9白熱教室海外版 ハリウッド白熱教室(3)撮影 すべてのショットには意味がある 2015.05.15


アメリカ…映画の都として誕生してからおよそ1世紀。
世界一流のクリエーターたちが集う映画スタジオでは画期的な表現や新技術が競われおびただしい数の作品が生み出されています。
そのハリウッドから目と鼻の先。
ロサンゼルスのダウンタウンに私たちが通う南カリフォルニア大学があります。
アメリカ西海岸で最も古い歴史を持つ私立大学です。
この大学で全米一のレベルと実績を誇るのが…卒業生は監督カメラマン脚本家プロデューサーなど映画産業に進みます。
キャンパスにはジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグロバート・ゼメキスなどこの大学出身の巨匠たちが寄付した校舎が建ち並びます。
映画製作を目指す私たちに一から基礎を教えてくれるのが…「ハリウッドの生き字引」と言われるキャスパー教授が脚本映像表現などさまざまな切り口から映画を分析。
プロのまなざしで映画を見る方法を役者顔負けのパフォーマンスで楽しく教えてくれます。
意識して見なければ例えば照明がどのような意図を伝えているか気付かずに終わってしまうでしょう。
あるいは衣装もそう。
そこに込められた工夫を見過ごしてしまう事になる。
映画は綿密に作り込まれているからこそその見方を学ばなければ味わい尽くす事はできないのです。
今回取り上げるテーマは…登場人物を画面のどこにどう配置するのか。
役者が動くのかカメラが動くのか。
どんな違いが出るのか。
学生だけでなく映画産業を目指す人実際に携っている人に向けての特別講義です。
本物の映画にも負けないキャスパー教授のエンターテインメント講義の開演です。
(拍手)では今日も始めよう。
今回取り上げるのは…このテーマについては3つの切り口から分析してみたい。
1つずつ順に説明していこう。
まずは「フレーミング」からだ。
フレームとは映画の画面の境界線で区切られた世界の事だ。
映画はこの画面の中だけで展開する。
どんな芸術にも境界線や制約というものがある。
例えば舞台では客席との区切りの部分舞台空間との境界を何と呼ぶだろうか?チャールズ。
(チャールズ)プロセニアムです。
そう「プロセニアム・アーチ」だ。
役者は劇場のプロセニアム・アーチ内で演技をする。
それが役者にとっての境界線だ。
初回の講義でも触れたが私たちの人生は混沌としていてどこかに境界線を引くなんて事はできない。
毎日は雑然と続いている。
でも「芸術」に置き換えれば境界線を引く事はできる。
そうする事で理解しやすくする。
混沌とした人生も芸術に置き換えれば分かるようになる。
だから私たちは自分自身を理解しようとして芸術に向かうんだ。
映画では初期の頃からフレームはこのような形をしていた。
映画の創成期1895年ごろから1950年代初頭までこの形が極めて一般的なものだった。
ところがその後テレビがアメリカの家庭に登場するとあっという間に映画は観客を奪われてしまった。
そこでハリウッドは画面の大きさでテレビに対抗しようといくつもの規格サイズを作り上げた。
そのうちの2つは今でも使われている。
まず古典的なサイズの画面比率を見てみよう。
これまでの講義で取り上げた古典映画の「若草の頃」や「サンセット大通り」あるいは今日見る「陽のあたる場所」は「スタンダードサイズ」と呼ばれるこの古典的なフレームサイズで作られた。
1950年代に入ると数々の大画面サイズが生まれたが現在残っているのは2つだけだ。
まずはいわゆる「ワイドスクリーン」を見てみよう。
これだ。
前回見た映画「マイレージ、マイライフ」はこのサイズで撮影された。
そしてもう一つ現在でも残っている大型スクリーン様式が1950年代初期に誕生した「シネマスコープ」。
20世紀フォックスが開発したものが現在でも改良され使われている。
この規格は今でも主流のサイズとなっている。
「いつも2人で」はこのサイズで撮影された。
そして今日取り上げる「ワイルドバンチ」もこの規格サイズだ。
