話を聞きに行ったんですけど、行った当初からおばあさんたちに泣かれまして。最初は話が先に進まなくて、私たちも辛すぎて話を聞けなかったんです」


 当時の苦労を思い出してしまったんですね?

 「でも不思議なことに、とてもパワフルに生きてきた人たちなので、話を聞きだして30分ぐらいすると、もうゲラゲラ笑いながら色々な話を聞くことができたんです」


 戦後すぐの昭和23年、物のない時代に言葉を学びたい、民族としての誇りを持ち続けたいという気持ちで国語講習所を作って前向きに生きる凄さをお芝居で感じましたけど、その当時の皆さんのパワーの源は何だったのでしょうか?

 「窓もドアもないどこかの空き地に、自分たちがとりあえず壁を作って、上に雨を凌げるものを置いただけの国語講習所の中で、木で作った机といすに子どもたちがみっちりと座って勉強している写真があったんですね。
 で、当時を知る皆さんに聞いたんです。『アー、ヤー、オゥ、ヨゥ、ウー、ユー』という、日本語の『あいうえお』にあたる言葉だと思うんですけど、その言葉を一所懸命に声に出して朝鮮の子どもたちが学んでいるのが聞こえたそうです。そうしたら、たとえお腹がすいていても、自分が今食べようとしている米を先生や子供に持っていってあげよう、その声が聞こえるだけで『自分たちの力になるんや』という話を聞きました。ああ、、パワーの源はこれなんだなと思いましたね」

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■在日にとって北も南も同じ祖国『ワンコリア』

 北朝鮮の政治的な状況が、在日の皆さんの生活にも影響しているのではないですか?

 「(朝鮮民主主義人民)共和国の政治的な問題が生活にどう関わってきているかというと、私は貿易をしているわけでもないので、たぶん胸の内でしょうね。自分の祖国の1つである共和国についての問題が、テレビとかでどんどん報道されてバッシングされて胸を痛めたり、『だから嫌やねん』と思ったり、国に対しての思いは色々ですね。
 私自身の考えは、共和国も韓国も自分の祖国と思っているので。悪くても良くても祖国なんですよ。で、その祖国を変える一員でもあるし。別に選挙権は無いんですけど、国家を作る1人であると思っているので、国に対する思い、国に対する愛情を私は変えたくないなと思っているんです」


 『ワンコリア』と言いますけど、その気持ちは皆さん強いんですか? 出身が北か南かという事はあまり関係無いんですか?

 「関係無いですね。出身と言っても、『おじいさん、おばあさんがどこから来たの?』ということになるので。
 私は韓国の済州島の出身なんですが、とても大好きで去年からどんどん行くようになって、『良かった、済州島の孫娘で』と思うんですけど、だからと言って『金さんは韓国人ですか?』と言われるとちょっと返答に困るんです。
 私の場合はなんですけど、領事館からもらった大韓民国のパスポートを持っているんですけど、韓国人ではないなと思うんですね。では朝鮮民主主義人民共和国の国民なのと言われても違うな、やっぱり在日同胞だなと。面白いですね。北側と南側と日本と、3つとも全部またいでいるような感覚で。
 だから逆に言うと心強かったりしますね。私は朝鮮学校でずっと学んでいましたけど、実は朝鮮学校は北朝鮮、朝鮮総連系の学校です」


 それは珍しい事なんですか? おじいさんが韓国の済州島出身の金さんが北の学校に通うというのは?

 「ややこしいんですけど、全然珍しいことではないですね。普通ですね。特に大阪に住む在日の8割ぐらいは、韓国の済州島出身の人なので。地理的に済州島と近いですから。船に乗ってぱっと来たという感じですよね」


 朝鮮学校の出身だからと言って必ずしも北の出身ではないということですね?

 「そうですね。東京とか北海道には北の出身者がいるというのは聞いていますけど、私が聞いた話では、日本にいる在日同胞たちのルーツは南が多いですね」

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■チョゴリを着ることが民族の誇りを育てるのか?

 今回の『大阪環状線』で訴えたかったメッセージは在日4世に伝わりますか?

 「実際、小学生や中学生の子供たちがあんなに来るとは思っていませんでしたね。本人の意志なのか親に連れられてきたのか解りませんが。でもFAXやメールも含めて、とてもたくさんのアンケートを芝居を見た後でいただいたので、それなりにメッセージは伝わったのかなと思います。
 お芝居では最初、主人公の少女ファミが、登校する時にチョゴリを着たくて着ているのに、それでも日本の大阪環状線の電車の中ではおどおどした表情になったり、あまり堂々としていないんですね。周囲の冷たい視線に目を反らして下を向いてしまうというそんなファミが、最後の場面で1世が生きていた戦後すぐの頃の熱い魂にタイムスリップして触れたためか、表情が堂々としたものに変わるんですね。
 私はおばあさん役でその様子を背後から見ているんですけど、役者としてはその主人公のファミに対する『ああ、何か変わったな。元気出して頑張って生きていけよ』という気持ちで演じているんですけど、その気持ちと同時に、お芝居を見に来ている子供たちへの思いが溢れてきて、涙が止まらなかったです。どうか引け目を感じず、可愛らしいチマチョゴリを着て堂々と生きていけよという。チマチョゴリを着るのにそんなにこだわりはないんですけど、朝鮮人として誇りを持って生きていってちょうだいねと思うと、私のほうが泣いてしまってボロボロになりましたね」


 主人公の少女ファミの友達の女の子もやはり在日朝鮮人ですけれども、今風のルーズソックスをはくような女子高校生ですよね。そのような在日の女子高生の方が今は普通なのですか?

