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2015-05-18

橋下徹の「死と復活」はあるのか…過去のとある事例から。

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よっしぃ@yosshii1007

https://twitter.com/yosshii1007/status/599938122353246208

大阪「歩」から大阪「と」に成れませんでしたね

それはよしとして。えーと会見全文…やっぱりありました。

【会見速報】維新の会・橋下代表が政界引退任期が終わったら弁護士やります」 http://logmi.jp/59213 @logmijpさんから

 

橋下氏「やっぱり間違っていたということ」

橋下徹氏(以下、橋下):大阪市民のみなさん、重要な意思表示をしていただきましてありがとうございます。大変重く受け止めます。僕が提案した大阪都構想市民のみなさまに受け入れられなかったということで、やっぱり間違ってたということになるのでしょうね。

本当によくいろいろなことを考えていただいて、かなり悩まれたと思いますし、非常に重い重い判断を…


さて、自分大阪都」構想とかほとんど追ってこなかったんで、そのへんはすっ飛ばしますが……今回「政界引退」を表明した、その計算や将来について興味がある。


というのは、一種の政治的な「横死」、あるいは支持者からみたら「暗殺」でしょ。

今回の大阪都構想に関する住民投票は、ほとんどの報道機関が、ぎりぎりまで「否決」を打てない政治史上に残る大接戦だった(世論調査出口調査研究にも大きな意味を持ちそうです)

まだそういう支持、パワーを持った状態で、ある意味自分から野に下る…。

それがどういう意味を持つか、ですわ。

覚えている世代は覚えていると思うけど、かつて非常に論壇に影響力のあった江藤淳という評論家は、ゲンダイとか佐高信氏が罵声を投げつけていた1990年代から、小沢一郎という政治家をたいへんに評価していましてね。新進党、という勢力で自民党対峙していたときも応援していましたが、その新進党ジリ貧になった時に、こういう文章を書いた。

いまでも保存していた人がいた。リンク先には全文ありますが、必要部分を抜きだします。

http://amesei.exblog.jp/11348662/

江藤淳氏のエッセイ全文の転載開始>

【月に一度】江藤淳 帰りなん、いざ 小沢一郎君に与う

1997年03月03日 産経新聞 東京朝刊 1面

…(略)

 ★ 新進党は、いや日本政界は、構想力雲のごときこの優れた政治家を、寄ってたかって潰してしまおうとしているのだろうか。それは嫉妬からか、反感なのか、はたまた“剛腕”を謳われた小沢一郎自身の、不徳のいたす所というほかないのか。

 そこで、この際、私は小沢一郎君に一言したい。(略)…その時期については君に一任したい。しかし、今こそ君は新進党党首のみならず衆議院議席をも辞し、飄然として故郷水沢に帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁には、しばらく閑雲野鶴を友として、深く国事に思いを潜め、内外の情勢を観望し、病いを養いつつ他日を期すべきではないか。

(略)

 どんな良い弓でも、鳥がいなくなれば捨てられてしまう。信念の実現は、現実社会ではなかなか思い通りにはならない。とはいうものの、小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢へ帰ったらどうだというのである。

……日本の政治は、小沢対反小沢呪縛のなかを、行きつ戻りつして来たといっても過言ではない。小沢一郎永田町を去れば、この不毛な構図はたちどころに解消するのである。…反小沢急先鋒は、振り上げた拳の行きどころを失うのである。

 ★ 小沢一郎永田町を去れば、永田町は反小沢の天下になるのだろうか? かならずしもそうとはいえない。(略)…反小沢を唱えさえすれば能事(のうじ)足れりとして来た徒輩が、今度は一人ひとり自分の構想を語らざるを得なくなるからである。…皆一様に茫然自失せざるを得ない。

 その茫然自失のなかで、人々は悟るに違いない。過去五年間日本政界を閉ざしていた暗雲の只中に、ポカリと一点の青空が現れたことを。党首の地位にも議席にも恋々とせず、信念を枉(ま)げず、理想を固く守って故山へ戻る政治家の心情の潔さを。小沢君、君は何もいう必要がない。ただ君の行動によって、その清々しさを示せばよい。