今ではスタンダードサイズで映画が作られる事はない。
大抵がワイドスクリーンかシネマスコープだ。
理由はいくつもあるがその一つはテレビだ。
テレビは当初9インチとか11インチ金持ちでもせいぜい13インチを持っていたくらいだった。
そこでハリウッドはテレビがとてもかなわないような大きなスクリーンを作り出し観客を取り戻そうとした。
そうして次々と異なるサイズが試されていった。
もちろんより重要な理由は芸術的な意図からだ。
大画面の方が監督の選択の幅が広がる。
フレームの中に何を入れ何を入れないかを決めるのは監督の仕事だ。
選んだ被写体をどのように配置するかも監督が決める。
そこに監督の個性が表れる。
監督がフレーム内に選び取ったものその配置から監督のねらいや人間性を知る事ができる。
例えば君たちの日常生活の中で大切な人の写真があるとしよう。
それを壁や机の上に飾ろうと思ったら実際にその壁や机に飾る前にその写真をまずどうするだろうか?写真立てに入れます。
そう写真立てのフレームに入れるね。
それはどうして?汚さないため。
ハハハッ!ダンあっけにとられるよ。
そりゃ君の答えは間違ってはいないけど私が今聞きたいのはそういう事じゃないくらい分かるだろう?代わりに答えてダルーシュ。
背景から分断するためです。
そうだ。
背景から区切るためだ。
壁や机の上にある他のいろいろなものと区切るためだ。
するとどんな効果があるだろう?例えば部屋に入って来た時に…。
目が引き付けられます。
そうだ。
目がそこに引き付けられる。
そのとおりだ。
では映画館に入ってスクリーンを見た時にその映画の中心的な人物や出来事は大抵フレームのどこにいるか?誰か。
ゲーリー。
真ん中です。
そう真ん中だ。
もちろんそうだ。
古典的な映画では大抵真ん中に配置される。
でも真ん中からずらす事だってできる。
重要な人物ややり取りを画面の中心からあえて外すんだ。
例えばこっちやあっちに置く事で観客をはぐらかす。
ヒッチコックがよく使う手だ。
もし私がその場面で一番重要な人物や事柄を画面の端に置いたらそれはどのような効果を持つだろうか?あえて中心を外し端っこに置くんだ。
その事で人物の全身が見えなくなってしまうかもしれない。
画面の端で体が欠けてしまうような場所。
どんな効果があるだろう?緊張感が出ます。
そう。
とても緊張感が高まる。
「崖っぷちに立つ」という言葉のとおりだ。
「気を付けろ。
落ちたら危ないぞ。
死ぬぞ」。
例えるならこんな緊張感だ。
その場合より印象が強いのは次のどちらだろうか?人物を画面の右側に置くのと左側とではどちらがより強く訴えかけるだろうか?その理由は?
(ダン)フレームの左側です。
左側の方が強い。
今の誰?理由は?文章の読み方がそうだからです。
左から右だからです。
ダンよく気が付いた。
文章は左から右に読む。
そこまではいい。
文字を読むのと同じようにフレームを見る時も目線は左から右に向かう。
だから実は右の方が強いんだ。
左よりも右の方が強い。
理由は合っていたんだが答えが違った。
これだから教えるのはやめられないよ。
フレームを斜めにする事だってできる。
フレームを正対させる必要はない。
監督はフレームをこちらに傾ける事もできるしこちらに傾ける事もできる。
こうした事にも注意を払って見るべきだ。
キャロル・リードの「第三の男」を見た事あるかな?オーストリアの闇市場のシーン。
世界は沈みバラバラになろうとしているのを傾けたフレームで表現している。
さて映画のフレームは通常長方形だ。
しかし「マスキング」と呼ばれる方法でフレームの形を変える事もできる。
誰かブレイク・エドワーズの「テン」という映画を見た事あるかな?ゲーリー主役のダドリー・ムーアが通りの反対側からベランダで日光浴をする女性をのぞくシーンを覚えてるかい?まだ若い頃に見た映画なので…。
それは言い訳だよ。
きっと私の方がもっと昔に見たはずだけどフレームの形がどうだったかちゃんと覚えてる。
スコット主人公は何を持っていた?望遠鏡です。
望遠鏡を持っていてそれで女性たちを見ていたんだ。
するとフレームはどうなったかな?丸くなったと思います。
