いよいよ、大阪都構想の是非を問う住民投票が明日(5月17日)に迫ってまいりました。私自身は大阪市民ではない(ちなみに大阪府民でもありません)ので、直接投票することはできませんが、メディアでの解説、テレビCM、政治家の街頭演説などを通じて、投票へ向けた熱気(と混乱?)の高まりを肌で感じています。

実は3週間ほど前に、大学のゼミでの議論に触発され、大阪都構想に関してTwitterで何件かつぶやかせて頂きました。今回は少し解説を加えながら、その一連のTweetをご紹介したいと思います。タイトルからすでにお察しかもしれませんが、巷での議論とは少し違う視点で問題を見ています。ひょっとすると、頭の中で議論を整理したり、都構想問題への視野を広げるのにお役に立てるかもしれません。以下、「こんな見方もあるかもしれないなぁ」といった具合に、ゆる〜くご参考頂ければ幸いです。




二論文が所収されているコースの論文集
企業・市場・法
ロナルド・H. コース
東洋経済新報社
1992-10

ロナルド・コースはおととし(なんと102歳の高齢で)亡くなった経済学の大巨人で、ご存知の方も多いでしょう。Tweetで言及した二論文はそれぞれ「The Nature of the Firm」(1937年、Economica誌)、「The Problem of Social Cost」(1960年、Journal of Law & Economics誌)。この二つの先駆的な業績によって、彼は1991年にノーベル経済学賞を受賞しました。

前者の「The Nature of the Firm」は、なぜ世の中には「企業なるものがたくさん存在するのか?」「企業と(その外部に広がる)市場との境界はどうやって決まるのか?」という(一見すると当たり前で誰もしっかり考えてこなかった)疑問について考えた、目からウロコの研究になります。多くの経済学者が強調するように市場が効率的であれば、企業という組織は必要ではなく、すべての生産活動が市場を通じて行われるはず。逆に、規模の経済が働いて組織の方が効率的なのであれば、超巨大な独占企業がすべての生産活動を行うはず。現実の経済が、その両極端の状況に置かれていないのはなぜなのか、という問題を考えたわけです。

この問いに対してコースは、企業という組織の内部で処理することの効率性と、市場という外部の仕組みを用いることの効率性を比較し、それらがちょうど一致するところで個々の企業の(最適な)サイズは決まる、と考えました。言い方を変えると、企業を大きくしていくことのメリットとデメリット(これは経済学でおなじみの「トレード・オフ」ですね)を比較して、両者がちょうど釣り合う点で企業の規模が決まる、と見たのですね。

上述の「企業」を「自治体」や「市/区」に置き換えて考えると、現在の大阪市や、(都構想が実現した場合に生まれる)5つの特別区のサイズが、それぞれ大き過ぎるか小さ過ぎるかを議論する際のベンチマークにもなるでしょう。重要なポイントは、(企業と同じで)基礎自治体や広域自治体にも、そのサイズの大小にトレード・オフがあり、「大きければ大きいほど良い」あるいは「小さければ小さいほど良い」といった極端な見方では捉えられない、という点です。都構想を巡って、こうした極端な見方が唱えられることがしばしばありますが、背後にある「トレード・オフ」を忘れてはいけません。




「二元行政」という呼び方は全く流行らなかったようですが、二重行政よりもこちらの方が実体を捉えた適切な表現だと思います。「二重」というと、大阪市のエリアで市と府が二重に仕事をしている、という印象を抱いてしまいがちですが、実際には市が排他的に行政を司っており、大阪府は市内の行政には直接介入できません。いわば、大阪府という物理的なエリアの中で、市と府という二人の王様が別々の領域を統治しているような状況です。まさにこの権限の分割、(二重化ではなく)二元化が、「コースの定理」に関連する外部性の問題をもたらすことになります。

