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>詐欺ですか…あなたが詐欺みたいなものという学会にいる意味が分かりません。
確かに、創価も含め邪宗は詐欺ですが。
大御本尊で商売しているなどと思った事はありませんね。<
私が面白くないのは、日蓮正宗のこのような独善的なスタンスです。創価学会も他宗も詐欺で、日蓮正宗だけが正義のわけですよ。
こういうスタンスでは、宗教間対話は成立しない。キリスト教文化圏やイスラム文化圏、ユダヤの方々と友好の対話は出来ない。
だから、宗門に広宣流布は出来ないのです。
私が、教義的な整合性が日蓮正宗にあっても、思考の限界があるから創価学会に籍を置いているんです。実際、SGIに世界広布しているのは、創価学会です。
>正宗では、御供養の最低金額など設定されていませんし。あくまでも志です。
出来る人はするし、出来ない人、したくない人はしない。それも信心です。<
それは、創価学会も同じですよ(笑)。
>うちの御住職は「御供養は御本尊様にさせていただくものであり、これだけしたらこれだけ返ってくるだろうとか、住職を養ってやっているという思いの方はしなくて結構です。」と指導されていますよ。<
日蓮正宗っていいじゃないですか。行きたくなりましたよ(嘘です)。
>魔の通力というものがありますが、正宗以外で本当の功徳はありません。
仮に、創価学会で功徳があると感じる人は、魔の通力か、かつて正宗の信徒団体だった頃の功徳が忘れられないかのどちらかと存じます。<
貴方が日蓮正宗の立場である以上、そう言うのが当然ですし、そうでないなら折伏出来るわけがないのです。
頑張りましょう。
>「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書・諫暁八幡抄)<
御書に関しての、私の私見は、それが偽書か否かよりも、より普遍的な言葉であるか否かを重要視します。
日寛教学も、日寛上人の言葉以上に、そこに普遍性があるか否かで、私は判断します。
キリスト教も、イエス一人ではただの殉教者の預言者がいただけの話。それがパウロがいたから福音書としてキリスト教になったのです。イエスの生き方で終わらず、弟子たちの執念で宗教に編んだのです。
大聖人のお言葉なのに、かな文字だと退けた五老僧の信心のなさこそ、大聖人門下の大いなる教訓とすべきだと私は思う。
だからこそ、御書に関しては、正確性と共に、権威主義にならぬよう、門下の求道心によって、現代的展開をする必要がある。教条主義、ドグマからの解放です。
>学会の皆さんの掲示板に部外者の私が来て、偉そうに述べているように映ると思いますが、申し訳ないですが学会に功徳は無いのですから、根本的に救われるとは思えません。
公明党の政治力で、学会員が優先的に公営の団地に入れたり、生活保護が受給しやすくなったとしてもそれは功徳では無いですよね。
地域振興券をばらまくようですが、国を疲弊させながら、税金で票を買う愚をまた犯すようですね。
政権与党になれば何でもやりたい放題で、コウモリ政党と揶揄されようが、ポリシーもへったくれもありませんね。<
ここはスルーです。私は反公明党の創価学会員です。生活の党や社民党、共産党の方がいいと正直に思っています。
委員長から退転者を二人も出して、自民党と一緒に権力と結託している政党が庶民の党のはずがないのです。
竹入、矢野の両委員長は、そちらに行っている。去るのなら黙って去ればいいのです。池田先生に弓を弾いて、宗門に行く、そういうスタンスが気に入らない。
恩は大聖人仏法の普遍的精神の一つです。報恩感謝の心に功徳がある。歓喜もある。そういう宗門なら、私どもも慈悲で迎えるのです。
>確かにね。誠実に対応したいものです。
しかし、どんな人にも折伏をし続けていくことが使命だと思っています。<
折伏とは相手を罵倒したり、地獄に落ちると威嚇脅迫する事ではなく、理路整然と教え諭す事です。
>学会は日興上人とどう繋がっているのでしょう?日興上人は日蓮正宗の開祖でありますが、時空を超えて学会に何か相承されたのでしょうか?
馬鹿にしているのでは無く、素朴に思います。
なぜ大聖人直結と言いながら、学会は日興上人にこだわるのか?と<
それは、日蓮正宗の信徒団体だったからですよ。戸田先生の時代は僧俗和合の完全なる信徒団体でした。
そこから、発展独立出来るまでに至っていない。だからこそ、本部を私どもは批判しているのです。
>組織に自浄能力があるとは思えません。なぜなら、大聖人直結と言いながら、やりたいように振る舞っているに過ぎないからです。
要は、貪瞋癡(むさぼり・いかり・おろか)の三毒に犯されています。毒によって善心は破壊されています。
そのために、本物の御本尊が必要なのですが、ニセ本尊しか無い学会では、三毒強情にしかなりません。<
本尊観は、重要です。本部幹部の腐敗を見れば、現証とも言えると思う。どこまでも、人の振る舞いで信心を教示して参るのが、日蓮仏法の行者の務めです。
血脈はない。
あるのは信心です。信心がある所に血脈がある。
日蓮正宗が完全無欠というのは、間違っていると思う。
ただ、戸田先生の頃のように、人々を救う教団として創価学会も原点回帰して欲しいと私個人は思います。
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