有田焼が世界ブランドとして認知されたのである。もちろん、明と清、李氏朝鮮の鎖国政策のおかげばかりではない。有田の人たちはヨーロッパの人たちの意見を取り入れ、中国産の伝統的な磁器とは一味違ったデザインの磁器を次々と開発した。今で言うマーケットインの考え方である。

 そして、佐賀藩には外貨収入がたんまりと入り、藩の台所を大いに潤した。佐賀藩が教育に力を入れられ、幕末には日本で初めて反射炉を作って蒸気船やアームストロング砲と呼ばれる最新鋭の大砲を作れたのも、有田焼と全く無縁というわけではない。

 ちなみに、今回世界遺産への登録が勧告された、伊豆長岡温泉で有名な静岡県伊豆の国市にある韮山反射炉は、佐賀藩の反射炉の後にできたものである。

 ついでに反射炉とは、溶融した鉄に高温のガスと空気を送り込み、鉄の中に含まれる炭素を酸化して二酸化炭素に変えて取り出し、鉄の中の炭素濃度を下げる炉のこと。

 これによって粘りのある鋼ができる。熱源からの輻射熱を反射させて溶融した鉄に当てるため、こう呼ばれている。現在は効率の悪い反射炉に代わり、直接熱と酸素を吹き込む転炉が使われている。

 秀吉の朝鮮出兵によって朝鮮半島から伝わった磁器が有田焼を発展させて国際商品となり、それが佐賀藩を潤し日本の近代化を促進させた。そして、朝鮮半島や中国大陸への日本軍の侵略へとつながっていく。

 直接の因果関係はないにしろ、歴史とは何か皮肉なものである。

(つづく)