そうなんだ。
セオリーどおりにいくならフレームは重要なものだけを切り取る。
しかしそうしたルールを破ってもかまわない。
またしてもヒッチコックのようにだ。
彼は伝統を守る時もあれば無視する時もあった。
重要な事柄をセオリーどおりに画面の中心に入れたりあるいはあえて外側に外したりといろいろやった。
さてご覧のとおりスクリーンは4つの境界線で区切られている。
この4つの線が窓枠のような働きをして観客はその窓を通して映画の中の世界を見る。
でも窓の外側にも無限の連続性がある事を私たちは感じられる。
世界はこちらの先にも続いている。
ここから先もこちらの先も世界はまだ続いている。
私たちはそれを感覚的に受け入れる事ができる。
スクリーンの中だけでなくその枠を越えて外側にも同じ世界が続いているのを感じる事ができる。
これが舞台との違いだ。
芝居の場合私たちは舞台の上だけが物語の世界だと考えている。
もし役者が舞台のこちら側から出ていけば彼はもう舞台袖から楽屋に向かっていると私たちは考えるだろう。
舞台の書き割りの後ろには壁がある事も知っている。
舞台の世界はその区切られた空間の中でしか存在しない。
役者が舞台のこちら側に突き進んでくる事もない。
なぜなら舞台上の空間には限界があるからだ。
舞台の端を踏み越えてしまえばそこは客席だ。
別の世界だ。
物語の世界ではない。
しかし映画は違う。
実際のところ映画には…マーリン。
うなずいてるのが見えた。
同意してくれてるようだね。
じゃあ…。
実は隣の人が「先生は天才だ」って言ったんで…。
本当!?今のちゃんと撮れてたかな?ありがとう。
教師をやっててよかった。
では誰かオフスクリーンの6つの空間を答えられるかい?チャールズ。
まずフレームの左側と右側があって…。
1つずついこう。
まず左側。
(チャールズ)そして右。
そして右。
上です。
フレームの上と下だね。
それから前と後ろもあります。
そうだ。
セットの後ろとカメラの手前だね。
それをどうやって使うのだろうか?どう活用するか?映画監督はどうやってオフスクリーンの空間を物語に利用するのだろうか?フレームの中に何かを入れたり出したりします。
そう。
役者がフレームの外へ歩き去ったからといって彼がそこから落ちて死ぬと思うだろうか?思わない!世界は続いているんだ。
例えば主人公がリビングルームにいるとする。
こっちが玄関だ。
そしてドアがバタンと閉まる。
ドアが見えなくてもバタンという音が聞こえる。
オフスクリーンの音だ。
これも物語に活用できる。
ドアのバタンという音と言い争う声。
すると画面の外でも物語が続いているのが分かる。
これがオフスクリーン空間の利用のしかただ。
他にはあるかな?アンディ。
エキストラとか?エキストラ?あのねえ君の心が読めるわけじゃないんだからちゃんと説明してくれなきゃ困るよ。
エキストラにフレームを横切らせます。
例えばスーパーの外で買い物袋を抱えながら止めてある自分の車に向かって横切るとか。
そうスーパーでカメラの前を通り過ぎてフレームの外へ消えていくエキストラがいる。
そういう事だね?すると画面の手前の空間を意識できるという事だね。
その空間は見えないがそこにある事を意識できる。
その人が車で家に戻るのが想像できる。
あるいは通りを車が走り去る音が聞こえるかもしれない。
その通り自体が画面に見えなくてもかまわない。
それが言いたかったんだろう?アンディ。
そうですそうです。
では他には?戦争映画では戦闘機が頭上を飛ぶ音がして人々は上を見上げます。
すばらしい!そういう事だ。
映画監督はスクリーンの中だけではなくスクリーンの外も有効に使って何かを伝えているんだ。
そういう事にも気を付けて映画を見てほしい。
ではここである映画を見てみよう。
思わず笑顔になる。
なぜか?この映画は私が君たちのような大学生の頃ニューヨークの映画館で初めて見て以来ずっと一番好きな映画であり続けている作品だからだ。
個人的な意見だがこの映画はひと言で言うなら「崇高な作品」だ。
だから今日は3回見せようと思う。
まずは今説明したオフスクリーンの使い方について。
