教育

【教育】 4/11 インクルーシブ教育セミナー 報告 ~障害のある子もない子も共に学ぶ教育を~ 医療的ケアが必要な児童の地域の学校への就学を推進しよう

4月11日、宝塚市西公民館において表記のセミナーが開催された。開催の大きなきっかけは宝塚で今春、地域の小学校への就学を希望する大谷茉愛ちゃんの就学問題である。

 

■宝塚市で初めての人工呼吸器を利用した児童の入学~これまでの経過~

茉愛ちゃんは、脊髄性筋委縮症の障害を持ち人工呼吸器を利用する児童。4月8日、地域の高司小学校への入学を果たした。しかしそこに至るまでには、ご両親とも話し合い、昨年12月から宝塚市教育委員会との話し合いを何度も行い、3度も市長と面会し要望を行うなど簡単な道のりではなかった。

最初から地域の学校を希望する事を伝えていたが、就学指導では「養護学校が適当」と判定された。「地域の学校でも体制が整えば何の問題もありません」との主治医の判断があるにも関わらず、「地域の学校では感染の恐れがあるから」・・・これが理由である。話し合いの場で宝塚市教委の担当者は誇らしげに「養護学校は無菌状態ですよ」と言う。そんなことはあろうはずもない。感染の恐れを心配していては家でも地域社会でも生活は送れない。今回のセミナーでも何人もの人工呼吸器を利用する児童が地域の学校、あるいは定時制高校での生活を送っている報告が行われ、また、大阪府下では100人以上の児童が地域の学校で学んでいる。あたかも本人のためと言わんばかりの就学指導だが、本当の理由は、実際に茉愛ちゃんが地域の学校に通えば、痰の吸引、経管栄養、等の医療的ケアや全面的な介助が求められ、具体的には看護士を配置する事が必要になるからである。養護学校ではすでに複数の看護士がいる、だから「養護学校に就学する事が望ましい」という判断なのだ。

看護士配置は、当然予算にも関わる事になるためも市教委担当者だけでは時期的にも押し迫っていたため判断が難しいだろうと、私たちは市長に直接要望した。今回ゲストにお招きした名古屋の林京香さん・ご両親も名古屋市長に直接面会し、市長の決断もあり名古屋市独自で看護士配置が実現された事も参考にさせていただいた。しかし宝塚市長は最後まで「予算の関係上、明言はできない。難しい」と回答した。茉愛さんの入学は実現したものの、今なお多くの課題が残されている。

8日には入学式を迎え学校生活もまだ数日間しか経ていないが、セミナーで茉愛さんのお母さんは、「クラスの中に茉愛がいることで、同じクラスの子が注目してくれ、色んな事を話しかけてくれる。地域の学校を選んで本当に良かったと実感しています」と、嬉しそうに報告されていた。私たちは今後とも茉愛さんが安心して学校生活が送れるよう、その体制整備を宝塚市教委に求めていきたい。

 

■京香さんの就学の取り組み~バクバクの会との出会いを通じて~

人工呼吸器を利用する児童の地域の学校への就学は宝塚市では茉愛さんが初めて。阪神間でもこれまでも親がずっと付き添うという形でしか入学は認められなかった。兵庫県内では、淡路市が2名の看護士を非常勤職員として市教委が雇用し地域の学校で2名の児童の支援が行われ、他にも複数の市町で実施されているが、大阪や愛知に比べ大きく立ち遅れている。

今セミナーでは、名古屋市の林京香さん、ご両親をゲストに招き、また「人工呼吸器をつけた子の親の会/バクバクの会」にもご協力をいただき、大阪からも多くの人工呼吸器をつけた当事者、親、支援者の方にも参加していただき、先進的な取り組みを学ぶことにより、宝塚だけでなく阪神間、兵庫県下の障害児の地域の学校への就学が推進されるよう開催した。セミナーでは主催者あいさつ、経過報告、茉愛さんのお母さんからの挨拶に続き、林京香さんのお父さんのミニ講演が行われた。

