昨日昼公演で、"ライブの面白さも少ない"と書いたのが効いたのか、たまたまか、デカ紫のセリフにだいぶアドリブ感が加わりました。
他の俳優さんはそうでもなくて、もっといじってもいいと思いました。
照代と和子の歌も、ようやくちゃんと聴きました。
昨日まで、違うところの考察でお腹いっぱいで、理解する気力がなかったからです。
正太と結婚していいか迷う照代の背中を、和子が押すような構成で、歌としては面白いことを発見しました。
またその前に、子供を産んでいいか迷う陽子の背中を照代が押しているので、三段論法のような構成になっていることにも、いまさらながら気づきました。
陽子と照代の歌は、2人の歌を敢えてちぐはぐにしていて、そこも面白いと思いました。
これら、描き方の手法として面白いのです。
しかし、面白いものは涙ではなくて、面白いもの、楽しいものとして受け取りたいと、個人的には思います。
涙、血、ドラッグ、死、このようなものが続けざまに来ると、いくら主張してもどうしても未来に続かない気がするからです。
そしてやはり、次女彩恵子が救われてないのは気になりました。
最後のほうで去ろうとする照代の手を握るのですが、彩恵子の闇が家柄なりおばあさんのしつけなりに起因しているものだから、いちばん心の闇が深いはずと思うのです。
そこが解放されてないのが、どうしても気になるのです。
あと、靖は単なる狂人になってますよね。あれは間違いなく実刑ですよ。違法ドラッグもやっているようですし。
だから陽子が子供を産んだ後の、陽子と子供の苦労も、気になるところです。
「ソロモンの偽証」で弁護人役の子は、親が殺人犯ということで悩みました。
陽子の子も、一命を取りとめたとはいえ、親がおじいちゃんを刺して刑務所に入る運命なのですから、相当悩むでしょう。
それをはね返すだけの気概を、この作品から受け取るのは難しい気がします。
いまを受け入れることに、なんとかアップアップしている人々を描いているのですから。
もっと小さな困難でいいから、階段を登るようにひとつひとつ改善できる物語が欲しいです。
そこで、今日いいなと思った三段論法なり、歌の掛け合いなりで立ち向かえるような描き方ができないものでしょうか。
伊達娘の演技が好評とネットニュースに出て、さらにAKBが外仕事を取って来ていると書いてありましたが、良かったと思います。
そりゃ、外仕事しても通じるように、私かなり頑張って応援してきましたから。
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