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 パプアニューギニアのニューブリテン島北部のラバウルは、かつて東ニューブリテン州の州都として最も栄えた街だった。太平洋戦争中に旧日本軍が戦略拠点を置いたことからわかるように、良港のシンプソン湾と背後の高地は、自然の要塞(ようさい)となっている。

 だが、「南太平洋の真珠」と呼ばるほど美しかったラバウルの街は、1994年9月に起きた火山の爆発で壊滅してしまった。州都は20キロほど離れたココポへ移され、2万人近かった人口は現在、数千人程度にまで激減。確かに今回、ラバウルの街中には人気がなく、泊まったのもココポだった。

 州都をまるまるのみ込んだ21年前の噴火とは、どんなものだったのだろう。当時、私は朝日新聞の名古屋社会部にいたはずだが、「ラバウルの大噴火」のニュースは覚えていない。朝日新聞のデータベースを見ると、当時のシドニー特派員は現地入りしなかったようだ。

 他の文献を調べてみると、二つの火山がほぼ同時に噴火したことがわかった。94年9月19日早朝、まずラバウルの南にあるタブルブル火山が噴火。この火山は二百数十メートルほどの低い山で、太平洋戦争中は旧日本軍から「花吹山」と呼ばれていたそうだ。

 その約1時間後、今度はシンプソン湾をはさんで街の南西側にあるブルカン火山(日本名・西吹山)が噴火を始めた。こちらの火山は海に近かったため、最高で5メートルの高さの津波が港の船や集落を襲い、被害が広がったという。

 二つの火山の噴火で、ラバウルの街には2~6メートルほどの火山灰が積もった。今回、旧日本軍の戦跡などを回って目にしたのも、分厚く覆った火山灰ばかりだった。滑走路があったという場所に行ったが、真っ平らな平地に草がところどころ生えているだけで、まったく当時の面影はなかった。

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