林さんも、特別支援学校の方が良いのかどうかと最初は迷われた。しかし、「バクバクの会」と出会い、地域の小学校、中学校、高校に通い続け、現在24時間ヘルパーの支援を受けながら自立生活している尼崎の平本歩さんや大阪府箕面市の折田涼さんの生き方を見て、地域の学校へと決断され、バクバクの会を通じて名古屋/愛知の障害者団体を紹介され、支援を受け、名古屋市長との面会や多方面の集会でもアピールをされ、入学前も入学後も交渉・集会と休む間もない日々を送られ、ようやく入学を実現できた。

 

■障害児である前に1人の子どもとして~学校全体での支援~

林さんは入学後の学校での生活を写真で紹介しながら説明された。

○「京ちゃんは障害児である前に1人の子ども」

○「京ちゃんは基礎疾患はあるけれど、病気ではない 病人ではない 入院患者でもない。ありのままが京ちゃん個人」

○給食、掃除、休み時間、避難訓練の説明、年間の行事の確認。アレルギーの確認、行事にどういった場面がありどのような配慮が必要かを話し合うこと。

○1学期は、医療的ケアの方法や、京香とのコミュニケーションの取り方、学習への補助の仕方など付き添いをしながら看護師さんへ引き継ぎ。1年生時は給食の時間と看護師さんの休憩時間のみの付き添い。○「引き継ぎ、事前の話し合いリハーサルの重要性」

遠足、運動会、学芸会、それぞれの行事への参加、それは周囲の大人が勝手に考えるのではなく、京ちゃんの目線に立ち、子ども同士の関わり合いを中心に考えること、また名古屋市では「看護介助員」として、医療的ケアだけでなく車椅子を押したり学習支援も必要な支援だが、当初の看護士さんからは拒否されたり、男性であったためオシメ交換等に問題があった苦労も報告された。また、何かある度に親の付き添いを求められ、ご両親とも働かれている中、「もう行きません」と宣言され、校長・教頭・学年主任らが緊急対応の研修を受けるなど、医療行為ではなく、生活支援行為としての位置付けの必要性を話された。

また、「看護士さんの休憩時間」「ミキサー食の調理」は現在もお母さんが学校に出向かれ、まだまだ課題があることなどが報告された。そしてお父さん自身、京香さんの就学を通じて、障害者権利条約、障害者基本法、差別解消法の理念を学び、一緒に教育を受ける事は権利なんだ、文科省や教育委員会は特別支援教育を「インクルーシブ教育システム」と言うが、極めて不十分であり、しっかり監視していく事を強調され、話を終えられた。

 

■各地から参加していただいた皆さんからの発言

林さんの講演に続き、大阪府を中心に多くの当事者・保護者の方から発言を頂いた。

○大阪府大東市・・・今春、小学1年生に入学。先輩のお母さんに聞き入学の3年前から小学校、教育委員会に「地域の学校に行かせたい」と言い続けてきた。現在、常時2名、計3名の看護士が配置されている。給食のミキサーを誰がするのかでもめたが、現在は介助員がしている。今もめているのが「依頼書」。「看護士が不在の場合の医療的ケアについては教職員に求めない」とあり、それでは親が行かなければならず、それには応じられないと交渉中。

○大阪府枚方市・・・地域の学校に行けると思っていなかったので小学校は特別支援学校に行ったが、遠く、親が付き添わなくてはならず、実態もひどかった。バクバクの会と出会い、中学から地域の学校に通学。しかしなんでこんな子供が来るのかと先生が無視したり、対応はひどかったが、それも含め本人は気に入り行き続けた。高校にも行きたいと全日制は不合格、定時制高校に今春入学した。

