問題提起の能力は抜群だったが、話し合って解決する姿勢は乏しい。つきつめればそんな政治家だったのではないか。

 悲願の大阪都構想が住民投票で反対多数となり、政界引退を表明した橋下徹大阪市長。「劇場型」「ポピュリズム」といわれた手法は、良くも悪くも日本政治の一端を象徴していた。

 7年余りの軌跡は有権者にとっても教訓になる。これを機に改めて考えたい。

 橋下氏の持ち味は、納税者としての感覚だったと思う。

 知事時代、国の公共事業に自治体が支出を強いられる直轄事業負担金制度に、真っ向から異議を唱えた。おかしいと感じれば一歩も引かない。見直しに導いたこの件はその典型だろう。

 公務員の政治活動に疑問を呈し、労組の事務所を市役所から退去させた。首長がもっと教育行政に関わるべきだとの考えから、文部科学省の批判を押し切り、全国学力調査の結果を府教委に開示させた。

 市民の視点で問題を次々とあぶり出す。事の本質を突く鋭さ、多弁を武器にした突破力は卓越していた。だが、その強さが、異論を顧みずに独走する危うさにもつながった。

 大阪都構想もそうだった。

 議会から多くの批判を浴び、否決されたが、奇策で住民投票に持ち込む。自ら論戦の先頭に立ち、反対派の主張を「デマ」と切り捨てた。

 異論を持つ相手を弁舌で圧倒することは目立ったが、耳を傾け、自説を柔軟に修正することはほとんどなかった。

 17日夜、記者会見で橋下氏は「日本の民主主義をレベルアップしたと思う」と語った。

 だが政治とは、多様な民意を受け止め、衝突を最小限に抑えながら合意点を探る作業だ。問題の「答え」を強引に押しつけ、立ちはだかった人を「既得権益」と攻撃する手法は、民主主義とはほど遠い。

 「選挙で僕を落とせばいい」

 橋下氏はよくそう口にした。

 大阪府知事、大阪市長のダブル選や国政選挙などで勝利するたび、「民意を得た」と勢いづく。ことあるごとに政治決戦に走る姿勢は、丁寧な合意形成をすっ飛ばす「選挙至上主義」といわれても仕方ないだろう。

 有権者も考える必要がある。

 「答え」をあらかじめ示してくれる政治はわかりやすい。だが、一度任せて追従するだけで民主主義は機能しない。

 橋下時代は区切りを迎える。これからは、選ぶ側もともに「答え」を探す。そういう姿勢が求められてこよう。