そして「ステージング」つまり配置と最後は「カメラワーク」に注目するため同じシーンを3回繰り返す。
1951年公開のこの映画は…作品賞を取り損ねたのは審査員たちがビンセント・ミネリ監督の「巴里のアメリカ人」を選んだからだ。
ミネリにしてはパッとしないあの映画に投票した審査員たちは地獄に落ちろだ。
私はほんとにそう思う。
とにかくこの映画が作品賞を受賞すべきだった。
でも幸いにも監督賞は受賞した。
脚色賞も撮影賞も受賞した。
特に映像のトーンはすばらしい。
衣装デザイン賞と作曲賞も受賞した。
その曲といったら…。
フランツ・ワックスマンのテーマ曲には心を奪われる。

(歌声)そろそろ映画のタイトルが分かった人もいるだろうか。
シェリー・ウィンタースは主演女優賞にノミネートされたが受賞を逃した。
モンゴメリー・クリフトもノミネートだけ。
エリザベス・テイラーはこの映画をきっかけに才能が開花した。
彼女はそのあとこの監督の作品に更に3本も出演しすばらしい演技をした。
「ジャイアンツ」や「この愛にすべてを」だ。
その監督とはジョージ・スティーヴンスだ。
この映画で監督賞を受賞。
これは監督の思いが詰まった作品だ。
さあその映画とは…はい分かった人?「陽のあたる場所」です。
「陽のあたる場所」。
見てもらうのはダンスパーティーのシーンだ。
生まれも育ちも全く違う2人。
モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーが互いに愛を告白するシーンだ。
ここではオフスクリーンの空間に注目して見てほしい。
画面の外の空間がどのように使われているか。
その効果や意味は何だろうか?では「陽のあたる場所」を見てみよう。
チャールズ君から始めよう。
シーンの冒頭で気付いた事は?2人が周囲の人たちと一緒に踊ってる場面でした。
では監督のジョージ・スティーヴンスは周囲の人たちをどうしただろうか?周囲の人たちをどうした?彼らを追い出していきました。
そうだ。
カメラは主人公たちに近づいて…。
そう近づいて?2人以外には何も画面に入らなくなって。
そうでもまだそこにはいるよね?
(ダン)はい。
なぜそこにいるのが分かる?バンドの演奏が聞こえます。
バンドが聞こえるしダンスをしている音も聞こえる。
周囲は音に囲まれているがカメラはどんどん2人だけに詰めていく。
なぜ?2人の重要性を更に強調するためです。
「更に強調する」とはどういう意味だろう?ではスコット。
人は恋に落ちると他人の存在はどうなる?目に入らなくなります。
2人だけの世界になります。
2人を世界から切り離したんだ。
世界はまだ存在しているが彼らはもはやその一部ではなくなっている。
2人きりだ。
もう一つ質問だ。
なぜ彼はスクリーンの外下方向に体を外していったのだろうか?つまり最初彼らの全身はこれぐらいのサイズだ。
それからこれぐらい。
それからここ。
彼はどんどん2人の体をスクリーンから外していった。
なぜそうしたのか?親密さを出すためです。
「親密さ」いいだろう。
そして最後は顔以外は何も映さない。
顔のアップだけだ。
愛する2人のどこに注目するか。
目だね。
体のどの部分よりも極めて特別で何よりも精神性を表すのが目だ。
恋愛や人間関係を描く時にスクリーンの中の重要な要素となってくるのが目だ。
1つ質問をいいですか?キスの瞬間を彼の肩で隠したのは当時の倫理規定と関係があるのでしょうか?そうではない。
でもこの映画は倫理上の大きな問題「中絶」を扱っていた。
この映画を見た事は?はいあります。
中絶についておおっぴらに語るのは問題だった。
当時はマッカーシズムの時代だったしこれはアメリカの裏側をリアルに見せた映画だった。
だからこの映画は多くの人の怒りを買った。
でもキスを隠した理由は他にある。
ロバータ。
禁じられた恋だったからでしょうか?それは悪くない答えだ。
私は思いつかなかった。
実際はこの監督は慎みのある男だったんだ。
すぐに服を脱がしてど〜のこ〜のはしない。
見る人の想像に委ねた。
そういう事だ。
あとはこの恋人たちだけの世界だ。
