ドラマチック関西「桜がつむぐ物語」 2015.05.15


門出希望命。
日本人は桜にさまざまな思いを重ねてきました。
その桜を特別な思いで見つめる人たちがいます
私は去年8月に大規模な土砂災害があった広島市を訪れました
この災害では74人の尊い命が犠牲になりました
うわっすごいここから見ると…。
ここから流れてきちゃったら…そりゃすごい勢いだったでしょうね。
今も大きな爪痕が残っています
災害から8か月。
今年もまた桜が見事な花を咲かせました
どんなに悲しい事があってもきちんと時を刻んでくれるっていうか。
それできっと前に進む勇気をもらえる人が多いんじゃないかな。
被災地に咲く桜を見つめる人たち
人はなぜ桜を見て亡き人を思うのでしょうか
人はなぜ桜に希望を重ねるのでしょうか
広島神戸長崎・雲仙普賢岳
桜がつむぐ3つの物語です
広島市安佐南区に住む田中義弘さん53歳です
毎月20日前後になるとさら地になったこの土地に花を手向けにやって来ます
ここには幼なじみの女性が母親と2人で暮らしていました
藤井麻緒さん。
桜が大好きな女性でした。
土石流に家が押し潰され亡くなりました
下敷きになっててもしかしたら何時間生きてたかもしれないし何日か生きてたかもしれないし。
それを思ったらどうしてここに来てあげられなかったのかなと思って。
すぐ。
8月20日未明に広島市で発生した土砂災害
大量の雨が土石流を引き起こし山の斜面に建つ家々を襲いました
深夜3時ごろ田中さんの家の映像です。
突然泥水が流れ込み1階は土砂で埋まりました
幼なじみの藤井さんの家は田中さんの家から歩いて5分の所にありました。
高齢の母親と2人暮らしの藤井さんが気にかかりましたが近所の人から逃げたはずだと聞き安心していました。
すぐに駆けつけ自分の目で確認していればという後悔を抱え続けています
田中さんは藤井さんと小中学校が一緒でした。
思い出深いのは中学生の時の事です
あ〜すごい大事に保管されて…。
麻緒さんは…。
(田中)この子になります。
どんな女性でした?
(田中)活発な。
これ言うたらあれですけど男っぽい。
性格は。
サバサバしたような?
(田中)うんそうですね。
2人は3年間同じ軟式テニス部に所属していました
いろいろこうちょっかい出してたりしてたんで…。
ちょっかい?うん。
あの…こっち入ってまあコーチみたいな事してたんですよ。
こうやるんだああやるんだ言うて。
あっなるほどね。
まあ実は女子はすごく迷惑だったみたいなんですけど。
勝手に教えに行ってた?勝手に。
そうそうそう…。
でまあ僕に付いたニックネームが「コーチ」っていう。
「コーチコーチ」って。
なるほど。
(田中)まあ藤井さんがもう最近までもう僕の事を「コーチコーチ」って呼んでくれてたんで。
大人になってもそのあだ名が変わらず?
(田中)そうそう。
近所に藤井さんがお気に入りだった桜があります
バ〜ッと。
樹齢50年になる桜の木。
藤井さんは毎年この桜が満開になるのを楽しみにしていました
田中さんは家族と近くのアパートに仮住まいしながら自宅に戻る準備を続けています
専門学校卒業後二十歳で就職した田中さん。
結婚し4人の子どもに恵まれました。
しかし過労のため40歳で退職。
その後タクシーの運転手となり家族6人の暮らしを支えてきました
同級生の多くが就職や結婚でふるさとを去る中藤井さんは地元に残った数少ない友人でした
この辺がよく藤井さんと会ってた場所なんです。
あっこの辺りが。
ばったり会ったりとか。
大人になってからも近所で偶然藤井さんに会う事がありました。
たわいのない会話を交わすだけでしたが中学時代に戻れる大切なひとときでした
だから彼女を失った事は結構大きいですね。
そういう…。
親しい友達じゃないですけど普通の友達がいなくなったいう。
藤井さんの自宅から15キロ離れた川沿いの桜並木です。
この日藤井さんをしのぶ追悼ウォークが行われました
自然を散策しながら歩くのが好きだった藤井さん。
春になるとこの道をよく歩いていたといいます
ウォーキング仲間は藤井さんの写真や愛用の靴を背負い桜の道を歩みました
仲間たちは藤井さんが生きていた証しを胸に刻み込んでいました
藤井さんがお気に入りだった樹齢50年の桜も満開を迎えました
田中さんは藤井さんが毎年たたずんでいた場所に立ちました

