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本門戒壇の大御本尊

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2014年10月23日(木)23時13分37秒
  通報 編集済
  みなさん、こんばんは。


太ちゃんさん、レスします。宜しくお願いいたします。



>いくつか論点がありそうだが『教学レポート』からは御本尊の扱いについて述べられている。まずはこれから自分なりに述べてみようと思う。
いわゆる宗門の『本門戒壇の大御本尊』と学会の『創価学会常住御本尊』との関連性の定義で教学部と上層幹部とで「意思の違い」が展開されている。<




三宝の問題ですよね。


人宝・・・日蓮大聖人

僧宝・・・日興上人

法宝・・・大御本尊






>御本尊論は、学会の会則を変更して宗門の『本門戒壇の大御本尊』には功徳が無いから『創価学会常住御本尊』を日蓮大聖人様の大御本尊と同等のものとしてしまうべき、という会長・副会長クラスの言い分と、教学部による『無理・矛盾の指摘』がなされている。<




上層幹部の論拠は、戸田先生の「創価学会の歴史と確信」に依拠しているのだと思いますよ。


以下、転載。






昭和二十年七月、出獄の日を期して、

私はまず故会長に、かく、答えることができるようになったのであった。

「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布するべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」と。

この自覚は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、

いまだ学会自体の発迹顕本とはいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない。

しかるに、今度は学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始し、

次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。

「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかかげたる大御本尊を唯一の誇りとする。而して、日蓮大聖人のお教えを身をもってうけたまわり、忠順に自行化他にわたる七文字の法華経を身をもって読み奉り、一切の邪宗を破って、必ずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、故会長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります」

この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫(びまん)しつつある。

これこそ発迹顕本であるまいか。この確信に立ち、学会においては、

広宣流布大願の曼荼羅を、六十四世水谷日昇上人にお願い申し上げ、

法主上人におかせられては、学会の決意を嘉(よ)みせられて、

広宣流布大願の大御本尊のお下げわたしをいただいたのである。

七月十八日、入仏式をいとなみ、

七月二十二日、学会全体の奉戴式が九段一口坂の家政女学院の講堂に、

法主上人、堀御隠尊猊下、堀米尊能師ほか数名の御尊師のご臨席を仰ぎ、

学会の精兵は集いよって壮大に営まれたのである。

発迹顕本せる学会は大聖人のお声のままに大大活動にはいったのであるが、

前途多難はまた覚悟のうえであるが、

われわれがいかに位が高いかを確信すれば、ものの数ではないのである。

すなわち、われら学会人の位は、大聖人より次のごとく評されている。

「此の人は但(ただ)四味三教の極位(ごくい)並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏(い)・厳(ごん)・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出(しょうしゅつ)すること百千万億倍なり、請(こ)う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ねれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熙連一恒(あにきれんいちごう)の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓(むつき)に纏(まと)われ大竜の始めて生ずるが如し蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ)」『四信五品抄』(御書全集342頁)と。

この御真文を拝しえた学会人は、偉大な自覚に立ち、東洋への広宣流布を大願としたのである。

しかも、立宗七百年を迎うるにあたり、一大決意のうえ、

実践運動にとりかかった会員は勇気に満ちみち、

一糸乱れざる統帥のもとに、厳たる組織のうえに、足並みそろえて大折伏に行進しだしたのである。

創価学会のごとき団体が、過去七百年の間に、どこにあったであろうか。

各理事、各部長の勇敢なる闘争心、続く負けじ魂の各会員、

講義に、折伏に、火の玉のごとき状態である。
(昭和26年 大白蓮華より)






>それで、さらに会長・副会長クラスの言い分としては先生の意向だ、ということらしい。『先生』とはいうまでもなく『池田大作名誉会長』であるわけだが。まぁ、先生の意向だ!という幹部連中の話に『違和感』を感じる学会員は先生の思想を生命でしっかりと受け継いでると自覚していいだろうと思う。教義上でも実際の信仰においてもこれでは『おかしくなる』と直感するのが『信心』を体感的にしっかりと理解してる者の感じることであるから。<