例えば、大阪府全域にまたがるインフラ(鉄道や道路などをイメージしてください)を整備しようと思っても、大阪市内を通るものに関して大阪府は(大阪市の了承を得ない限り)直接作ることができません。極端な例にはなりますが、ある高速道路を通すことによって大阪府全体として100の便益、80のコストが発生するとしましょう。府全体としては20だけ純便益が生まれるため、もしも大阪府が意思決定を行うことができれば(かつ府民の利益の代弁者であれば)、この高速道路は建設されることになります。

さてここで、大阪市だけを考えると、便益が30、コストが40だったとします。高速から享受できる利益は府全体の3割である一方、負担するコストは半分、という状況ですね。このとき、大阪市では10だけ純損失、つまりマイナスが発生することになるため、大阪市は(大阪市民の利益の代弁者であれば)高速道路建設に反対するでしょう。結果的に、大阪全体としてプラスの効果を生み出す高速道路が建設されません。大阪市が市民(だけ)の利益を考えれば考えるほど、こうした状況は生まれやすくなり、広域インフラが充実しない、という皮肉な結果がもたらされるわけです。

一見すると、上のストーリーでは大阪市が悪者のように映るかもしれませんが、大阪市は市民の利益をきちんと追求しており、その点に関しては何の落ち度もありません。市と府では、誰のために仕事をするかが違うため、当然ながらそのインセンティブも異なるだけに過ぎません。問題なのは、あくまで二元行政という制度そのものです。大阪市(や大阪府)がきちんと仕事をする結果、インフラに代表される広域行政のサービスが低下してしまう・潜在的な価値を持つ公共財が供給されない、というのが問題の本質であって、大阪市や大阪府を責めても解決する問題ではないのです。

さて、この「二重/二元行政」問題について、現行の仕組みのもとでも解決できる、という意見も多く耳にします。次に、この点について考えていきましょう。




前述の高速道路の例では、府全体で20のプラスが生まれていたものの、大阪市では10だけマイナスが発生していました。ここで、市と府で交渉を行い、何らかの形で大阪市のマイナス分を府が補填することができれば、大阪市にはもはや反対すべき(経済的な)理由がなくなります。問題は、こういった交渉が現実的に(特に政治的に)可能かどうか、という点でしょう。

ロナルド・コースは、交渉のコスト(政治的な思惑なども含めたトータルの費用を指し、「取引費用」と呼ばれる)がゼロであれば、全体にとって利益の出るプロジェクトは、誰が最終的な決定権限を持っていたとしても(背後の利害調整を通じて)実行される、と考えました。これが有名な「コースの定理」の中身です。ただし、現実には取引費用はしばしば大くなり、決定権限を誰が持つかによって、どのプロジェクトが行われるかが大きく変わってくる可能性があります。「コースの定理」の表面的な含意とは裏腹に、決定権限を巡る制度的な構造は非常に重要なのです。(ちなみに、コース自身もこの点を強調していたことを付言しておきます)

橋下市長は、府知事と市長という両自治体のトップを経験して、おそらくこの取引費用が非常に高い、という現実を痛感されたに違いありません。この高い取引費用を前提とすると、都構想が実現して大阪市が解体されれば広域インフラは作られやすく、都構想が頓挫すれば作られにくくなる、ことが予想されます。大阪市民の立場で考えると、都構想が実現した場合には、自分たち(だけ)の利益にはならないプロジェクトが増えるリスクは高まります。ただし、それらは大阪や関西圏全体で大きな価値を生み出す可能性も高く、長期的には関西の地盤沈下を軽減する大きなきっかけになるかもしれません。今回の住民投票では、このプラスとマイナスをどう評価するか、という点が各人に問われているのではないでしょうか。




2015年現在では「維新の会」の求心力が強いため、ひょっとすると「コースの定理」が成り立ちやすい(つまり、都構想が実現されなくても二元行政が解消されやすい)のかもしれません。しかし、不確定な政治状況を考えると、将来もこのまま取引費用が低いとは限りません。変えられるうちに、問題の根源であった決定権限の構造、つまり制度的な仕組みそのものを変えてしまおう、というのが橋下さんの真意なのではないでしょうか。

最後にオマケ(笑) コースは読んで損ナシですよ!(数式も一切登場しません!!)