世界の人々に広島、長崎を訪れてほしい。そんな日本からの提案を反映した文言が消えた。

 ニューヨークで開会中の核不拡散条約(NPT)再検討会議で採択をめざす文書案である。当初は盛り込まれたが、中国が主導して反対し、削除された。

 南アジアや中東など、世界各地で核の不安が深まっている。被爆の実相を広める訴えを否定した中国の主張は誤りである。文言を復活させるべきだ。

 文言は、原爆70年の節目を迎え、「壊滅的な人道上の結末」を知ってもらうため、世界の指導者、軍縮専門家、若者らに訪問を呼びかける内容だった。

 反対した理由を中国の軍縮大使はこう語った。「日本政府が第2次大戦の加害者でなく被害者として日本を描こうとしていることに同意できない」

 戦後70年の今年、中国は9月に戦勝記念行事を開く。中国政府には、歴史認識問題で主張を強める外交上の狙いがあるとみられ、大使の発言からはそうした思惑がうかがわれる。

 そこからは、人類共通の課題である核軍縮に取り組む責任は読み取れない。人道的テーマをあえて政治問題化し、自国の発言力を誇示しようという外交戦術としか見えない。

 日本が被爆の歴史を思うとき、加害責任にも目を向け、戦争全体の過ちを考えるべきなのは当然だ。しかし、この会議は個別の戦争や紛争について評価を下す場ではない。むしろ、どんな戦争や対立かを問わず、二度と核兵器が使われない世界をめざすための会合である。

 近年、核の非人道性を強調する国際世論が強まっている。その流れの中で、原爆の悲惨さを事実で語りかける広島、長崎の被爆者の発信は意義深い。

 振り返れば、中国の歴代指導者は、日本の戦争責任を当時の戦争指導者にあったとし、日本の国民とは区別する論理で接してきた。今回の中国の対応はそれとも矛盾する。政治指導者がどう戦争を正当化しようとも、被害者はいつも当事国の国民であり、核兵器はどんな理由でも使われてはならないのだ。

 13年から毎年開かれている「核兵器の人道的影響に関する国際会議」は昨年、米英が初参加したが、中国は不参加のままだ。核保有国ながら後ろ向きな姿勢こそ再考すべきだろう。

 自国の核は正しい、相手国の核は悪い、という理屈はあり得ない。あるのは壊滅的な惨劇をもたらす非人道的な核兵器だけだ。それを知るために、世界中の人々が広島、長崎を訪れることを願う。