○大阪府高槻市・・・現在、小学2年生。お母さんは特別支援学校に行かせると決めていた。しかし一応、地域の学校にも挨拶をしておこうと訪ねてみると、「なぜ地域の学校に来ないのですか」と何度も勧められ、良い意味で「悩んだ」。そこまで言われるならと地域の学校に決めたら校長から「よく来てくれた」と喜ばれ、担任も進んで引き受けてくれ、運動会でみんなが行うけん玉も手作りの物を作ってもらった。しかし現在、ミキサー食をどうするのかで足ふみ状態で交渉中。

○兵庫県西宮市・・・人工呼吸器は使用していないが胃ろうにより経管栄養の医療的ケアが必要。来年小学校に就学予定。地域の学校に行かせたい。学校に挨拶に行くと「難しいですね・・・」と嫌な顔をされた。市教委にも話しをする。昼食時だけの支援ならできるのではと前向きな姿勢を示してくれたが、どうなるのか分からない。

そして、保護者に続き、当事者として尼崎の平本歩さん、箕面市の折田涼さんから発言していただいた。お2人とも地域の学校で学び続け、現在、親元を離れ24時間の介護支援を受けて自立生活を行っている。平本歩さんは以下のように発言し茉愛さんにエールを送った。

「皆さん、こんにちは。平本歩です。24時間人工呼吸器をつけています。4歳の時に退院後、地域の保育園、小学校、中学校、高校と通いました。大学受験をしたけど失敗し予備校へ通いました。9年前、主な介護者だった父が亡くなり、現在は卒園した保育園で講師をしたりバクバクの会(人工呼吸器をつけた子の親の会)の編集長をしたりしてます。又、一人暮らしもしてます。私には痰の吸引や呼吸器管理や経管栄養がある為、小学校から高校まで父が付き添いをしてました。市の教育委員会と交渉をしましたが、付き添いは外れませんでした。しかし、中学3年生の写生会では親の付き添いなしで行ったという例外もあり、嬉しかったです。籍は障害児学級籍でしたが、全ての学習や生活はすべて普通学級でしました。友人と遠足や修学旅行へ行けて楽しかったです。

大谷まなちゃん、入学おめでとう!友達を沢山作って楽しい学校生活を送ってね。以上です。」

 

■改めて思うこと

私自身、バクバクの会の皆さんとご一緒したのは初めて。人工呼吸器を付けているというだけで、福祉からも切り離され医療の対象としか見られなかった・・・まして地域の学校なんて、そんな声に包囲され、24時間親が介護しなければならない、皆さんそんな厳しい状況にありながらも、教育委員会や学校と、時に激しく交渉しながらの日々、それでも集会ではみんな元気に発言されていた。何より仲間とのつながりが元気の源にあり、本人の声を聞き、本人を中心としたあるべき支援に徹すること、そんなことを改めて感じました。また、それぞれの就学支援を通じたネットワークが形成できるよう、微力ながら障問連として取り組んでいきたい。

 

 

人工呼吸器をつけた子の就学と親の付き添い

平本美代子(人工呼吸器をつけた子の親の会/バクバクの会)

 

■はじめに

人工呼吸器をつけた大谷茉愛ちゃんが、宝塚では初めて地域の小学校に入学することになりました。茉愛ちゃんやご家族にとってとても嬉しいことだと思います。

ご両親は、地域の学校に行ってたくさんの友だちをつくりたいという茉愛ちゃんの願いを叶えるため、また、茉愛ちゃんがみんなと共に学ぶための環境を整えてあげたいと教育委員会との話し合いを続けてこられました。そして、ようやく地域の高司小学校への就学通知を手にすることができました。しかし、入学は決まったものの、看護師の配置が十分ではなく、親が付き添うことになる可能性も大きいと聞いています。また、入学後も共に学ぶための合理的配慮や環境を整えること、学級籍等について、教育委員会や学校との話し合いが継続されることと思います。

