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> 『開眼供養』をしたら文字の形でも変わるのか?(爆)。
「開眼」あるいは「開眼供養」とは何なのでしょうか。その本質は何なのかということが気になります。
ただの絵や文字の掛け軸や人形の彫刻に過ぎないものが、ある人たちにとって、礼拝や信仰の対象になるというのは、それを信仰する人々にとって、形式が変化しなくとも意味合いが異なってくるのだと思います。
形が変わらなくても異なるものということはあります。経済的な譬えでいうなら、全く見分けがつかなくとも偽札は偽札であるということです。ただ紙幣は、現実の経済的関係の中で生まれてきたものですが、宗教的なもの、たとえば漫荼羅でもいいですが、それは宗教の中で幻想的な関係の中で生じたものですから、それこそにニセだとか、そうじゃないとか、より自由に言いあえるように思えます。
「開眼」とは何か、という定義を示していただければありがたいです。「開眼」が必要でないという方々は、なんでも信仰の対象にできるのでしょうか。それはそれですごいとは思います。
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