そこまでも濃密なんだからもうこれくらいでいいだろうというタイミングで終わりにしたんだ。
では次に撮影の要素の2つ目ステージングだ。
ステージングとは配置の問題だ。
役者同士や役者と装飾セットや大道具照明などの位置関係だ。
配置について考える時監督が役者同士あるいは役者とその周りのものの関係性を描くためにまず意識するのはお互いの「距離」の問題だ。
例えばこういう事だ。
ビカーこっちへ来て。
ほらここ。
ビカーをここに配置して私はここだとする。
何か話しかけて。
お元気ですか?元気だよ。
ビカー君は?元気です。
こうやってお互いの距離で何らかの関係を伝える事ができる。
では同じ質問をもう一度して。
お元気ですか?元気だよ君は?同じ質問同じ答えだ。
だが違う意味になった。
私たちの位置関係に変化があったからだ。
近くで質問をした時はどんな関係性が読み取れた?親しい友達のようでした。
友達のようだった。
親しみや信頼があった。
それが私が離れると関係は?不確かです。
実生活でもそうだ。
他人や物との距離の取り方で意味が変わる。
例えば私がこんなふうだったらどうだろう?「さあ講義を始めます」。
これだと私は君たちを恐れているという事だ。
このように関係性は距離や位置で表現できる。
監督は更に配置を「ライン」「線」で考える事もできる。
例えばこういう事だ。
監督は役者や照明や美術のセッティングを水平のライン上に配置をする事がある。
あるいは役者やセッティングを垂直のライン上に配置する事もある。
更にそれらを斜めのラインになるように配置する事もある。
時には監督はギザギザのラインを描くように役者や照明や小道具などを配置する事もある。
では水平はどうだろう?水平のラインから何を連想するかな?チャールズ。
横たわる死人を連想する事ができます。
あるいは水平に伸びる線は世界の永続性を表すようにも思えます。
それは随分哲学的だね!じゃあチャールズちょっと来て。
答えはもっと簡単だ。
まずここで寝てくれないか。
みんなにいつもどうやって寝ているか見せて。
ではニコールチャールズはどんなラインだ?水平です。
そうだ。
ではチャールズ君は川だ。
流れて。
さあチャールズ川のように流れて。
ではこれはどんなライン?やっぱり水平です。
そう。
では水平のラインは何を表す?秩序。
他には?穏やかさ。
そう穏やかさ。
例えば郊外の町並みは水平のラインだ。
のどかな雰囲気だ。
でも都市は垂直だ。
私もなるべく垂直にビシッとしている。
おかげで君たちも集中する。
こんなふうに「さあ講義を始めよう」なんてやったらみんなも寝てしまうだろう?もし役者やセットが水平ラインになっていたらそれを垂直ラインになるように試してみれば分かる。
そうすれば雰囲気が引き締まり場面の主導権が取れる。
では斜めはどうだろう?チャールズほらいつまでも寝てないで。
斜めのラインはどんなイメージを表すのか?じゃあこっちに。
ほらこっちだ。
私を信用して。
はい。
それじゃ全然駄目だチャールズ。
力を抜いて。
ほら。
手のひらを私の手に置いて。
大丈夫信用して。
足をそろえて。
ほら斜めのラインになっただろう?どんなイメージが伝わるだろうか?不安定さ。
そのとおりだ。
カチッとしてもいないしリラックスしてもいない。
ただ不安定なんだ。
ではギザギザのラインをやってみて?違うよ!こうだろう?これがギザギザだ。
チャールズほらしっかりしろ。
ここから始まってこっちに行きそれからそっち。
こうしたラインは何を表してる?ぐちゃぐちゃです。
完全な混沌。
分裂状態だ。
監督はあるいは「面」で配置を考える事もある。
例を見せよう。
ジャック前に来て。
マリアもそしてランス。
こっちに来て。
横一列に並んでくれる?ではこれはいくつの面がある?1つです。
1つ!そうだ!ではこうするといくつの面が見えるかな?
(ゲーリー)2つです。
もっと大きな声で。
(ゲーリー)2つです!ではこうするといくつ?
(ゲーリー)3つです。
ではこうすると?
(ゲーリー)4つです。
そうだ。
ではゲーリー今はいくつの面が見えるかな?