呼吸器をつけていなかったら、障害がなかったら、何事もなくあたり前に受け取る就学通知。教育委員会は、わざわざ一人ひとり地域の学校へ行くための理由や思いを聞いたりしません。呼吸器をつけいてれば、障害があれば、親は地域の学校へ行くための理由や思いを必死で伝え、話し合いを重ねます。そして就学通知が届くかどうか本人も家族も不安な日々を過ごします。茉愛ちゃんは、みんなと同じように就学通知が届きましたが、就学通知が届く日を過ぎてもまだ、教育委員会との話し合いを続けざるを得ない親子、その願いが叶わない親子もいます。この時点で子どもは、「みんなと一緒の学校に行くには、たくさんの努力が必要だ。でもいくら頑張っても行けないこともある」ということを知ることになります。たった6歳の子にこんな悲しい思いをさせてしまう日本の義務教育とはいったい何でしょう。義務教育といいながら、その最初の入り口で教育の場が分けられているのです。中学校入学の場合も同じことがいえます。分離を前提とした義務教育、これが今の日本の教育の現状なのです。

先日、文科省の人と話し合う機会がありました。学校教育法の改正によって、「本人・保護者の意見については、可能な限りその意向を尊重されなければならない」とされましたが、「意向が尊重されず、話し合いが継続したまま就学通知が届かないケースがあるが、どう考えるか」という質問に、「ギリギリまで合意形成をはかってほしい」との返答でした。就学通知が届く日になっても来ない、あるいは本人・保護者の意向が尊重されず希望した学校に就学できなかった親子の心の痛みなど感じているのでしょうか?文科省や教育委員会は、障害児の立場に立って学校の門を外からしっかり見てほしいものです。その門が障害児にとってどれだけ厚くて高いかを。その門がくぐれなかった場合、子どもは自分の生を肯定し自信や希望をもって進んで行けるかどうかということを。

人工呼吸器をつけている私の娘は、現在29歳。尼崎の地域の小学校へ入学したのは23年前になります。すぐ近くの宝塚で、23年も経ってようやく地域の学校に入学できたことに驚きを感じます。全国的に見ても、呼吸器をつけて地域の学校に行っている子はまだまだ少数です。娘の入学時とは社会的状況が変わっていたり、制度の変遷等もあったりしますが、基本的には何年経っても呼吸器をつけた子に対する見方や、就学に対する文科省や教育行政の考え方は変わっておらず、まだまだ壁が厚いということを改めて感じました。

今回茉愛ちゃんの就学に関わり、23年前の娘の入学をめぐる問題点と親の付き添い問題に絞って、どのように考え取り組んできたかを紹介し、今後、呼吸器をつけた子があたり前に地域の学校に就学し、親の付き添いなく友だちと共に学校生活を送れるようにしていくための問題提起としていきたいと思います。

 

■入学をめぐって

入学を困難にさせている理由は、寝たきりであることに加えて、やはり呼吸器をつけていること、医療的ケアが必要であることが大きいと考えられます。娘の場合、市の就学指導委員会は、「養護学校の訪問教育、但し、本児の状況、保護者の願いを考えて、『医療行為を保護者が責任をもって行うこと』を条件として、障害児学級(肢体不自由児)もやむを得ない」という答申を出しました。

普通学級を希望していた私たちは、障害児学級を新設しなければ加配が取れないという現行制度の中で、“人を確保する”という意味に限り障害児学級設置を了解し、その上で全て普通学級での学習保障(原学級保障)を要求しました。市教委は「原学級保障はできないが、交流教育を最大限尊重する」という主張で、合意には至りませんでした。実際、籍の問題は、担任や現場サイドの努力もあって、中学校卒業まで全ての学習や活動は普通学級で行うことができました。ただ当初は、学校側や市教委が娘の実態を知らないこともあって、プールは危険だからと見学させられたり、2階以上への移動は危険だからと禁止させられたりしました。

親の付き添いについては、医療的ケアを伴う娘の場合、簡単にはいかないと予想し、せめて付き添いの代行をと交渉したのですが、市教委は「親御さんにお願いするしかない」の一点張りでした。しかし、当時の尼崎の教育行政の現状や、日本ではたぶん初めて地域の学校への入学という状況の中で、付き添いをめぐって交渉し続けることは入学そのものをも危うくする、とりあえず入学して実績を作ることが先決、実績を作ることによって周りの理解も得られてくるだろうと考え、過渡的、妥協的なものと通告しての入学でした。