そしてかばんに忍ばせていた写真をそっと取り出しました
彼女にも見せてあげたいっていうのありましたから。
10年前中学校の同窓会の席で撮った写真です。
手元に残っているたった一枚の藤井さんの姿です
本当一生幼なじみのままで。
すごくいい思い出っていうか。
うん…。
ほんわかしたものは出てくるんで。
きっと花が咲く度に彼女の事を思い出したりそういうたわいのない事を話した事を思い出したり。
(田中)まあ僕の中ではずっと生きていくと思います。
ええ。
まあきっと彼女が生きてたらうじうじしないで頑張りなさいよって怒られてると思うんで。
そう思って頑張っていきます。
満開を迎えてから時が過ぎ既に桜は散り始めています。
今回田中さんのお話を聞いていて日常風景の中にこそ本当に大切なもの掛けがえのない人々の心だったりそういったものが刻まれているんだなと改めて考えさせられました。
阪神・淡路大震災から20年目となる日を前に神戸に向かう夫婦がいました
夫の…
訪れたのは震災で犠牲になった人たちの名前が刻まれた祈りの場です。
2人は当時20代だった息子夫婦を亡くしました
6,434人の命が失われた阪神・淡路大震災
息子夫婦が暮らしていたアパートは全壊。
2人はその下敷きとなって亡くなりました
亡くなった息子の伸也さんと妻の富子さんは震災の僅か4か月前に結婚したばかりでした
なぜ息子たちの命が奪われたのか。
足立さん夫婦はその死を受け入れる事ができませんでした
震災から4年がたち閉ざされていた心が開くきっかけがありました。
それは息子夫婦の慰霊碑を自分たちの手で建てる事でした
息子夫婦は確かに生きていた。
その証しを残したい。
2人が選んだのは桜の木でした
足立さん夫婦は兵庫県北部にある豊岡市で暮らしています
この日3時間近くかかる神戸に向かいました
季節を問わず15年の間毎月のように桜を見に出かけています
神戸市灘区。
桜が植えられているのは息子夫婦が住んでいた近くにある公園です
桜を植えてから2人には楽しみができました
それは桜の成長を見る事です
幹の太さを測るのもいつもの楽しみの一つ
子どもの腕ほどだった幹も何倍もの太さになりました
15年にわたって成長を見続けてきた桜。
いつしかそこに亡き息子夫婦の姿を重ねるようになりました
桜と会う度に感じられる息子夫婦の姿
その喜びが2人を支えてきました
3月下旬。
足立さんは手紙をしたためていました。
お花見の案内状です。
15年の間毎年息子夫婦の桜の下で仲間とお花見をしています
初めてのお花見に集まったのは20人ほど。
ところが桜にまつわる物語に心を引かれる人が年を追うごとに増え今では100人近くに。
息子夫婦を思う仲間の輪が広がっていきました
今年も息子夫婦の晴れ姿を見てほしい。
そんな思いを案内状に込めました
お花見の日が来ました
前日まで続いた雨があがり天気は晴れ
桜は満開の花を咲かせ2人を出迎えてくれました
桜の下で開かれる年に一度の集い
毎年この花見の日だけに会う人もいます
乾杯。
(一同)乾杯。
この日も100人近い人が集まりました
心を通じ合える仲間との絆
心からの笑顔で過ごせるようになった日々
はいニッコリでお願いします。
はいチーズ!ニッコリとニッコリだよ。
その喜びは息子夫婦の桜がくれた掛けがえのないプレゼントです
亡き息子夫婦の生きた証しとして植えた桜。
それは足立さん夫婦が悲しみを乗り越えていく支えとなりました。
これからも夫婦に寄り添い続ける桜です
こんにちは。
こんにちは。
初めまして。
知花と申します。
桜ライン311の代表の岡本でございます。
よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
25年前に大きな噴火があった長崎県雲仙普賢岳。
麓の公園で花見を楽しむ人たちの姿がありました
桜の花の下で飲める事を祝して乾杯!
(一同)乾杯!
かつて同じ地域に住んでいた仲間です。
皆家や田畑を失いちりぢりになりました
見つめていたのは町の復興を記念して植えられた桜です
古瀬孝一さんです。
噴火で大切なものをいくつも失いました
雲仙普賢岳が噴火したのは25年前。
平成2年の事でした。
翌年大規模な火砕流が発生し43人もの犠牲者を出しました。
更にその後の大雨で土石流が濁流となって氾濫。
水無川流域の住宅や農地を襲います。
噴火活動は4年半に及び土石流が繰り返し発生。
1,700もの家々をのみ込みました
大きな被害を受けたのが水無川の河口近くに広がる安中三角地帯。
かつて古瀬さんたちが暮らしていた地域です
古瀬さんは災害直後から写真を撮り続けてきました
皆さんね。
無残な姿に変わり果てたふるさと
集団移転の話も出ましたが住民たちは受け入れませんでした
安中地区に自宅を構えていた古瀬さんもその一人です。
家の1階は土砂で埋まり住めなくなりました。
それでもこの土地から離れたくないという思いが込み上げました
住民たちの強い希望を受け島原市は防災計画を打ち出します。
三角地帯の両側に6メートルの堤防を建設する構想です。
しかしその高さを越える土石流が発生する事は本当にないのか。
住民たちは不安を覚えました
そこで画期的なアイデアを住民自らひねり出します。
地域全体を堤防と同じ高さまでかさ上げするアイデアです。
しかしそのためには大量の土砂が必要でした
目をつけたのは水無川に堆積した土砂。
行政が処分に困っていたその土砂を引き取れないかと考えました
住民たちの熱意は長崎県と島原市更には国を動かしました。
災害から9年がたった平成12年の春全国でも例のない地域全体のかさ上げが実現したのです
復興を記念して造られた公園には25本の桜が植えられました

