残念な教員 学校教育の失敗学 (光文社新書) 林 純次 光文社 2015-02-17 売り上げランキング : 3230
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こんにちは。
30歳の誕生日になるので、三本の記事をアップする、という企画記事の一つになります。
この記事は、というか、どの記事もわたしは真面目に自分の書きたいことを書いてきたつもりですし、これからもそのつもりです。ただ、やはりブログという不特定多数の方の目に触れる場所に個人の情報をどこまで書くか、ということは色々抵抗がございまして、あんまり自分の今や過去に深く触れ過ぎる内容は書かないでおりました。でも、この記事に書く内容は私がずっと思っていて、書きたかった内容の一つになります。ついに30歳の誕生日だし、自分的にもいろいろなけじめ、ということで書かせて頂きます。
まず、この記事の本文に入る前に言いたいのは、わたしはこの記事で、今の日本の教育業界について完全に批判していますが、今現在教師として教壇に立っている方や、かって立っていた方、これから立つ予定の方を批判したり、下げた物言いをしたいわけではないということです。批判する関係上、ブログという関係上、より多くの方に伝わりそうな表現を選ぶため、時にはすこし過激な、きつい物言いになってしまうことがあるかと思います。
しかし、それは本意ではなく、わたしは心から今や、かって教育業界に身を置いていた、いる方を尊敬しておりますし、ただ、わたしはその場に入ることから逃げた、というだけです。
だから逃げた人間の戯言とお考えください。
どうか、少しでもわたしの気持ちが色んな方に伝わって、今後の子ども達のより良い未来へ繋がるような、何か、一粒の砂のような存在にでもなれたら幸いです。
本文に入ります。
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まずはじめにわたしのこれまでの人生についてお話させてください。
わたしは公務員の両親から生まれました。身内、親戚も公務員や教師が多くいる環境です。両親が公務員ですから、小さいころからお金に不自由な思いをしたことはなかったですし、むしろ他のお家と比べたら少し裕福な生活をしていたかもしれません。小さいころは毎年家族旅行に行きましたし、やりたいと言ったことはほぼやらせてもらったので、習い事も色々しました。私立の学校や、塾、予備校に通わせてもらい、浪人もさせてもらいました。
そんな、文字どおり何不自由なく生きてきましたが、わたしには小さいころから親に不満がありました。父と母が「公務員」であることです。小さいころから、父と母が「会社で働いている友達のお父さん」や、「専業主婦である友達のお母さん」とは違うと知っていました。ずっと鍵っ子で、さみしい思いをしたことがありますし(おやつを作ってお母さんが学校から帰りを出迎えてくれるのに憧れていました)、なんだか家は他の家の子どもとは違うな、と思う場面がたまにありました。その違和感は、小学校中学校、高校といくうちに顕著になりました。「公務員はへん」「公務員だと他のひととは違うしごとをしている」「公務員だと公務員の仕事しかしらない」「公務員は視野が狭い」「私は公務員には絶対なりたくない」と、果てはそう思うようになりました。
「公務員には絶対なりたくない」
そんな思いが高校から大学時代は特にそうで、公務員は目指すまいと思い、公務員ては離れた仕事を選んで働いておりました。しかし、社会に出る過程で体調を崩し、深刻な病気になったことや、女の自分が企業内の競争の中で、男性と闘って上昇していけるのか、疑問に思ったり、自分の能力としても、持って生まれたものを考えても、これからどう働きたいのかわからなくて、色々と自分の生き方を疑問に思うようになりました。
体調を崩して、家で休んでこれからを考えていた時、ふとした時、「教師ってどうだろう」と思い至ったのです。小さいころから子どもは好きでしたし、何かをひとに教えることも嫌いではなかったのです。昔はあんなに嫌だった公務員も、今のわたしには「安定的な収入を得て」「女性でも活躍できる」魅力的な仕事に写りました。
