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「必ず、治します」そのひとことが、どうしても言えない。 第2回<幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと>

幻冬舎plus 5月20日(水)6時0分配信

中山 祐次郎

 AKB48のメンバーなど著名人と直接交流できるスマートフォンのアプリ「755」をご存じですか。「755」で、一般ユーザーでありながら、著名人顔負けの人気者となった「藪医師(やぶいし)」。34歳独身、大腸がん手術が専門の現役外科医です。
その藪医師こと中山祐次郎さんが、初めての著書『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと〜若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日』を刊行しました。
 連日の手術、術前術後のケア、後輩の指導、論文執筆や学会発表など、若手医師の日常はとにかく過酷。その激務の合間を縫って、ときに眠れなくなり食べられなくなり涙しながらも、書かずにはいられなかったのが本書です。
 読売新聞の読書欄でも紹介され大きな反響を呼んだ本書の一部を、全3回でご紹介します。第2回は本文に間奏曲のようにはさまれたエッセイ「医者の見た夢」より。

 * * *

 あるご夫婦のお話です。

 七十歳少し手前のご夫婦は、その小さな個室で泣いていた。私は、黙っていた。

 二週間前、多くの医師が集う合同カンファレンスで、その患者さんについてのプレゼンテーションがあった。九州なまりの内科医が困った顔でプレゼンをしていた。

 「患者さんは○○さん、六十五歳男性。ちょっと問題のある方なのですが……」

 その患者さんのお腹のなかには握りこぶし大の謎の腫瘍があって、それが小腸に嚙み付いていて出血をさせているのだという。半年前から見つかっていたが、出血も痛みもないためとくに治療をせず様子を見ていた。

 しかし徐々に腫瘍は大きくなり、次第に便に血が混じるようになった。そして出血が多くなり、今では三日に一回は輸血しなければ危険な状態となってしまった。

 内科医は、CTを前のスクリーンに呈示しながら、続けた。
「ここに手拳大(しゅけんだい)の腫瘍を認めます。小腸のがんか、リンパ腫か、どんな腫瘍かはっきりしません。しかし小腸に浸潤(しんじゅん)しており、出血はこのためと思われます」

 「原因はなんなんだよ」
「この患者さんは手術には耐えられない」
「術中死(じゅつちゅうし)するぞ」
「そもそもこれががんだったら、手術をしてもすぐ再発して助からないのでは」
 侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が交わされた。

 この患者さんは、心臓がきわめて弱かった。おまけに昔、脳梗塞を何度もやっており、これだけ出血がひどくても、血を止まりにくくする薬「ワーファリン」をやめられない状況だった。

 結局のところ、議論はある外科医の一言で収束した。

 「切らなきゃ確実に失血死する。切ったら、もしかしたら助かるかもしれない。やろうよ」

 その二週間後。
 私は病棟の小部屋で、患者さんとその奥さんと三人で話していた。

 「手術をしなければ、おそらく三カ月はもたないでしょう。腫瘍が大きくなるスピードが速く、あと一カ月程度でお腹がぱんぱんにふくれ、食事はいっさいできず毎日吐きます。鼻からチューブを入れ、おそらく二度と抜けません。そして出血が続き、毎日輸血が必要になります」

 ご本人と奥さんの顔色がみるみる変わっていく。

 「では手術をしたらどうなるか。おそらく腫瘍は取りきれると思います。ですが、それ以外に問題があります。麻酔科の医師は、手術が終わっても麻酔から醒めないかもしれない、と言っています。また手術中に脳梗塞が起きたらアウトです。仮に生きていても、しゃべれなくなったり、手足にひどい麻痺が起きたりするかもしれません」

 私は続けた。

 「手術が終わって、麻酔から無事醒めたとします。そうだとしても、手術後数日以内に、心筋梗塞や脳梗塞が起きる可能性はきわめて高いのです。そして一度起きたら、もう助かりません。つまり、手術をした場合……」

 つばを飲み込もうとしたが、無駄だった。口のなかがからからに乾いていた。後頸部を汗がつつ、と垂れるのがわかった。

 「手術をした場合、高い確率で死亡します。死亡しなくても、まともに家に歩いて帰れる可能性はきわめて低い」

 さて、どうなさいますか。

 鉛のような沈黙が、部屋全体を包んだ。
 奥さんが、嗚咽(おえつ)をもらした。患者さんも、泣いていた。親子ほども年の離れた若い医者の言葉で、二人は静かに泣いた。
 私は、黙って待った。どのくらい黙っていただろうか。
 部屋にかかった時計の針の音が聞こえるようだった。私は、ぴくりとも動かなかった。

 「先生」

 患者さんが、口を開いた。

 「どうすればいいか、私にはわかりません」
「はい」
「手術をして数日以内に死ぬのであれば、私は苦しみながらでもあと三カ月生きたい。まだいろいろと準備があるのです」
 私は返事をしなかった。
「あなた、何を言っているの」
 泣いていた奥さんが、不意に涙声を出した。
「先生、切ってください。切らなければチャンスはないんですよね?  お願いです、切ってください」