入学を可能にした条件として考えられるのは、第一に、2年間の保育園の実績です。保育園の実績がなければ、市教委や就学指導委員会も判断材料がなく、相手にもしなかったと思います。

第二に、親の姿勢です。最初から地域の普通学級を強く主張し、就学時健診も就学指導委員会もあくまでも“入学後の資料に”ということを通告して参加しました。就学時健診や就学指導委員会そのものについては問題もありますが、あらゆる機会を利用して、呼吸器をつけた子の実態を学校や教育委員会に知らせると同時に親の思いを伝えたいと考えたからです。医者も参加しての就学指導委員会内部では、訪問教育が多数意見だったそうです。親が早い時期から強く主張していなかったら、かなり紛糾しているか、訪問教育を押しつけられていたかもしれません。

第三に、地域の学校で頑張っている親子や多くの支援の人たちの陰の力です。市教委に対する大きな圧力になっていたと思います。

第四に、受け入れ校の校長先生が前向きに取り組んでくれたこと、教職員からの反対もなかったことも大きな要因でした。

 

■親の付き添い

入学後も、さまざまな問題が生じてきましたが、やはり最大の課題は親の付き添いでした。娘の場合、父が小・中・高の12年間付き添い続けました。痰の吸引は医療行為にあたり、命に関わるから教員等にはできないので親に限るというのが理由です。

確かに呼吸器をつけているということは、危険と隣り合わせの面もあります。私たちはそれを恐れて、一生病院暮らしをさせるのでなく、私たちにできる最大限の安全性の確保をしながら、QOL(命の質、生活の質、人生の質)の向上を計ってやりたいと在宅を選択しました。人間らしい生活を保障してやるために、娘自身の命を賭け、必死に生きてきました。私たちが問題にしているのは、「命(死)の問題」ではなく、「命(生)の問題」です。付き添いも「命(生)の問題」と捉えるべきだと考えます。

呼吸器をつけていると、24時間のケアが必要であり、親は学校でもケアをし、家庭でも家事や他の兄弟姉妹の世話等、睡眠時間が極端に少なく、体力的にも精神的にもギリギリの状態です。親が疲労困憊して夜間の呼吸器トラブルに気づかず寝込んでしまえば、最悪の事態をも招きかねません。学校内で安全性が確保されていても、そのことが結果的に子どもの安全を脅かしていることになるのです。「命に関わる問題だから、親の付き添いを」という考え方は、「学校にいる間だけ何事もなければいい」という無責任きわまりない主張です。

そして、さらに言えば、命に関わるから親以外にはできない=親しかできない=親だったらいい(違法性阻却)=取り返しのつかないことになっても親なら許される?子どもの命は親のものではありません。例え親であっても子どもの命を左右することはできません。「命に関わるから」と安易に公言することがどんな意味を持つのか、葵の御紋のように誰も何も言えなくなり、たいていの人は躊躇して立ち止まってしまいます。地域で必死に生きている親子にどんな影響をもたらすのか、文科省や教育行政は真摯に考えてほしと思います。付き添いの重大な問題性を考えれば、行政の責務として付き添いを必要としない条件整備を考えるべきです。

親の付き添いは、「命(生)の問題」だけではありません。以下のような人権・権利に関わる重大な問題を含んでいます。

・親が常時側にいることで、子どもの社会的自立を妨げる。

・親が病気等で付き添えなければ、学校に行けない。

・付き添える条件のない家庭の子どもは入学さえできない。

・教職員や子どもたちに、呼吸器をつけている子や医療的ケアの必要な子は親が付き添って当然という差別意識を定着させる。

・子どもたちとの共生、共育の関係を阻害する。

・親の負担を強い、親の生活を奪い、親が疲労困憊し、子どもの安全性も低下する。

このように学校現場に親が常時付き添うことは、上記の問題点や学校教育のあり方からして、本来あってはならないことです。そして、それを強制することは明らかな障害者差別です。