そしてわたしは、通信制の大学に通い、教職を目指します。同時に小学校にボランティアとして毎週伺い、ティーチングアシスタントとして小学校で先生(見習い)になりました。
ボランティアの経験は楽しかったです。色々な子どもがいる中で、いくらボランティアとはいえ、大変なこともあったけど、子どもが「ナミ先生!」と慕ってくれ、中休みや昼休み一緒に遊んで校庭を走りまわったり、勉強をみてあげたり。給食を食べておしゃべりしたり。整列や給食の配膳の指導を任せてもらえたり。
いよいよ免許がとれそう、という時に教育実習にもいきました。最初の数週間こそ、ボランティアの延長のような感じで負担が少なかったのですが、最後の1、2週間は本当に大変でした。まず、自分が授業をするとなると準備をしなくてはいけない。授業計画を指導教諭の先生に見てもらい、直して、直して、準備します。研究授業と言って、大学の担当の先生や、実習校の多くの先生が見に来る授業の準備は特に大変で、い、2週間近く平均3時間寝ることが出来なかったです。1時間半〜2時間位。毎朝七時過ぎに学校に行って、誰もいない教室で、授業の準備をして、子ども達が来たらやめて、授業をしたり、見学して、放課後は日誌を書いて、授業の準備をして、帰るのが20時過ぎになることもありました。帰って、1、2時間寝て、また準備をして、明け方にまた1、2時間、30分寝て、また学校に行きました。そんな毎日を送っていたので、当然体調を崩し、休んだ日や、保健室で休ませてもらった日もありました。特に、指導教諭の先生とうまくコミュニケーションとれないことが多々あり、苦しくて、どうしたらいいかわからなくて、本当今思い出しても涙が出るくらい、辛かった。30年近くも生きていて、こんな経験はじめてじゃないか、と言う位辛かったのです。
でも、辛いことばかりでは、決して、ありませんでした。
子どもたちが「ナミ先生!」と慕ってくれ、一緒に勉強して、一つ一つ出来るようになった時の喜びをわかち合えたり、成長の場に立ち会うことが出来た。実習生だけど、未来の可能性に奉仕できたと思えたことは、本当にうれしかったですし、頑張って教師になろう、と思いました。実習期間中どんな辛く苦しいことがあっても、「教師になるのやめよう」とは思いませんでした。
その年の採用試験は残念な結果になってしまいましたが、私は二足のわらじを履きながら、勉強していたのです。
ボランティアも続けていました。ただ、学期が変わって自分より若い新任の先生につくことになったことで、私の見えていた教師の世界は少し変わっていきました。
いわゆる障害をうたがわれる子が複数いたり、席に着けない子ども、落ち着いて座っていられない子ども、キレやすい子がいるクラスで、ただでさえい新任でいっぱいいっぱいの先生は、これまでのベテランの先生と違って、私に指示を出す余裕もありません。私は私で、どうしたらいいかわからなくて、子ども達とうまく接することが出来ず、よく途方にくれました。
また、教師や公務員に対するバッシングやニュースが特に気になるようになったのも
この頃です。
「公務員は使えない人間が多い」「教師は社会を知らない」「小児性愛の嗜好がある異常な人間が多い」「企業で使えない人間だから公務員・教師になる」「こんな学校、教師にこどもを任せておけない」
どれもメディアでもネットでも現実でもよく聞く言葉です。
でも、わたしが実際学校で見てきた先生達は、どの先生方もみな熱心で、志高く、子どもや教育に向き合っていました。
わたしの母もそうです。小さい頃、忙しいときはご飯が買ってきたものになったり、ずっと学童に通わさせられていたし、一人で家にいることもありました。でも、「今日子ども達がこんな嬉しいことを言ってくれたんだよ」とか、「学校で子ども達とこんな楽しいことがあったよ」と毎日のように聞かされていました。………それ以上に、苦しいこと、辛いことも毎日聞かされていたのですが。
私の記憶のなかの母は、教師として楽しいことを話している母より、苦しいことやつらいことを愚痴っている母なのです。「今日親がこんなことを言ってきた」「管理職が~~を~~した」「〇×先生が~~した、してきた」「今日こんな(大変な)ことが起こった」
わたしは、小さいころからそれを聞かされるのが嫌でした。お母さん、どうして愚痴ばっかり言うの?と。
………しかし、自分が実際学校現場に関わって、わかったのは、愚痴を言うのも無理ないな、ということです。
