子供の声を巡るトラブル
ここ数年、子供の声がうるさいとして近隣住民とトラブルになる保育施設が増えているというニュースをよく聞く。
たとえば、昨年の9月には神戸市の70代の男性が「子どもたちの声がうるさい」として、防音設備の設置や慰謝料100万円の支払いを求める裁判を神戸地裁に起こしている。
記事によると…
保育園は神戸市が認可し、2006年に開園。
訴状によると、男性は保育園の北約10メートルに居住。「子供らの声や太鼓の音などは騒音で、神戸市が工場などを対象に定めた規制基準が保育園にも適用されるべきだ」と主張する。
更に、この地域の基準60デシベルを超える70デシベル以上の騒音が発生し、家族の会話やテレビ、ラジオを聴くのに支障が出ると訴えている。05年7月に開かれた近隣住民への説明会以降、男性は騒音対策を求めてきたが取られていないという。
ということで、訴訟を起こすにあたり、わざわざ騒音レベルを測定したようだ。
保育園は迷惑施設?
同じ記事中に、甲南大教授の前田正子氏のインタビュー記事があるが、引用すると…
「騒音トラブルは保育園建設時には必ず起こる問題。小学校や公園なども含め、今は迷惑施設と受け止められている」と指摘。
「保育園は必要な防音対策をとらなければならないし、住民も自らの生活の快適さを最優先させすぎないこと。子どもがのびのび育つ地域こそが住みやすい地域のはずで、『お互い様』の意識が必要だ」と話す。
ということで、今や保育園は「迷惑施設」と捉えられているそうだ。
実際に、福岡県古賀市に作られた保育所は、やはり建設時に近隣住民から反対運動に合い、高さ3メートルの防音壁を設置せざるを得なかった。
少子高齢化が叫ばれて久しい日本。しかも、各地で待機児童の問題や保育所不足などの問題も起きている。それはしょっちゅうニュースで伝えられており、みんなわかっているはずなのに、いざ自分の身近な所でこういう問題に直面すると、あっさり反対してしまうのは寂しさを感じる。
東京都の場合。そしてドイツでは…
今年4月1日、東京都ではこの問題に一石を投じる条例が施行された。
簡単にまとめてしまうと、これまでは子供の声も騒音の音量規制の対象だったのだが、これからは外れることになる。その上で、周辺住民への影響度を判断して、あまりにも度を越している場合、施設側に必要な措置をとるように勧告・命令出来るとしたということらしい。
下記の東京都の作成した「子供の声等に関する規制の見直しについて」というPDFに、詳しい事が書いてあるのでリンクを貼っておく。
参考:http://www.metro.tokyo.jp/INET/BOSHU/2014/12/DATA/22ocm201.pdf
ちなみに、下記記事によれば、ドイツではもっと進んだ法律が施行されているようだ。
該当部分を引用すると…
こうした問題については、すでにドイツは2011年5月に「連邦環境汚染防止法」を改正し、保育施設や遊戯施設から発生する子どもの騒音についての損害賠償請求を禁止した。
それに先立って2010年2月には「ベルリン州環境侵害防止法」が改正され、子どもが発する音は成長の表現として保護すべきものであり、社会的相当性があるため受忍の限度内であることを明らかにした。「子どもの声」のみならず、それに付属して発生する音についても保護の対象としたのだ。
少子高齢化問題を抱える先進国では、子育て環境の整備は重要な政策課題になっている。とりわけ8672人もの待機児童を抱える東京都にとって乳幼児を受け入れる施設の増設は喫緊の課題であるが、それには近隣の住民の反対にあうことも少なくない。
ドイツも同じ悩みを抱えていた。子どもが発する騒音を理由に訴訟が相次ぎ、ハンブルグ市では住居地区にあった幼稚園が閉鎖に追い込まれたこともあった。そこでさらに踏み込んで「子どもの声」を「特権化」したわけだ。
こうしてみると、東京都の条例は確かにこの問題に一歩踏み込んだ画期的なものではあるが、ドイツではもっと強制力の強い方法で、子供を保護する施策を取っているようだ。
個人として、社会の一員として。
確かに子供の遊ぶ声はうるさい。
自分の住んでいるアパートも、小学校と保育園に挟まれたところにあり、日中窓を開けていたりすると、常に何かしら音が聞こえている。
定年退職した後、ずっと家にいる老人などは、この音をずっと聞いているのだろう。そう考えると、こういうトラブルの際に出てくる人物の年齢層が高いのもわからないでもない。
ましてや、現代社会ではコミュニティの繋がりが薄れてきている。
昔は、家の周りで遊んでいる子供の声を聞いても、「ああ、あそこの子が遊んでいるのか」と、声と顔が一致していたのかもしれないが、今では「どこの誰かわからない子供がギャーギャー騒いでいる」くらいの認識しかなくなっているのかもしれない。
個人として自分中心に考えると、子供の遊ぶ声は騒音に聞こえてしまうのかもしれない。だが、そういう時こそ、社会を構成する一員として、少し考えなおしてほしいと思う。
今は昔と違って、共働きの夫婦が増えている。
参考:http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/02/dl/s0224-8h_0005.pdf
この状況で保育所が作れない、または閉鎖されるなどということになれば、ただでさえ多い待機児童が更に増えてしまうことになる。
一応、厚生労働省の発表によれば、2014年の待機児童は全国で21371人で、前年度比1370人減少し、4年連続で減少をしているのだが、それでも21000人以上の児童が、保育所に入れずにいるという事実は、重く捉えるべきだろう。ちょっとした町の人口と同じくらいの児童が保育所に入れないでいるのだから。
高齢者にとって、「今どきの若者は自分たちを優先して子供を作らない」などと、少子高齢化の責任を押し付けるのは簡単なことだ。
だが、今のこの国は、どんどん「子供を育てにくい国」になっているのも事実だろう。だからこそ、個人ではなく社会の一員として、ある程度は大目に見る寛容な心も必要だと思う。
勿論、遊んではいけない場所で遊んだり、危険なことをするのは駄目だが、本来遊ぶ場所である遊具のある公園で声を出せないだとか、保育園でも泣いてはいけないとか、年端もいかない子供に無茶な要求をするのは、「子供など作るな」と言われているのと同じになってしまう。
「昔は良かった」のかどうかは、その「昔」を知らない自分には理解のしようがない。だからこそ、今の日本を、そこまで住みにくい国にしていいのだろうか?と、個人的には思うのだ。
少なくとも、保育所を「迷惑施設」などと表現するようでは、いつまで経っても少子化を解決することなんて出来ないと思う。