 「普通ですね。今回のお芝居では演出上、主人公のファミだけにチョゴリを着せましたけど。
 実際チョゴリを刃物で斬られるという事件が北朝鮮バッシングの時期に増えるんですけれども、本当に『チョゴリを無くしてしまうべきではないか』という意見も多くて。日本で凶悪犯罪が増えていて子供を守りきれないと。犯罪のターゲットになってしまってからでは遅いという不安からですね。
 チョゴリを着ること、イコール民族の誇りを受け継いでいくことではあるんですけど、男子生徒はずっと昔から別に朝鮮の民族衣装で通学していたのではないので、それもどうかなと。女子生徒だけに民族の誇りという思いを、1世や2世、親や先生たちが押し付けてしまっているのではないかという論議もありますし、逆に子供たちが恐怖に怯えながらチョゴリを着ていくというのが、本当の民族の誇りを育てていくことになっているのかということもあるんですね。
 私はこういう性格なので、自分の2人の子供たちが大きくなったら『もちろん、チョゴリ着ていくんやで』と言うと思うんですけど、それもどうかな、極論かなとも思いますね。個人が生きていく上で心の芯になったら良いと思うだけなので、『たかがチョゴリ、されどチョゴリ』かなと。
 お芝居のラストシーンで、主人公のファミが友達に『あんたもチョゴリ、着ていくんやで』と言うんですけど、じゃあチョゴリを着ることが正しいのかと言うと、そうでもないですよね。お芝居を見てくれた人が一緒に考えてくれたら良いなと思います」

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■今回の舞台をソウルやピョンヤンでも公演したい!

 「私たちは今回、昭和23年当時の在日1世の生活を思い描きながら、細かい生活についての勉強会を開いたんですね。色々な人に話を聞きに行ったり、当時の残っている数少ない物を見たり。で、実はお芝居の最後で映像を流すための資料を集めた時に、その時の写真が無いんですね。何故無いないんだろうと思ったら、GHQに没収されていたんです」


 写真を集めるのが大変だったと?

 「大変だったですね。朝鮮学校に『写真を提供してください』と言うと、色々な貴重な写真を校長先生が『そんな良いことをするのならどうぞ持って行ってください』と貸してくれました。
 そのようにして資料を集めながら、歴史を刻んでいくこと、そして残していくことがこれほど重要なんだなと思ったことはなかったですね。
 今デジカメで写真をどんどん撮っていますけど、もしかして50年ぐらいしたら資料になるかも、削除せずに残しておくべきでないかと本当に思いましたね。
 当時の勉強している子供たちの笑顔、これだけでもどれだけ重要なのか」


 価値ありますよね?

 「本当に。ですから今回はお芝居のパンフレットは力を入れて作りました。このパンフレットも後世に残るでしょうから、孫たちが『じいちゃん、ばあちゃん、こんな活動してたんや、凄いね』と笑いながら見てくれたらどんなに楽しいかなと思って」


 韓国や北朝鮮の人はこの『大阪環状線』を見て、どう思いますかね?

 「去年知り合った韓国の済州島の劇団があるんですが、劇団ぐるみで本当に親しくさせてもらっています。私たちが済州島へ行ってワークショップをしたり、逆に彼らが大阪に来て10日間ワークショップを開いたりと、行ったり来たりの交流ですね。
 でも最初の頃は話が前に進まないんですね。『えっ、何、今の単語?』からお互い始まって。私たちも実は韓国の政治や経済、国に対してあまり良く知らない、勉強ができていないんですね。彼らも私たちの在日の民族学校についてよく解らない。無知な故に『へぇ、変わっているね』と言われて傷ついたり、逆に傷つけたり。ただ、血が同じなのか言葉が通じるからなのか、どんどん解り合えて情が行き交って、本当に同じ演劇を愛する仲間なんだな、もっと解り合いたいなと。
 それは済州島の劇団の人たちだけでなくて、まだ会えていないソウルや済州島に住む他の人たちに『私たちは日本でこう生きてきて、こういうルーツを持つ人たちなんだよ』ということを純粋に解ってもらいたいために、必ずこの『大阪環状線』を韓国で公演したいですね。韓国の人はあまり民族学校や在日朝鮮人のことを知らないので、解り合うためにソウル、済州島、それにピョンヤンでも公演したいですね」

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