12年間もの親の付き添いは、娘の自立と共に生きる関係性を阻害する最大の壁になり、学校教育の場で親の付き添いが常態化し、あたり前の風景になっていることは耐え難いことでした。私たちは、何度も市教育委と交渉をしましたが、こと付き添いに関しては絶対譲れない、文字通り最後の砦を死守するといった感じでした。高校は県教委でしたが、「(看護師を配置する)制度と予算がない」という主張で、結局高校卒業まで付き添いを離れることはできませんでした。

父は12年間の付き添いの後、娘が20歳の時亡くなりました。子どもの人権、学習権はもちろんのこと、親の生活、人生まで奪ってしまう「付き添い」をこれ以上許してはなりません。

 

近年看護師が配置される地域や学校も出てきました。しかし、看護師の配置が全くなく、親が常時付き添っている場合も多くあります。また、看護師が配置されていても休んだ時は親が付き添いを求められたり、看護師の勤務時間が短かったり、看護師がケアに対応できず看護師がいても親が付き添っていたりする場合もあります。また、校外学習や宿泊行事等に親の付き添いが求められることも少なくありません。

このような現状を改善するために、看護師を増員し、十分な配置をすれば親の付き添いはなくなるかもしれません。しかし、ケアを医療職である看護師のみに限定することは、痰の吸引等を「医療行為」として捉えるということになります。吸引等のケアは、生活している本人にとっては「医療行為」ではなく、日常の「生活支援行為」の一部です。教職員や介助員の誰でもできるようになるのが望ましいと考えています。ただし、無条件で「生活支援行為」といっているわけではなく、特定の個人に対応した研修を受けた者が、その特定の個人に行うケアに限ってということです。本人の学習や生活をサポートする教職員や介助員等一人でも多くの人がケアできるようになれば、より本人との関係も深まり、何よりも安全面での確保が保障されることになります。そのことが真に「命を守る」ことに繋がるのではないでしょうか?看護師の配置を否定しているわけではありませんが、看護師はバックアップやサポートにまわることとし、看護師のケアはあくまで次善の策だと考えます。

また3年前から、一定の研修を受けた介護職員等が、一定の条件の下に痰の吸引等ができるようになったことを受け、小中学校の教職員や介助員も喀痰吸引等研修を受ければケア(口鼻腔内吸引、気管内吸引、経管栄養等)ができるようになりました。しかしながら、教職員等のケアの実施はなかなか進んでおらず、この制度自体も「医行為」として規定されていることや、ケアの内容や範囲が限定されている等の問題点もあります。それを踏まえた上で、上記に述べたように、教職員等誰でもが「生活支援行為」としてケアが実施できるようにしていくことが必要であり、今後の課題だと思っています。

■おわりに

呼吸器をつけた子は、医療分野でも、福祉の分野でも、教育分野でも、重症児の上に“超”がつく“超重症児”、“重度障害児”としての位置づけで、「特別中の特別」としてしか考えられていないのが現状です。呼吸器をつけた子、医療的ケアの必要な子である前に、“ひとりの人間、ひとりの子ども”として向き合ってほしいと思います。茉愛ちゃんの入学を機に、宝塚で、兵庫県各地で、全国で、呼吸器をつけていてもどんな障害があっても、あたり前に地域の学校へ入学することができ、親の付き添いなく、友だちと共に学校生活が送れるようになることを願っています。

娘は3年半前からアパートを借りて、一人暮らしをしています。9事業所から、約35人のヘルパーさん2人体制で24時間の支援を受けて生活しています。いろいろ失敗を重ねながらも自分の生き方を自分で決め、地域で自立した生活を送っています。娘の姿を見て、共に学ぶ中でこそ共生社会の内実も創り出されていくものと確信しています。

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