9年間にわたる避難生活に耐え住民たちがふるさとに戻ってきました
かさ上げが終わると同時に家を再建した家族です
横田英明さん。
先祖代々守ってきた田畑と家を土石流で失いました
大勢の人に自分の後に続いてもらいたい。
横田さんは誰よりも早く家を再建しました
妻の伊津子さんも家の再建を心待ちにしていました
(取材者)待ってました?
土石流で埋まった田畑も区画整理され復活しました。
ここには3月ジャガイモが植え付けられました。
来月には収穫を迎えます
復興した地域に戻ってこられなかった人もいます。
人一倍ふるさとへの愛着を持っていた古瀬孝一さんです。
災害の前までここには古瀬さんの自宅がありました。
ふるさととのつながりを持ち続けたいと小屋を建て毎日通っています。
本当はこの場所に自宅を再建しようと考えていた古瀬さん。
しかしその願いは果たせませんでした
一緒に暮らしていた父親の英雄さんが脳梗塞で倒れたのです。
避難生活のさなかでした。
ふるさとのかさ上げ工事が終わっていなかったため古瀬さんは別の場所に家を建てる事を決断しました
家を再建して2か月後父親は息を引き取りました
古瀬さんは一家の墓を災害前と同じ場所に建て直しました
父親が愛してやまなかったふるさとで安らかに眠ってもらいたい。
せめてもの思いでした
3月末に開かれたお花見
そこにはふるさとに戻った人戻れなかった人。
Dialogue:0,0:41:34.09,0:42015/05/15(金) 20:00〜20:45
NHK総合1・神戸
ドラマチック関西「桜がつむぐ物語」[字]

災害があった被災地を彩る桜。広島市の土砂災害。阪神・淡路大震災。長崎・雲仙普賢岳の噴火。被災地で懸命に生きる人々を支える桜を知花くららさんが案内します。

詳細情報
番組内容
災害があった被災地を彩る桜。ある人は亡き人を悼み、ある人は希望を見いだします。去年8月に起きた広島市の土砂災害。被災地に咲いた桜は、人々を勇気づけてくれました。阪神・淡路大震災から20年。息子夫婦を亡くした遺族は、桜を植え育てることで悲しみを乗り越えてきました。長崎・雲仙普賢岳の噴火で被害を受けた地域では、復興を見守る桜がありました。被災地を支える桜を、知花くららさんが案内します。
出演者
【出演】知花くらら

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – ローカル・地域
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:49796(0xC284)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: