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「ラシュカレ・タイバ」(LeT)
Lashkar-e-Tayyiba

カシミール地方及びパキスタン・パンジャブ州を中心に活動するスンニ派過激組織。イスラムによるインド亜大陸の統治を標傍。

別称 :
@Lashkar-e-Tayyiba,ALashkar-e-Toiba,BLashkar-i-Taiba,Cal Mansoorian,Dal Mansooreen,EArmy of the Pure,FArmy of the Righteous,GArmy of the Pure and Righteous,HPaasban-e-Kashmir,IPaasban-i-Ahle-Hadith,JPasban-e-Kashmir,KPasban-e-Ahle-Hadith,LPaasban-e-Ahle-Hadis,MPashan-e-ahle Hadis,NLashkar e Tayyaba,OLET,PJamaat-ud-Dawa,QJUD,RJama'at al-Dawa,SJamaat ud-Daawa,21Jamaat ul-Dawah,22Jamaat-ul-Dawa,23Jama'at-i-Dawat,24Jamaiat-ud-Dawa,25Jama'at-ud-Da'awah,26Jama'at-ud-Da'awa,27Jamaati-ud-Dawa,28Falah-i-Insaniat Foundation(FIF)

1 設立時期

1990年

2 組織・機構

(1) 指導者,幹部等

ア ハフィズ・ムハンマド・サイード(Hafiz Muhammad Saeed)

「マルカズ・ダワ・ウル・イルシャド」(布教・教示センター,MDI)(注1)及びその軍事部門とされる「ラシュカレ・タイバ」(LeT)の設立者であり,MDIを改称(2002年)した「ジャマート・ウッダワ」(JUD)(注2)の最高指導者。1950年6月5日生まれ。パキスタン・パンジャブ州出身。パキスタン国籍。パキスタンのラホール工科大学でイスラム学の教べんを執っていたが,アフガニスタンにおける対ソ連戦を目的とした軍事訓練を受けるため,アフガニスタンを訪問し,オサマ・ビン・ラディンに大きな影響を与えたパレスチナ人イスラム学者アブドラ・アッザム(注3)と面識を持ったとされる。

2001年12月24日,ラホールで記者会見を開き,LeT最高指導者の地位を辞し,マウラナ・アブドゥル・ワヒド・カシミーリを後継者に指名した。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2008年12月,LeT及び「アルカイダ」の活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。パキスタン当局は,ムンバイ同時多発テロ事件(注4)後,同人を自宅に軟禁したが,パキスタン最高裁は,2010年5月,同人が同テロ事件に関与した証拠がないとして,自宅軟禁を解く判決を出した。同人は,現在,パキスタン国内で説教活動などを行っているとされる。

イ マウラナ・アブドゥル・ワヒド・カシミーリ(Maulana Abdul Wahid Kashmiri)

2001年12月,サイードによってLeT指導者に指名された人物(注5)

ウ ハフィズ・アブドゥル・ラフマン・マッキ(Hafiz Abdul Rahman Makki)

副司令官。政治部門責任者。1948年頃の生まれ。パキスタン・パンジャブ州出身。パキスタン国籍。ハフィズ・ムハンマド・サイードの義理の兄弟。米国務省によると,同人は,過去,LeTの渉外部門トップを務めたことがあり,同組織の資金集めに関与したとされる。

エ ハフィズ・アブドゥル・サラム・ブッタヴィ(Hafiz Abdul Salam Bhuttavi)

副官。1940年生まれ。パキスタン・パンジャブ州出身。パキスタン国籍。国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2012年3月14日,LeTの活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。同制裁委員会によると,同人は,過去,少なくとも2回,最高指導者ハフィズ・ムハンマド・サイードが当局に拘束された際,代理の最高指導者として同組織の活動を運営したことがあるとされる。また,同人は,組織における主要なイスラム法学者として,同組織の活動を正当化するファトワ(法学裁定)を発出しているとされる。

オ ザファル・イクバル(Zafar Iqbal)

幹部。LeT共同設立者の1人。1953年10月4日生まれ。パキスタン・パンジャブ州出身。パキスタン国籍。国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2012年3月14日,LeTの活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。同制裁委員会によると,同人は,これまでに財務部門や教育部門などの主要ポストを担当したとされ,一時は組織ナンバー2とみなされていたとされる。

カ ザキウル・レフマン・ラクヴィ(Zaki-ur-Rehman Lakhvi)

作戦司令官。1960年12月30日生まれ。パキスタン出身。パキスタン国籍。パキスタン当局は,2008年12月7日,ムンバイ同時多発テロ事件の関連で,LeT及びJUDに対する捜査を実施し,パキスタン管理下のアザド・ジャム・カシミールで同人を逮捕した。また,国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,同月10日,LeT及び「アルカイダ」の活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。