血脈が信心であると言う池田思想と矛盾するからですね。





>まず曼荼羅について。
日達のでも日寛のでも学会は曼荼羅として会員へ授与してきている。
『功徳』の点では会員へ授与してる本尊でも『本門戒壇の大御本尊』『創価学会常住御本尊』のいずれも等しい。
ただし「条件付き」で。<



では、日蓮宗の御真筆の文字曼荼羅はどうなるのですか?宗門はこれを認めていないし、学会教学に至っては論究さえないのです。




>ただ『信心』がキーとなり功徳を生じさせる。要するに曼荼羅という『モノ』ではなく、こちらの『一念』と曼荼羅しだいで功徳を引き出せるシロモノなのだ。そのために必要な『モノ』というだけで、それが『本門戒壇の大御本尊』『創価学会常住御本尊』というだけなのだ。<



だったら、鰯の頭でも路傍の石でもいいんですよね。あくまで例えですよ。





>上層部の話からは『信心』が全くわかてってない様子がみてとれてしまう。
宗門の信仰には『一念』が全く違う。『即身成仏』を目指した信仰ではなく、法主自身を実際の信仰対象としてるから『功徳』が生じないということなのだ。そんな初歩的な認識すら会長・副会長クラスはしてないのであろうか。これではむしろ『創価学会常住御本尊』でも会長・副会長クラスの幹部には『功徳』など生じないであろうな。<



血脈相承をどう見るかです。二箇相承は、偽書だという指摘もある一方、やはり、大聖人は日興上人に法を相伝されたという研究も多い。


宗門の血脈は切れています。


だから、僧宝は、日興上人でないと法論で勝てないのです。




>それで、追伸だが。
この御本尊の定義の騒動でひとつ見えてくるものがある。
宗門の『本門戒壇の大御本尊』は、会長・副会長らにとっては『正しいもの』であるから『目の上のタンコブ』なのだ。
このぐらいはおそらく『心ある学会員』にも察しがつくだろう。<




大聖人の出世の本懐について。以下、創価学会公式サイトから転載します。

日蓮大聖人の身延入山後に、駿河国(現在の静岡県中央部)の富士方面では、日興上人が中心となって折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧侶や信徒が、それまでの信仰を捨てて、大聖人に帰依するようになりました。
そのために、地域の天台宗寺院による迫害が始まり、大聖人に帰依した人々を脅迫する事件が次々に起こりました。
弘安2年(1279年)9月21日には、熱原の農民信徒20人が無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されました。農民信徒は平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取り調べを受け、法華経の信心を捨てるよう脅されましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。
そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残る17人は居住する地域から追放されました。この弾圧を中心とする一連の法難を「熱原の法難」といいます。
農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された聖人御難事で、立宗以来「二十七年」目にして、「出世の本懐」を遂げられたと宣言されました。「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的という意味です。
そして、弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。
熱原の法難において、民衆が不惜の強き信心を表したことこそが、大聖人の大願である広宣流布成就の根本要件なのです。
また、この法難において、大聖人門下は異体同心の信心で戦いました。特に、21歳の青年・南条時光は同志を守るなど活躍しました。
http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/nichiren/07.html