(ゲーリー)5つです。
それで空間にどんな変化があった?もう一度やろう。
面が2つ。
3つ。
4つ。
5つ。
何が変わったかな?こらランス!私と重なっちゃ駄目だ。
空間に変化はあっただろうか?ゲーリー。
(ゲーリー)奥行きが生まれました。
時には全てをフラットに配置する。
監督が1つの平面だけを使って配置したとしよう。
こんな感じで。
すると空間が開放される。
次いで2つの面3つ4つ5つ。
監督が1つの平面だけを使ってフラットな空間にする場合と複数の面を使う場合とでは意図が異なるので注意が必要だ。
みんなありがとう。
さて再び「陽のあたる場所」の映像を見てみよう。
今回はこうした配置に注目して見てほしい。
被写体の間の距離はどうなっているか?あるいはラインはどうか?垂直水平斜めジグザグどんなラインが使われているか?そして面はどうか?配置を通して監督が映像に込めている意図を読み取ってみよう。
「陽のあたる場所」からの同じシーンだ。
まず距離について。
2人の関係はどう描かれているだろう?初めから終わりまでかなり接近しています。
そうかなり親密だ。
2人はどれくらいの距離だったろう?監督は運命で結ばれた2人をどう表現しただろう?鼻がこうやって…。
そう鼻と鼻が見事に重なっている。
まるでジグゾーパズルだ。
ちょっとやってみよう。
さあブライアン。
こっち来て。
やってみるぞ。
よしほらこうだ。
ほら見てくれ。
(笑い声)2人の鼻や顔を使ってまるで組み合わされたジグゾーパズルのように表現した。
見事な演出だ。
ではラインについてはどうだろう?どんな線が使われていただろう?アンディ答えてくれ。
特に最後の方では彼の肩がどんどん上がって斜めのラインが強調されて…合ってますか?それはさっき教わった不安定さの演出で彼女は多分自分の気持ちの強さに恐れをなしてそのため監督は彼女の顔を徐々に隠したのだと思います。
君はこの映画を見ていないね?見ていません。
彼女エリザベス・テイラーは基本的にどんなライン?垂直です。
そう彼女は垂直ラインだ。
正直に真実だけを語る女性だ。
ところが男の方は斜めのラインだ。
それは実は彼が隠し事をしているからだ。
嘘をついているんだ。
だからまっすぐな彼女に対して彼はいつも斜めなんだ。
そういう事を表現している。
では役者の動きについてはどういう事が言えるだろうか?ラッセル。
彼女は怖くなり振り向きます。
そして自分の気持ちを告白するため2人だけになれる場所へと移動しました。
シーンの中でそれがほとんど唯一の動きだった。
それから2人は外のベランダに出ます。
最初は見つめ合う2人の様子を映しそれからはお互いの表情のリアクション・ショットを撮るために肩越しに交互に撮影していました。
彼の肩や頭は斜めのラインになっていた。
彼女はずっとまっすぐだ。
それに彼女の言葉に対する彼の反応を中心に撮っていました。
もちろん全体としては2人だけの親密な世界として描いた。
2人はぴったりとくっつくようにしていた。
画面には他には何も入れない。
愛を告白し合う2人。
でも実はこの男性には自分の子供を身ごもった別の恋人がいました。
男か密かに抱える後ろめたさがこの斜めの姿勢に表現されている。
それがキャスパー先生の分析です。
撮影についての3つ目の要素がカメラによる実際の撮影カメラワークだ。
さきほど距離の話をした。
フレーム内の役者同士の距離で何かを表現できるという話だ。
ビカーが私にそこで「ハロー」と言うのとここで言うのとでは別の意味づけが読み取れた。
距離については考えるべき点がもう一つある。
カメラと被写体の距離だ。
観客に被写体のどんな映像を見せるかという事だ。
時にカメラは役者や被写体にぐっと接近する。
あるいはどんどん遠くに離れる事もある。
監督がカメラを通して映像に意味を与える基本的な手法がこれだ。
配置ではなく距離感で表現する。
登場人物を遠くから見せたいのかあるいは近くから見せたいのか。
そうであればそれぞれ理由は何なのか。
こうした被写体との距離感はカメラのさまざまなレンズで作り出す事も可能だしカメラと被写体との実際の距離で調節する事もできる。
人物に関して言えば基本的に6つの視点フレームサイズをそれぞれ意味や状況ごとに使い分けている。
1つ目の視点は「ロングショット」だ。
人物は小さくしか映っていない。
よく見えない。
そのかわりに空や建物木道路柱などの周囲の状況が分かる。
こうした視点を監督がまず必要とする場合がある。
これがロングショットだ。
2つ目の視点は「フルショット」と呼ばれ人物の全身が頭から足の先まで画面いっぱいに入っている。
