よく、困難や障害は神様があなたに与えた試練。あなたなら乗り越えられると、与えられた試練。こういう言葉をよく耳にしませんか?
なんだよその試練!? だいたい、世界人口は何十億人もいるのに、神様が一人一人見ているっていうのか? いねぇだろそんな暇人な神様。
私はこういった類の綺麗事が嫌いです。確かに、そう思わないと精神的にやっていけないところはあるのでしょうけれど、それこそ「神様」とかいう存在を偶像崇拝している時点で新興宗教的な考え方をしているわけですよ。
だったら何で生まれたばかりで難病を抱えて死んでいく子供がいるのか。例えばアフリカと日本と比べて、明らかにアフリカのほうが試練何度が高いのか。神様とやらは気まぐれで、
「この地域の人達ならこのくらいの試練は乗り越えられるだろうから、集中的に試練を与えよう!」
とか考えて、試練にも地域差を与えているのか?
試練の与え方、めちゃくちゃだろ!!
慰める為の言葉なのだろうけれど
こういった言葉は困難や障害に立ち向かっている人に対しての慰めの言葉なのだろうけれど、こんな言葉いらないんっすよ。
例えば私なら重度の身体障害を抱えさせられたわけですが、神様とやらは私なら乗り越えられると思ってこの試練を与えたというならば、人選ミスだよ!
何度も死にかけてるよ!!
そもそも、宗教は信じるものは救われる。信じている時点で偶像に心を委ねて気持ちが楽になるから救われる、わけですよ。でもそれは根本的に解決して救われているわけではない。
だから、そんな偶像を信じていない人間はそもそも救われないんですよ。
だいたい、そんなものから救って欲しいと思っていません。だって偶像ですからね。(ちなみに私はこれでも仏教系の私立高校に通っていました。笑)
ハッキリ言うと、例えば病人なんかに話を絞ると、自分が例えば難病だったとして、その治療法が確立されていなければ、困難や障害を乗り越える、とかいう話以前の問題。本人がどう頑張っても治療法がなければ、奇跡でも起きない限り病気は治らないんだよ。
「神様が与えた試練」とかいう綺麗事で解決出来ると思うな!!
最後に
夢を見ることは大切なこと。希望を持つことは大切なこと。でも困難や障害に立ち向かっていくのに必要なことは、
「現実から目を逸らさずに、直視すること」
です。
神様が与えた試練なんてありません。あなたなら乗り越えられるって、乗り越えられずにどれだけの人が年間に自殺していると思っているんだ。
最初にこの言葉を考えた人は無責任だと思う。きっとその人は自分が病気だったり何かしらの困難に遭遇していなかったのかもしれない。それか、もの凄い困難に遭遇してしまっていて精神的にやられてしまって、神様とやらを藁をも掴む思いで偶像に助けを求めたのかもしれない。
でもね、そんなものが自分を救ってくれることはまず無い。自分が困難や障害にそうぐうしてしまったのは、運が悪かったのと環境がそうさせたからだ。
現実を直視出来ない人間は、どんな苦労も困難も障害も乗り越えることなんて出来ない。必要なことは、繰り返し書くけれど、
「現実から目を逸らさずに、直視し、そして立ち向かうことだ。」
だいちゃん(∀)