STAP論文騒動の時のように
不自然な疑惑を表面化させることが
狙いです。
象徴が使えない発達障害が増えているとか
被災地のこころのケアは足りているとか
大いに議論されるべきですね。
文科省は
他大学にも広がることを期待しているそうで
大変楽しみです
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STAP論文騒動の時のように
不自然な疑惑を表面化させることが
狙いです。
象徴が使えない発達障害が増えているとか
被災地のこころのケアは足りているとか
大いに議論されるべきですね。
文科省は
他大学にも広がることを期待しているそうで
大変楽しみです
フロイトの精神分析も
PTSD理論も
トラウマを前提とした理論ですが
この本は
「トラウマは存在しない」
「そんなの
何の因果もない人生の嘘だ」という立場で
人気があるそうです。
何でもトラウマのせいにして
努力を放棄し
開き直って
特権階級のようにふるまったりするのは
(援助され特別扱いされて当然だとばかりに)
困りますが
トラウマもないのに
人の顔色ばかり気にするようにはならないと思うので
嫌われる勇気がないのは
トラウマを放置しているからだと思います。
「解離」についても
「人は過去の原因
(たとえばトラウマなど)によって
突き動かされるのではなく
いまの目的によって動いている。
一例を挙げるなら
『ついカッとして怒鳴った』のではなく
『怒鳴り声をあげるために
怒りの感情をつくり出した』と考える。
怒りの目的は大声で相手を威嚇して
屈服させることなのだと」とのことですが
その無意識的防衛機制を多用し
PTSDの病理として定着させてしまった人が
問題をこじらせて
こういう本を手に取っているのだから
(あるいは何でもトラウマのせいにする
知り合いを説得したい援助者か)
やはりあるものはあると認めた上で
対応するしかないように思います。
アドラーも
虚弱体質や幼い頃の兄弟の死や
苦手な算数を克服した経験等から
フロイトに学んだ上で
独自の劣等感克服理論を
見出したと思うんですけどね。
http://blog.livedoor.jp/kyoclinic/archives/5011303.html
作家の
統合失調症のような
PTSD症状を治したのは
倫太郎ではなく
宮川教授の出したリスパダールではないかと
宮川教授名医説を唱えておられます。
話も聞かず
画像だけ見て
薬を処方するだけでは治らないと
国際神経精神薬理学会も言っているのに
なんでこういう主張になるのでしょう。
香山リカと一緒で
2つ資格を取ると
頭が壊れるのでしょうか。
高校在学中に
同学年の男女2人に
劇物の硫酸タリウムを飲ませたわけですが
「飲ませて観察したかった」と供述
一回目の女性は
手足の痛みや脱毛にとどまり
二回目の男性は
タリウム中毒で
特別支援学校に転校しています。
大学生になってからは
77歳女性に対する殺人ですから
精神科医療を
象徴的に真似てますね。
象徴が使えない
発達障害が流行しているなどという
愚説を
ユング派が垂れ流すものではありません。
主人公は
望み通り
手術で
知能が高くなりましたが
情緒面が子どものままなので
人を怒らせたり
悲しませたりすることが続出し
温かく支えていた仲間もお手上げで
「お前は誰なんだ!」と
やるせなさをぶつけます。
究極の状態で
自己のアイデンティティをつかむのは
禅の公案から
(如人千尺懸崖上樹
木の下から「お前は誰か」と訊かれる)
『崖の上のポニョ』まで
普遍的なテーマです。
『Dr.倫太郎』でも
解離性同一性障害がテーマになっていますね。
この象徴性が観えない専門家には
発達障害の物語に見えるようなので
そこで箱庭を置いても
無駄ですね。
PTSDが未治療のままで
知識だけつめこむようにもなるので
(真の理解はできず
野狐禅になり)
転落してゆきます。
(停滞はない)
主人公が
自分を捨てた母親に会いに行くと
母親は
恐怖心から攻撃的に防衛し
(部屋の隅に追い詰められたネズミのよう)
ふさぎ込みました。
もう長らく
鬱気味で伏せっていたようです。
加害者側は
解離性同一性障害を起こして
判断能力を失って
虐待するわけですが
その行為により
のちに
罪悪感が生まれ
PTSDは悪化してゆくわけです。
主人公は拒絶されましたが
仲間に傾聴されながら
母親との関係を
客観的に見直してゆきます。
PTSDのワークになっていますね。
主人公は
母親に捨てられたので
(PTSDから重症発達障害を起こしている。
真正の発達障害ではない)
雇い主からは
「忘れなさい」と言われてきましたが
(PTSD治療でよくある間違いです)
母親に会いにゆきます。
しかし
本当に好きな女性に対しては
裏切られたと感じながら
「大したことはない」と
何度もこころの中で
繰り返し
「理性で
こころにフタをする」努力をしています。
(これもよくある間違い)
なかなか
一筋縄ではゆきませんが
ありのままを認めながら
(2つ目も間違いを意識し言語化し始めている)
回復しようとする
自己治癒力が作動し始めたようです。
どこから見ても
発達障害ではありません。
こういう誤診が多いので
今風に
脚本が書き換えられたのでしょう。