以上、転載、終了。


確認のために、御書をあげます。


聖人御難事

/弘安二年十月 五十八歳御作
与門人等 去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷・今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。
法華経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」云云、釈迦如来の大難はかずをしらず、其の中に馬の麦をもつて九十日・小指の出仏身血・大石の頂にかかりし、善生比丘等の八人が身は仏の御弟子・心は外道にともないて昼夜十二時に仏の短をねらいし、無量の釈子の波瑠璃王に殺されし・無量の弟子等が悪象にふまれし・阿闍世王の大難をなせし等、此等は如来現在の小難なり、況滅度後の大難は竜樹・天親・天台・伝教いまだ値い給はず・法華経の行者ならずと・いわば・いかでか行者にて・をはせざるべき、又行者といはんとすれば仏のごとく身より血をあやされず、何に況や仏に過ぎたる大難なし経文むなしきがごとし、仏説すでに大虚妄となりぬ。
而るに日蓮二十七年が間・弘長元年辛酉五月十二日には伊豆の国へ流罪、文永元年甲子十一月十一日頭にきずをかほり左の手を打ちをらる、同文永八年辛未九月十二日佐渡の国へ配流又頭の座に望む、其の外に弟子を殺され切られ追出・くわれう等かずをしらず、仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、http://www.sokanet.jp/kaiin/gosho_search/page.php?n=1189



大聖人の出世の本懐を弘安2年10月12日の大御本尊の御図現とするのは、当時の資料を詳細に調べると、かなり無理があるのです。


学会の公式サイトの記述に、既に綻びがあるのですが、身延から日興上人があの巨大な板曼荼羅を大石寺に搬入するのは、かなり難しいと一般常識でも分かりますし、あの板曼荼羅が、出世の本懐とするのは、日蓮正宗だけの教義であり、その根拠とする聖人御難事の記述が、既に現実的ではないのです。


また、様々な伝承や当時の資料から、大石寺の板曼荼羅が、大聖人の出世の本懐ではないという研究は多いのです。日顕だけが疑義を述べているわけではないのです。


日蓮宗は、大聖人の出世の本懐の意味は、弘安2年までの様々な法難の中にあるという立場らしいのですが、日蓮宗の本尊雑乱や身延の観光化など、血脈たる信心がないのは、明明白白ですから、論外に値するのですが、出世の本懐の意味は、衆生の機根が整った事、特に、熱原の法難による農民信徒の殉教による門下の生死の自覚、弟子である日興門下の地涌の菩薩としての使命の自覚によると読解するのは自然だと思います。


使命の自覚とすると人の心かと言う。

法宝は、胸中の肉団には出来ないのです。人の心が御本尊では教学そのものが成立しないのです。



信心第一は、普遍的で異論はないのですが、御本尊の意味付けがなくなります。


逆に言えば、内得信仰でも信心があれば、功徳も歓喜もある。なまじ、大御本尊が近くにあるよりも、求道心が強いだけに、結果が出ると思います。


戸田先生は、獄中で悟達したわけですが、勿論、獄中に御本尊はない。数珠もないから牛乳瓶の蓋で数珠を作って唱題した。化義ではなく、心であり信心が重要である証左でしょう。


草創の創価学会の歓喜と功徳は有名ですが、仏壇はなく、みかん箱に御本尊を安置していた草創の同志も多い。


仏壇はともかく、では、御本尊は不要かというと、そうではない。


信心の自覚や覚醒、使命や誓願に不可欠な御本尊です。勿体無くも幸福製造機ですよ。戸田先生は、これを最下層の貧乏人や病人に配って、民衆を救済しようとした。

戸田先生は正に菩薩行をやられたんですね。


だから、法宝は、御本尊でないといけない。


大御本尊とする所を、どう記すか、これは弟子が智慧を出し合って、日蓮仏法の再定義、普遍性の昇華をやらないといけません。





>僕はそれに加えてもうひとつ述べたい。
『本門戒壇の大御本尊』は正しいモノであるゆえ、『本門戒壇の大御本尊』は会長・副会長らには『池田先生』をも同時に『象徴』している様子がみてとれる。<



池田先生は、日蓮大聖人ではない。その論理は通用しませんよ。



>つまりは、先生からは『功徳』が得られないような『行状』を今までしてきた、と述べてるのも同然であるが、そう感じるのは僕だけであろうか?<




教学部が、最高幹部に反発した忘備録と見るのが自然です。


それと、幹部腐敗は、分けて考えた方が混乱しないと思うのです。


 
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