学校は、もはや教育がきちんとできる環境ではないのです。以下に、例を挙げさせて頂きます。
・40人もの児童を先生が一人でみる
・障害が疑われる子どもが増えた
・障害を疑われる子どものフォロー体制がない、ボランティアなどに任せている現状
・障害を疑われる子どものフォロー体制があっても親が許可しない
・保護者の要求が高すぎる。新任にもベテランの先生と同等の教育の質を望む
・信じられない要望やクレームをしてくる保護者がいる
・クラブ、部活動はほぼ無給である
・残業代は手当という名でわずかばかりの見合っていない額しか支給がされない
・事務処理に追われ、授業研究の時間が定時では全く足りない
・定時で上がれることはほぼない
・管理職による教師のランク付けの制度は、優秀なものを評価する制度ではなく、不適格(管理職の言うことを聞かない)教員を降格するシステムになっている
・若い世代(20代~30代)の教員が多く、ベテラン(教える立場)が不在
・管理職や更にその上の指導で言論統制とも言える風潮がある(君が代、日の丸)
・管理職に反抗的だったり、自分の意見を主張すると、降格や転任の恐れがある
・成長志向より周りと波風を立てないでやっていく<コミュニケーション能力>が採用試験でも、現場で重視される
・成長したいと思っても、それを叶える環境がない
・新しいことをやろうという風土も余裕も現場にない
・授業やクラスをきちんと持てない指導者が、教師たちの指導に回る
・優秀な先生をきちんと評価するシステムがない
・何をするのにも予算が全くない
・現場は少ない時間と、予算の中で膨大な業務をこなさないといけないのに、必然的に授業にかける時間
が減らされる
・教育ではなく毎日の業務(タスク)をこなすのにせいいっぱいである
わたしは実際正規の教員として学校で働いたことはありませんが、複数の教師や教育関係者から実際に聞いた話や私が見てきた話ですので、遠からず、と言う感じだと思います。
…このようなことは、物心ついた時から、
ずーーーーーーーっと、嫌になるくい聞かされ続けてきました。
教師になりたいと思ったけれど、「ちゃんとした」教師になりたいと思えば思うほど、わたしには無理じゃないか…志の途中でつぶされないだろうか……そんな思いの方が強くなりました。頑張って、頑張って、頑張っても、それだけではどうにもならない問題が今の教育現場にはある気がするのです。ただでさえ、自分のことを主張出来ない子どもは、この超高齢化社会のなかで、後回しにされそうな中、わたしは、一、平の教員として、教育業界でなにができるのだろう───。
そんなことを、ずーーーーーーーーっと、ずっとずっとずっと、考えてきました。わたしに出来る事としたら、きっと、わたしのクラス、わたしのお城で、色々なところと波風を立てないように、目の前の子ども達にただひたすら、真摯に向き合うことだけです。どんな苦しいことや、不満があっても、わたしにはわたしのお城がある。小学校教師の母も、そう言っていました。それだけで───きっと幸せなんだ、と。安定的に公務員として、上の言うことには何一つ逆らわず、そうしていれば、幸せなんだと。
果たして、本当にわたしはそれが幸せと思えるのか?
そう思った時、奇しくも教師としての勉強以外にも、自分がやりがいをもってやれそうなことがいくつも見つかってきたとき、わたしは、迷ったけど、色んな人に相談したけれど、自分でもたくさんたくさん考えたけれど……教師になるのを諦めました。
子どもや教育に関する道を全く諦めたわけではありません。
「公務員」として「教師になる」ことを諦めただけですので、これからの道はまだ少し、未定です。
とりあえず、このブログを持ってけじめとしたくて書きました。
書いている間、大分いろいろ思い出して泣きました…というか今実際泣きながら書いています笑
……だいじょうぶ、わたしはげんきです。
これからも楽しく自分の人生を生きていきます!
あ、この文章を書くに当たり、下記のブログなども参考にさせていただきました。
私とは違う視点で、教師になるのをやめられ、教育について、語っていらっしゃるブログです。
小学校から教員目指してて、教育実習行ってから教員になるのやめた理由 : 自由になったサル。
それでは読んでくださってありがとうございました!