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 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県内移設阻止を掲げる県民大会が17日、那覇市の野球場で開かれる。政治的な節目に開かれる「県民大会」という言葉は、沖縄県民にとってはなじみが深い。呼び名の背景には、本土や米国を相手にもがいてきた戦後沖縄の歴史がにじんでいる。

 「沖縄の声を届け、本土のご理解を得ることにいくらかでも資すれば」

 大会に出席する翁長雄志知事は15日、語った。大会は2012年に米軍オスプレイ配備反対で開かれて以来。安倍政権が進める普天間飛行場の同県名護市辺野古への移設に反対する翁長氏を支える県議会会派や市民団体などが主催する。

 「県民大会ってなに?」。革新県政下の1990年代に副知事を務めた吉元政矩(まさのり)さん(78)はかつて、県外の知人からこう尋ねられたという。「本土の人には理解しにくいだろう」

 戦後沖縄で復帰運動の中心母体だった「沖縄県祖国復帰協議会」の資料によると、県民大会と呼ばれる集会は56年に登場する。軍用地料の取り扱いをめぐり「島ぐるみ闘争」と呼ばれる反基地運動が沖縄を覆った年。10万人余りが参加したとされる。

 米軍の強制的な土地収用への反対運動はそれまでもあったが、島ぐるみ闘争はさまざまな組織や階層が集まった初の大規模な抵抗とされ、県民大会が定着する流れをつくった。本土復帰の機運が盛り上がった60年代後半以降は、毎月のように開かれた時期もあり、教職員の政治行為制限を盛り込んだ「教公二法」に反対する大会(67年)もあった。

 72年の復帰後は小規模な大会が中心だったが、95年の米兵による少女暴行事件が転機になった。県議会の全会派が結集した大会に、主催者発表で8万5千人が参加。「島ぐるみ闘争以来」と呼ばれた盛り上がりは全国に強烈なメッセージを届け、翌年の日米両政府による普天間飛行場の返還合意へとつながった。

 県民大会という呼称は社会的、政治的に重要な節目で使われるようになった。10年の「普天間の県内移設反対」、12年の「オスプレイ配備反対」の両大会では政党の枠を超えて幅広い層が結集。知事の参加や発言も注目され、10年の大会では出席した仲井真弘多知事(当時)が「県内移設反対」を明言せず、12年の大会には欠席して波紋を広げた。

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