この役所で何をやるのか、しっかりとした位置づけが必要ではないか。国会で設置法が成立し、文部科学省の外局として10月1日に発足することが決まった「スポーツ庁」である。
文科省のスポーツ・青少年局を母体に、厚生労働省や国土交通省などの関連部署をまとめ、スポーツ行政を一元的に担うという。
縦割りを排し、ムダを減らしてスポーツに関する施策の効率的な展開ができるなら意味はあろう。国民がスポーツに親しめる環境づくりを求める声は強い。
しかし現段階では、スポーツ庁の大きな役割は2020年東京五輪・パラリンピックでのメダル量産に向けた司令塔のように考えられている。もともとあった設置構想が、おととしの招致決定で一気に現実化した経緯もある。
東京五輪での「金」は世界3~5位の25~30個、メダル総数では70~80個――。文科省がめざす20年大会での成績だ。ロンドン五輪での「金」7個、総数38個から考えても容易な数字ではない。
トップアスリート育成はスポーツ行政の大切な要素だが、こうした過大ともいえる目標のための競技力向上にばかり力を入れるのでは困る。こんどのオリンピックは戦後復興の象徴となった64年東京大会とはまったく違い、成熟国家で開く五輪だ。国威発揚やメダル至上主義から脱すべきである。
むしろ必要なのは、五輪をきっかけに高齢者も含めた市民スポーツの裾野を広げたり、文化としてのスポーツの魅力に光をあてたりする施策だろう。「金メダル庁」をつくって五輪閉幕後は先細りというのでは情けない。
障害者スポーツについても、同じことがいえよう。パラリンピックで活躍する、世界レベルの選手が日本には少なくない。しかしその背後には障害を持ちつつスポーツにいそしみ、生き生きと過ごす国民がたくさんいる。
そうした人々をきちんと支え、スポーツにも多様性を確保していく行政をこそ期待したい。