同制裁委員会によると,同人は,「アルカイダ」関連組織から資金提供を受けるなど,LeTの資金調達で重要な役割を果たしたほか,アフガニスタンで軍事訓練キャンプを運営したとされる。また,2004年には,イラク駐留米軍に対する攻撃を実行するため,メンバーをイラクに派遣するなどしたとされる。

キ ハジ・ムハンマド・アシュラフ(Haji Muhammad Ashraf)

財務責任者。1965年3月1日生まれ。パキスタン国籍。国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2008年12月10日,LeT及び「アルカイダ」の活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。同制裁委員会によると,同人は,2003年から2004年にかけて中東諸国を訪問して資金集めを行ったとされる。

ク マフムード・モハンマド・アフメド・バハズィク(Mahmoud Mohammad Ahmed Bahaziq)

資金調達係。1943年又は1944年の生まれ。インド出身。サウジアラビア国籍。国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2008年12月10日,LeT及び「アルカイダ」の活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。同制裁委員会によると,同人は,1980年代から組織設立のための主要な資金調達係として活動し,2003年には,外国の非政府組織(NGO)やビジネス関係者に対する資金調達活動を調整したとされる。

ケ アリフ・カスマニ(Arif Qasmani)

渉外責任者。1944年頃の生まれ。パキスタン出身。パキスタン国籍。国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2009年6月29日,LeT及び「アルカイダ」の活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。同制裁委員会によると,同人は,他の組織との連絡・調整の責任者である一方,ムンバイ列車同時爆弾テロ事件(2006年7月)などのテロにも関与したとされ,また,同人は,「アルカイダ」を資金面などで支援したともされる。

コ モハメド・ヤヒヤ・ムジャヒド(Mohammed Yahya Mujahid)

広報部門責任者。1961年3月12日生まれ。パキスタン・パンジャブ州出身。パキスタン国籍。国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2009年6月29日,LeTの活動に関与したとして,同人を制裁対象に指定した。同制裁委員会によると,同人は,少なくとも2001年半ばから,LeTの広報担当を務めているとされる。

(2) 組織形態,意思決定機構

LeTは,ハフィズ・ムハンマド・サイード直属の最高司令官及び最高副司令官によって統率され,その下に複数の地域司令官及び副地域司令官が配置されているとされる。地域司令官は,活動地域を地区単位に分割し,それを地区司令官が管轄しているとされる(注6)

3 勢力

数千人程度とされる(注7)

4 活動地域

カシミール地方(パキスタン管理下のアザド・ジャム・カシミール及びインド管理下のジャム・カシミール州)及びパンジャブ州ラホールを中心としたパキスタン全域,アフガニスタン東部。

5 活動目的・攻撃対象

(1) 活動目的

LeTの活動目的は,イスラムによるインド亜大陸の統治とされ,同目的を達成するため,まずインド管理下のジャム・カシミール州をパキスタンに帰属させ,インド北部に新たなイスラム国家を建設した後,インド南部にもイスラム国家を建設することを目指しているとされる。

(2) 攻撃対象

インドを主要な攻撃対象とし,1993年以降,ジャム・カシミール州において,インド軍及び市民を対象にした数多くのテロを,インド主要都市において政府及び軍施設に対する攻撃を実行している。また,米国及びイスラエルも敵視しており(注8),2008年11月のムンバイ同時多発テロ事件では,ユダヤ教施設を攻撃したほか,米国人及びイスラエル人を殺害している。このほか,アフガニスタンに駐留する「国際治安支援部隊」(ISAF)などに対する攻撃への関与も指摘されている。

6 沿革

LeTは,1990年,MDIの軍事部門として設立された。同組織は,ジャム・カシミール州において,インド軍に対し,「挺身攻撃」(フェダイーン・アタック)と称する自爆攻撃を多数実行したほか,2000年12月のレッドフォート(デリー城)襲撃事件,2001年12月のインド国会議事堂襲撃事件など,インド首都圏でのテロを続発させ,地域情勢を緊迫化させた。こうした状況を受け,米国国務長官は,2001年12月,LeTを「外国テロ組織」(FTO)に指定し,パキスタン政府も,2002年1月,LeTを非合法化した。また,国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2005年5月,「アルカイダ」,オサマ・ビン・ラディン及び「タリバン」の活動に関与したとしてLeTを制裁対象に指定した。

LeTの最高指導者ハフィズ・ムハンマド・サイードは,2001年12月,LeTがパキスタン政府などによる資産凍結の対象となったことを受け,最高指導者の地位を辞し,マウラナ・アブドゥル・ワヒド・カシミーリが後任となることを発表した。また,2002年,同組織がFTOに指定されるなどしたことを受けて,MDIをJUDに改称し,以後,「JUDはLeTと関係がなく,いかなる武装活動も行っていない」と主張するようになった。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2008年12月10日,JUDがLeTの別称の一つであると認定した。

