鋳鉄は脆く耐摩耗性にも乏しいから、普通なら軸受に使おうなどとは考えない。しかし、鋳鉄には無数の巣(す)と呼ばれる細かい空洞がある。この空洞に鉛筆の芯などに使われるカーボンの粉を詰め込んだらどうだろう・・・。
カーボンの粒子は表面が滑らかで、いわば粒子一つひとつが転がり軸受の鉄球のような存在である。軸受に使えば滑らかな回転が得られるのではないか・・・。
それに、カーボンの細かい粒子は油と同じような働きも期待できるので、軸受に油を使わなくてすむのではないか・・・。
日本で実際に油を使わない軸受が実用化されるのは戦後になってからだが、当時、貴重な砲金が使えないためにこんな開発が進められていたというのだ。まさに必要は発明の母と言われるゆえんである。父から意外な昔話を聞き、原稿を回り道させたかいが少しはあった。
ちなみに当時、米国は日本やドイツの戦闘機から迎撃を受けないように高度1万メートル以上を飛べる爆撃機(B-29)を戦場に大量投入していた。この高高度を飛べるようにしたブレークスルーの1つが潤滑だったと言われている。
シリコーンをすでに実用化していた米国
気温が摂氏マイナス50度にもなる1万メートルの高度では、常温でさらさらの油でも固くなってしまい潤滑油の働きができなくなる。このため日本が誇ったゼロ戦もB-29をなかなか迎撃できなかった。B-29にはこの時すでに、シリコーンを使った潤滑が使われていたという。
さて、寄り道もこのくらいにして創業400年を迎える有田焼の話に戻る。
朝鮮半島から技術が伝わった磁器の生産が有田で始まり、一方で中国と朝鮮半島が非常に厳しい鎖国によって世界市場から閉ざされた結果、有田焼が欧州で大人気商品となったことは前回書いた。
そして日本の輸出入拠点である長崎を押さえていた佐賀藩は、幕府に内緒の密貿易で有田焼をヨーロッパに輸出し多大な利益を得、これが幕末の反射炉や蒸気船、アームストロング砲などの技術革新につながったことも書いた。