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大阪都構想 住民投票が残したもの

5月18日 23時59分

濱野太郎記者

「負けは負け。政治家は、僕の人生からは終了です」
大阪市の橋下市長が政治生命をかけて臨んだ、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う住民投票。結果は、「反対」が「賛成」を僅かに上回って多数となり、「都構想」は実現せず、大阪市は存続することになりました。
記者会見で、笑顔を見せながら敗北宣言した橋下市長。大阪で最大の政治テーマとなった「大阪都構想」とは何だったのか、また、今回の住民投票が残したものは。大阪放送局の濱野太郎記者が解説します。

行列ができる説明会

大阪市は、住民投票に向けて市民に都構想の内容を理解してもらおうと、先月14日から住民投票の告示前日の先月26日まで1日3回、市内各地で説明会を開きました。大阪市の橋下市長も、連日、説明会に出席しました。
今回の住民投票は「大都市地域特別区設置法」に基づいて全国で初めて行われたものだったこともあり、大阪市も投票率を上げる取り組みを強化しました。

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説明会は合わせて39回開かれ、延べ3万2000人余りの市民が参加しました。
私が驚いたのは、市民の関心の高さです。どこの会場でも、入りきれないほどの行列ができていました。

「大阪都構想」とは

「府」と「市」を合わせて「ふしあわせ」。大阪府と大阪市の二重行政を皮肉ったことばです。このことばに象徴されるように、大阪府と大阪市の二重行政を巡る問題は、長い間、議論されてきました。 これを解消するために、5年前、当時、大阪府知事だった橋下氏が打ち出したのが、「大阪都構想」です。

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「都構想」は、政令指定都市の大阪市を廃止して、東京23区のように教育や福祉などの住民サービスを担う5つの特別区に再編。地下鉄をはじめとした交通網の整備など、大阪全体に関わるような広域的な業務は府に移し、住民票の交付といった窓口業務や、生活保護など、住民に身近な行政サービスは特別区が担うというものです。

将来の発展か? 今の安定か?

都構想を推進する大阪維新の会の代表、橋下市長は、「50年後に大阪を光り輝く街にするための土台をつくりたい。大阪の未来のための、これがラストチャンスだ」などと訴え、将来の大阪の発展に重点を置いた演説を繰り返しました。
これに対して、反対した自民党などは「都構想が実現して、大阪市がなくなれば、市内一律の住民サービスは低下する」と、有権者の暮らしに重点を置いた訴えを展開したほか、高齢者などには「少しでも迷いや不安があれば、反対してほしい」と呼びかけました。

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異例のPR合戦

一方で、今回の住民投票は、賛成と反対を呼びかける運動の自由度が高いことが特徴でした。運動に使う費用にも制限がありませんでした。
維新の会は、橋下市長が登場するCMを連日のように放送したほか、「CHANGE OSAKA!」と、賛成を呼びかけるTシャツを作って販売するなど、イメージ戦略を展開。つぎ込んだ費用は、実に4億円を超えたと言います。

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一方、自民党は、国会議員や地方議員から資金を募ってCMを制作しました。
また、反対派は、「WE SAY NO!」という共通の合言葉を作るなど宣伝合戦となり、大阪市内を二分する運動となりました。

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厳しさを認識した橋下氏?

投票日まで残り1週間となった5月10日。橋下市長は、家族連れなどでにぎわう市内の公園で街頭演説を行いました。
演説が終わり、1人の女性に話を聞くと、「橋下さんや維新の会は応援してるけど、都構想が実現すると今の生活がどうなるんか、分からへん」と話していました。
橋下市長は投票日の3日前、「有権者は安定を求めるところが大きく、将来の変化の話はストンと落ちないところがあるのではないか」と話しました。橋下市長は、このころには、自分の訴えが有権者の心に響いていないのではないかと感じ取っていたようです。
また、運動の途中、昼食に立ち寄った店先で、別の客から「都構想の内容が分からない」と声をかけられ、橋下市長は昼食もそこそこに、一から「都構想」を説明していました。
テレビの討論番組に出演するにあたっては、発言の制限時間内に、どうやったら分かりやすく視聴者に伝えられるかを考えながら、自宅や移動中の車内で時間を計りながら何度も原稿を読み直していたといいます。
投票日前日の夜、橋下市長が街頭演説の場所に選んだのは、大阪ミナミのなんばでした。
ここは、橋下市長が7年前に大阪府知事選挙に立候補したとき、初めて演説した場所です。演説の内容も、政治家としての7年間を振り返るものでした。
このあと、橋下市長は周辺に「反対多数になるかもしれないと思って、これまでの感謝の気持ちを込めて演説した」と話したそうです。

賛否の行方は

そして投票日、5月17日。今回は投票日当日の運動も認められていたことから、投票所の前では賛成派と反対派が、訪れる市民に対し、午後8時の締め切りぎりぎりまで呼びかけました。
開票の結果は、▽「反対」70万5585票、▽「賛成」69万4844票。「反対」が「賛成」を1万票余り、得票率で見ると僅か0.8ポイント上回りました。
「都構想」は一定の賛同を得たものの、「大阪市の存続」を求める声も根強くありました。
これによって大阪市はそのまま存続することになり、橋下市長が掲げた「大阪都構想」は実現せず、5年にわたる議論は決着しました。

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「橋下市長に頼り切った」

維新の会の幹部の1人は、投票日の翌日、「今さらながら、橋下市長1人に頼り切ってしまったことを情けなく思う」と話しました。今回の住民投票も、橋下市長が中心になって運動を展開すれば負けるはずがないと思っていたと言います。
一方で、自民、公明、共産、民主の4党の結束の強さも目につきました。大阪では維新の会が誕生して以降は珍しいことではありませんが、今回、この4党は「橋下市長を政界から退場させよう」と取り組みました。
この結束は、裏を返せば、橋下市長がいかに人気があるかを示しているとも言えます。

政界引退へ

住民投票の結果を受けて、橋下市長は、大阪府の松井知事と共に記者会見に臨みました。

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橋下市長は時折、笑顔を見せながら、「僕自身に対する批判もあるだろうし、説明しきれなかった僕自身の力不足だと思う。今の市長の任期まではやるが、それ以降は政治家はやらない。政治家として負けは負け。政治家は、僕の人生からは終了だ」と話しました。
また、みずからを「敵をつくる政治家」と評し、「求められる時期に必要とされて、いらなくなれば交代だ。権力なんていうのは使い捨てが一番いいんだ」と橋下流の政治家論も展開しました。

住民投票が残したものは

橋下市長は、7年前の大阪府知事就任以降、歯に衣着せぬ型破りな言動で、大阪政治の「常識」や「慣例」を壊してきました。
この7年、大阪政治の中心に居続けた橋下市長が政界から引退する意向を表明したことは、大阪政治にとって大きな節目となりました。
一方、今回の住民投票の投票率は、66.83%。140万人余りの有権者が、投票所に足を運びました。
先の統一地方選挙では投票率の低迷が話題となりましたが、今回の住民投票は、地域の住民に対して政治参加を促すとともに、政治に対する関心を喚起したことは間違いないと言えます。

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また、橋下市長が解消を訴えた二重行政は、大阪市に限ったものではなく、各地の政令指定都市で議論されています。
背景には、政令指定都市制度ができて、およそ60年がたち、人口減少や少子高齢化といった社会構造の変化があります。
そうしたなかでの今回の住民投票は、大阪市をはじめとした全国の大都市行政の在り方に一石を投じたとも言えます。


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