7 最近の主な活動状況

(1) 概況

2008年11月のムンバイ同時多発テロ事件以降,LeTによる大規模なテロは発生していない。一方,2012年6月,同事件でテロ実行犯を直接指揮したとされる容疑者が逮捕された後,同人の供述から,@同人がサウジアラビアでインド人をリクルートする任務を負っていたこと,ALeTが,インドのジャム・カシミール州等での大規模テロを計画していること,BLeTが,インドのイスラム過激派である「インディアン・ムジャヒディン」(IM)と協力関係を維持していること,などが明らかになったとされる(注9)

他方,ハフィズ・ムハンマド・サイードは,パキスタンにおいて,インドを敵視する説教などを行っているほか,2012年4月,ラホールでの金曜礼拝の説教の場において米国に対する「ジハード」を訴えるなど,インドのみならず,米国もテロの標的との認識を改めて示したとされる。

(2) 他勢力との連携

LeTは,「タリバン」と関係を有しているとされる。アフガニスタンで活動する国際治安支援部隊(ISAF)は,2010年7月,同国東部ナンガルハール州で「タリバン」司令官を拘束した際,「拘束した『タリバン』司令官が,LeT戦闘員のナンガルハール州への流入を支援していた」と発表したほか,2012年6月,同国東部クナール州でLeTの同州司令官が空爆で死亡したことを発表している。さらに,2013年4月には,同国南東部ガズニ州でアフガスタン軍及びISAFに対する攻撃を計画するなどしていたとされるLeT幹部メンバーを逮捕したことを発表している。

このほか,LeTは,IMや「インド学生イスラム運動」(SIMI)などと近い関係にあるといわれている。2008年11月のムンバイ同時多発テロ事件では,LeTがIMの支援を受けて実行したとされる(注10)

(3) 資金獲得活動

米国国務省「テロリズム国別報告2012」によると,LeTは,パキスタン,湾岸諸国,中東諸国及び欧州諸国で, 活動資金に用いる寄附金を集めているとされる。

(4) リクルート活動及び訓練

戦闘により死亡したLeTメンバー900人以上の「伝記」を記したLeT発行の書籍及びパキスタン政府発表の統計に関する研究(注11)によると,LeTは,大半の要員をパンジャブ州でリクルートしており,リクルートされた者の平均は約17歳とされる。

LeTは,リクルートした者に対し,主に3段階の訓練プログラムを用意しているとされる(注12)。第一段階は,「ダウラ・エ・アマ」と呼ばれる3週間のプログラムで,主に礼拝,身体訓練及び基本的な武器使用訓練で構成され,第二段階は,「ダウラ・エ・スファ」と呼ばれる15日間のプログラムで,コーランの読誦や礼拝などで構成され,第三段階は,先のプログラムを通して選抜された者を対象とする「ダウラ・エ・カサ」と呼ばれる3か月間のプログラムで,ゲリラ戦の訓練や様々な武器の使用訓練などとされる。

年 月 日 主要テロ事件,主要動向等
90年  ハフィズ・ムハンマド・サイードが 「マルカズ・ダワ・ウル・イルシャド」(布教・教示センター,MDI)の軍事部門として「ラシュカレ・タイバ」(LeT)を設立
00.12.22  インド首都ニューデリーの史跡レッドフォート(デリー城)の軍施設に侵入して銃を乱射し,兵士ら3人が死亡
01.12.13  ニューデリーの国会議事堂に侵入して警備員らに発砲し,警備員8人を含む9人が死亡,警備員13人を含む16人が負傷(同事件には,「ムハンマド軍」〈JeM〉も関与したとされる)
05.10.29  ニューデリー中心部の3か所で連続して爆弾を爆発させ,約60人が死亡,200人以上が負傷
06.07.11 ムンバイ列車同時爆弾テロ事件
 インド・ムンバイ市で,夕方のラッシュアワー時に,通勤電車や駅の8か所でほぼ同時に爆弾を爆発させ,180人以上が死亡,800人以上が負傷
07.05.17  インド南部アンドラ・プラデシュ州ハイデラバード市のモスク「メッカ・マスジド」で,爆弾を爆発させ,16人が死亡,40人が負傷(同事件は,「ハルカトゥル・ジハーディ・イスラミ」〈HUJI〉との共同作戦だったとされる)
08.11.26 ムンバイ同時多発テロ事件
 インド・ムンバイ市のタージマハル・ホテルを始め,鉄道駅,ユダヤ教施設,レストラン,病院などを襲撃し,邦人1人を含む166人が死亡,邦人1人を含む235人が負傷(同事件では,「インディアン・ムジャヒディン」〈IM〉がLeTを支援したとされる)

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