 ★ 大西郷以来、そういう出処進退を示し得た政治家が何人いただろうか。

(略)

 ★ 水沢へ戻った君を、小沢君、郷党は粗略に扱うはずがない。いや、郷党はおろか国民が君をほっておかない。構想力と実行力を兼備し、信念を枉げずに理想に生きる政治家を、心ある国民はいつも求めている。遠からず内外の政客水沢詣でがはじまり、やがて門前市をなすという盛況を呈するに違いない。……君の理想をくっきりと浮かび上がらせればよい。君はまだ五十四歳の若さである。

 ★ 水沢で想を練り、思索を深めつつ改稿した『日本改造計画』第二版をひっさげて、捲土重来、国民の與望をになって議政壇上に復帰する日が、そう遠いものとも思われない。

えーと「当時の小沢一郎」の立ち位置と、いまの小沢一郎立ち位置の差は説明を略す。というか説明できないよ、俺には(笑)


まァ、小沢や橋下の違いとか、維新新進党の違いとかもこのさい、どうでもよくて…要は根本部分。

ジリ貧が予想された勢力、政治家が、まだ余力があるうちにぽんっと『いさぎよく』身を引く。その結果、逆に平穏時代の実務によって失望されたりすることなく、カリスマが維持されるか、あるいは強化される。その結果、また節目の動乱の時に『待望論』が渦巻き、彼は復活する」……

 

というシナリオ、これがうまくいくかどうかです。

実は、ご存知の通りこの、江藤淳の渾身の献策は結局採用されることなく、小沢氏はその後も十年二十年と政界を駆け巡り、一時は天下を取った。


だから、この江藤淳の計略が、本当に奏功するかはまだ確かめられていない。

そんな暢気なことを言っている場合じゃないのだが、それがどうなるのかなあ、こういうふうに本当になるのかなあ…そんな興味が自分にあることは否定できない。

 

「ボタンがあったら押すだろー?」「あー 押すなあ」


いや、すでに一回成功したのかも…石原慎太郎……

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

1995年平成7年

4月14日 - 議員在職25年表彰を受けての衆議院での演説中、「日本の政治は駄目だ。失望した」という趣旨発言を行ない辞職を表明(最初の地盤継承者は栗本慎一郎)。

 

1996年平成8年

7月 - 弟の石原裕次郎テーマに『弟』を発表。数か月後ミリオンセラーとなる。

 

1999年平成11年

4月11日 - 1999年東京都知事選挙出馬立候補表明の記者会見での第一声の、「石原裕次郎の兄でございます」と言う挨拶が話題を呼ぶ。鳩山邦夫舛添要一明石康柿澤弘治ら有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。「都庁で会おうぜ」と言う当選の弁が話題を呼ぶ[要出典]。


歴史的にいうと、江藤淳小沢をなぞらえたように、西郷隆盛が野に下る、とか、あるいはフランスで「ブーランジェ将軍事件」ちゅうのがあったようです。

自分も二番目の事件に関しては名前をしってるぐらいで、これからウィキペディアを読むんだけどね。大佛次郎がこの事件のことを書いてたらしいんすよ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6



さて、そうなる可能性は高いのかどうか。

政治家のファン、支持者というのは虱にも似ていて、(政治的に)生きているからこそそこに集まるので、死んだら離れていく。維新の会自体が、橋下引退後に生き残れるかもまったく心もとない。

あと、一応橋下は「今後、国会議員への転進はない」と明言してる。彼がいままでウソを言ったことがあったかっ。前言をひるがえしたことがあったかっ。


だから「橋下復活」は贔屓目で見ても3分7分、あるいは2分8分ってところだろう。

gryphongryphon 2015/05/18 09:38 今日は時間の関係で、格闘技の記事はお休みします

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