背景はもうそれほど重要ではない。
人物が中心だ。
3つ目は「ミディアムショット」と呼ばれる。
人物の場合は膝から上を映すショットの事だ。
これがミディアムショット。
人物の腰から上を映す場合は「ミディアムクローズアップ」とか「ウエストショット」と呼ぶ。
腰から上上半身だけだ。
人物の顔を画面いっぱいに映すのが「クローズアップ」だ。
そして人物の顔の細部にまで接近するのが「超クローズアップ」あるいは「ディテールショット」だ。
このように撮影の視点は大体6つに分けて考える事ができる。
ではこれを前提に私の主張を聞いてほしい。
これは撮影でも編集に際しても理解しておかなくてはいけない事だ。
それはこういう事だ。
映像において空間を操作すると時間に影響が与えられる。
逆に次回取り上げる「編集」では時間を操作すると空間に作用する事も教えよう。
とにかく時間と空間は相関関係にあるんだ。
ゲーリーこれを見てくれ。
これはロングショットだ。
そしてこちらは超クローズアップ。
さあ比べてみよう。
例えばロングショットを5秒間映す。
12345。
そして超クローズアップも同じ時間だけスクリーンに映す。
5秒だ。
12345。
どちらが見ている時間を短く感じただろうか?えっと…。
間違わないでくれよ。
微妙なところですが多分超クローズアップの方でしょうか。
短く感じたのが?理由は?なぜなら…いやちょっと意見を変えます。
ロングショットの方です。
そうだよ。
ロングショットだ。
理由は被写体に近づきたいという気持ちが生まれるからです。
その理由は悪くない。
でも私はそんなふうに考えた事はなかった。
では他の理由は?画面の中にものがたくさんあるからです。
画面の空間が広く情報量がたくさんあるので見るのに時間がかかるからだ。
でもこっちはどうだ?目のアップを5秒も見せられたら我慢できない!ヒッチコックの「サイコ」のシャワーシーンで殺される女性の目のアップがあっただろう?観客は「こんな怖い場所からは早く逃げたい!」と思う。
でもヒッチコックは「まだまだだ」とそのまま目のアップを撮り続けそれは随分長く感じたはずだ。
さて監督はカメラの距離だけではなくカメラの動きも決めなくてはいけない。
カメラは静止しているのか動かすのか。
もし動かすならどんな動きをすべきなのか。
カメラを動かす1つの方法はタイヤやレールを使う「移動ショット」だ。
あるいは三脚を使ってカメラ自体は移動させない場合もある。
三脚で上下左右にパンをする。
この場合カメラの位置は固定されている。
つまり一口に動きと言っても監督には無数の選択肢があるわけだ。
フレーム内に動きをつけるのか。
例えば役者や大道具照明を画面の中で動かすのか。
あるいは役者はそのままにしてカメラの方を動かすのか。
それともそれらを全部組み合わせるのか。
動きには多種多様な方法がありフレームの中だけではなく外へも動きをつける事ができる。
では実際に映画で見てみよう。
今日3回目の上映だ。
注目してほしいのはカメラと被写体の距離。
それにカメラのアングルや動き。
カメラは動いているのか止まっているのか。
では「陽のあたる場所」を見てみよう。
カメラと被写体の距離についてまずは答えてくれ。
どうだい?アンディ。
画面のフレーミングとも通じますがカメラはどんどん2人に近づいていきます。
そうだね。
カメラと2人の距離はどんどん近づいていった。
親密感が強まり注意を引き付けられます。
よし。
ではカメラのアングルは?恋人たちをどのような角度で撮っていただろうか。
それはどう変化した?ラッセル。
彼女が駆け出すまでの最初のショットではカメラは正面から撮っていました。
そうカメラアングルはニュートラルだった。
それから?バルコニーでは少し下から撮っていました。
ローアングルだ。
実際よりもより理想的な情景に撮りたい場合はローアングルを使う。
物事を美化する効果がある。
さて彼女たちはダンスホールからバルコニーに出たがなぜ監督はカメラごと移動させたのだろうか?移動した距離を見せて監督は時間を縮めたかったのです。
う〜んそれは…間違ってるな。
時間を短縮したいなら編集してすぐにバルコニーに映像を切り替えるべきだ。
なぜそうしないんだろう?なぜちょっと間を作って移動の動きを見せているんだろうか?ダルーシュ。
彼女は彼と話を続けるために外に出る必要があったからです。
確かにそれもある。
彼女は外に出る必要があった。
誰にも聞かれたくなかった。
大勢の前で口にするにはためらいがあった。
彼女はまだ18歳でうぶだ。
そういう事だね。
でも他に理由はないだろうか?