 「でもお前……」
「あなた、お願いします。手術を、受けてください。お願いです」
 奥さんは、まるで仏壇に祈るように手を合わせて、夫に懇願した。

 また、みな黙った。廊下を看護師がぱたぱたと早足で歩いていく音が聞こえた。

 「私に任せてください。必ず、治します。生きて帰ってもらいます」
 そのひとことが、言えない。どうしても、言えない。

 言ってしまって、手術後すぐに死んでしまったらどうするのか。
 言わずに、患者さんが手術を諦めたら、血を流しながらそのまま死んでいくのか。

 俺はなんのために医者になったのか。なぜ俺はここで今、白衣を纏(まと)い座っているのか。俺は、本当に医者なのか……。頭の奥の血管を流れる血液に乱流が起きる。びゅうびゅうと音を立てて、心臓は血を拍出している。穴のないドーナツのような形の無数の赤血球が、脳内を駆け巡っている気がした。臆病と蛮勇の間で、外科医はいつも叫んでいる。声を出さずに。

 「○○さん」
 二人は、驚いて顔をあげた。
「正直に言います。私は、○○さんを手術するのが怖い。手術したら、死んでしまうかもしれない。こんなリスクの高い手術をやる外科医は、日本中どこを探したっていないかもしれません」

 「でも、もしあなたが私の父親だったら」
 患者さんと、目が合う。視線が交錯する。

 「父だったら、手術をします」
 精一杯の、言葉だった。

 「そこまで、言ってくださるんだったら、私は先生にいのちを預けたい。私は、勝負してみたい」

 手術が、決まった。「手術をしなければ三カ月以内に死亡します。手術をしても死亡する可能性がかなり高く、歩いて帰れる可能性はほとんどありません」と書かれた同意書に、サインをいただいた。

 そして手術の日が来た。

 「それでは、お願いします」

 メス。

 白い腹の皮膚。無影灯(むえいとう)が反射して、網膜に光が焼き付く。一瞬、目の前が見えなくなる。
 年の割には薄い皮膚にメスを走らせると、その途端ばばっと無数に出血する。臍(へそ)を割って、お腹が開いた。

 私は、努めて淡々と、冷静に執刀した。開腹して、腫瘍を腸ごと切除して取り出す。残った腸と腸を吻合(ふんごう)する。手術は一時間ちょっとで終わった。
 その日から、戦いは始まった。

 私は「この患者さんが、生きて歩いて家に帰ること」を目標にした。いや、夢にした。

 手術翌日。患者さんは?のように、
「いやあ、先生ありがとうね!  キズが痛むよ、生きてるっていいね!」
 なんておっしゃる。
「いえいえ、きょうからが本当の戦いですよ」と、笑顔で、本音を言った。

 私が切った彼の腹の皮膚は皮下出血で紫色になりはじめていたが、とくに問題はない。私は胸を撫で下ろした。
 日中は他の患者さんの手術があったため、夕方まで手術室から出られなかった。何かあったら病棟の看護師か研修医から手術室に連絡が入るため、私はなるべくその患者さんのことを忘れて目の前の手術に没頭した。

 夕陽が病室に射し込んで、カーテンもシーツも看護師の薄汚れた白いシューズも橙(だいだい)色に染める。ほんの数分の、橙の世界はすべての人を無言にした。
 疲れ切って、白衣に連れていかれるようにして病棟を歩く私は、もはや精根つきていた。目をつぶるとすぐに眠ってしまいそうだった。

 ナースステーションには寄らず、まっすぐにその患者さんのところに行く。
 きょうも、問題なく生きている。

 熱が出たり出血したら私に報告が来るはずだ。何も聞いていないのだから、大丈夫に決まっている。しかし、私はこの目で見るまでは信じられなかった。

 「中山、病院では“trust no one”だ。誰も信じるな。自分の目だけを信じろ」
 研修医の頃教えてくれた、ちゃらちゃらしたサーファーの救急医を思い出した。

 手術の三日後。私は彼の食事を開始した。
 それからみるみる彼は回復し、二週間くらいで内科に移った。
 そしてついに退院する日。
 私は手術前の慌ただしい朝、病室を訪問した。

 「○○さん!  きょう退院するんですって!」
「あ、先生」

 部屋には奥さんしかいなかった。奥さんは、みるみる泣きはじめた。
「先生、手術してくれて本当にありがとうございました。いのちの恩人です」
「本当に、本当によかった」
 あやうく涙がこぼれそうになった。
 そこに患者さんも入ってきた。
「ああ、先生!  いやあ、きょう退院しますよ!  なんだか元気になっちゃったよ!  ありがとね、またよろしくね!!」
「いや○○さん、こんな怖い手術は二度としませんよ」
 私は泣きながら、笑った。彼もまた、泣きながら笑っていた。
 夢は、叶ったのだ。

 私は手術室へと向かう階段を一段飛ばしで下りながら、白衣の袖で、涙を拭った。

 * * *

 本書にはもう1本、「世界一の優しさ」というエッセイが収録されています。こちらもちょっと悲しい、でも心洗われる一篇です。
 ぜひ本でお読みいただけると幸いです。

 *第3回は5月23日(土)に掲載予定です。


■中山 祐次郎
1980年、神奈川県生まれ。横浜で汽笛を聞きながら青春時代を過ごし、聖光学院中学・高等学校を卒業後、2年間の代々木ゼミナール横浜校での浪人生活を経て、国立鹿児島大学医学部医学科に入学、2006年に卒業。その後、がん・感染症センター都立駒込病院外科初期研修医・後期研修医を修了。現在は同院大腸外科医師(非常勤)として、臨床、研究、学会発表、研修医指導に多忙な日々を送る。参加手術件数は1年に233件(2014年度、NCD登録数)。資格はマンモグラフィー読影認定医、外科専門医、がん治療認定医。トークアプリ「755(ナナゴーゴー)」では「藪医師」の名で一般ユーザーとして最多ウォッチを誇る。

最終更新:5月20日(水)6時0分

幻冬舎plus

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