(ダン)2人だけの空間にするためです。
それも確かにそうだ。
カメラを2人に近づける事で空間を2人だけに限定した。
でも私が聞いているのはその事ではない。
なぜわざわざカメラに動きを与えたのか。
時間の流れに変化をつけるためですか?最初彼女とカメラは静止していてそれから彼女と一緒に動きだしてスピードアップしてそしてまたゆっくりに戻りました。
今のは私が言おうとした事を少し違った言い方で説明してくれた。
こう考えてみてくれ。
これは非常に緊張した濃密なシーンだ。
長く引っ張る事はできない。
続けるためには観客に少し間を与えなきゃいけないんだ。
少し解放してからまた緊張を高める。
ヒッチコックが得意とした手だ。
サスペンスをユーモアで一旦緩めてそれからまた緊張を高めていく。
ラブシーンでも同じだ。
ずっと同じ緊張感のまま延々と続ける事はできない。
ダンスホールではずっと濃密なシーンが続いていた。
だから一度それを解放したかったんだ。
彼女だけではなくカメラごと移動する事で間を作った。
そしてまた緊張感を高めていったんだ。
さて次はカメラの客観性について話そう。
カメラは出来事を後ろから捉え客観的な視点で記録していく。
ところがカメラは主観的にもなれる。
「カメラが主観的になる」とはどういう意味だろうか。
分かる人は?登場人物の視点になれるという事です。
そのとおり。
例えばこんなショットだ。
カメラが登場人物の目の代わりになる。
登場人物がこんなふうに部屋を見渡している映像として撮る。
それが主観的なショットだ。
それでは最後に公開当時大きな話題をさらったサム・ペキンパー監督の「ワイルドバンチ」を見てみよう。
この映画「ワイルドバンチ」の中では主観的なショットが使われているのでそれを見つけてほしい。
でも他にも気を付けてほしい点がある。
注意深く見てほしい。
これは映画の最初のエピソードだ。
銀行強盗のシーンだ。
監督はどのように時間を操作しながら撮影したかも見てほしい。
そしてカメラの主観的なショットはどれか。
この2つの事を念頭に「ワイルドバンチ」を見てみよう。
(叫び声と銃声)
(銃声)
(銃声)
(銃声)
(銃声と叫び声)
(歌声)
(銃声と馬の鳴き声)
(銃声)
(銃声)
(銃声)
(銃声と叫び声)
(銃声)
(銃声と叫び声)
(銃声)まずは時間操作について話そう。
2つのスピードがあったね。
1つはもちろん現実のそのままのスピードとあとは?
(ラッセル)スローモーションです。
スローだ。
理由は?暴力性や銃撃の印象を強めるためです。
カメラというのは現実のスピードで撮影する事もできるが時間を早めて撮る事もできる。
あるいは遅くして撮る事もできる。
スローモーションだ。
繰り返して映す事だって可能だ。
どれも現実の人生では不可能な事だ。
人生のある瞬間をゆっくりになんてできない。
現実には時間は容赦なく過ぎていく。
では他には?心理的にはどんな効果を与えるだろうか。
リアルタイムとスローモーションがないまぜになって映されるとどんな効果があるだろうか?混沌とします。
そう混沌に巻き込まれるんだ。
監督はこの現場の狂気度を超えた状況を伝えようとしてリアルタイムとスローモーションを交ぜたんだ。
ではこの中で主観的なショットに気付いただろうか?クリスチーナはうなずいてるね。
どこにあった?馬に乗った男が撃たれた時です。
そうだ。
男が撃たれ倒れる。
その時彼が死ぬ瞬間最後に見た映像が映し出される。
主観ショットだ。
(銃声)
(銃声と叫び声)
(歌声)
(銃声と馬の鳴き声)優れた映像は君たちをストーリーの真っただ中の特等席に招待してくれる。
目の前で手で触れるくらいの感覚を与えてくれる。
監督とはそのように撮影プランを組み立てなくてはならない。
そして今日最後に君たちに伝えたいのはこれだ。
すばらしい映像は心に衝撃を走らせる。
衝撃だけではなくジワジワと心に響き渡るものもある。
そのような映画は生涯にわたって心にいつまでも残り財産となり言葉を超えた濃密な体験を君たちに与えてくれるだろう。
では今日もすばらしい時間をありがとう。
(拍手)2015/05/15(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
白熱教室海外版 ハリウッド白熱教室(3)撮影 すべてのショットには意味がある[二][字]

ハリウッド映画の魔術を解明する特別講義。3回目は「撮影」。1つのシーンを撮影するだけでも数え切れないほどの選択肢がある中、映画監督はどうプランを決めるのか。

詳細情報
番組内容
映像で語る映画監督にとって最も重要な能力である、「撮影と映像の組み立て」がテーマ。画面の中に何を入れ、何を入れないのか?登場人物は画面のどこに、どんなサイズで配置して撮影するのか?役者が動くのか、カメラが動くのか、それらはどんな違いを生むのか?たった1つのシーンを撮影するだけでも数え切れないほどの選択肢がある中、映画監督はどんな意図や狙いを込めて決断するのか?巨匠たちの驚きのテクニックを紹介する。
出演者
【出演】南カリフォルニア大学教授…ドリュー・キャスパー

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz

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