|
|
こちらの板は流れるのが早いので、投稿時間の少ない小生の対応が遅くなる事、ご容赦下さい。
さて、Rira殿の投稿
> 本尊に関することだから、慎重を期し正規のやりかたで
> 御本尊下付願いを出し、板曼荼羅にすることを法主に相談し
> そのまま開眼供養してもらえばよかったのだと思います
宗門関係者や法華講の方々と対話していた時、頻繁に「(板)御本尊下付願いを出して」云々との答えが返ってきましたが、今でも同じでしょうか?
果たして、この当時に「(板)御本尊下付願い」なる手続きや用紙が有ったという証拠を見た事はありません。
また、「手続きをしなかったから謗法」と言うのは、却って大聖人の仏法を矮小化する事になりましょう。
有名な藤本メモ(当時の日達管長の発言)には以下の記述が有ります。
「日昇上人御本尊の彫刻については. 前に話しがあったかどうか記憶ない.許可した覚えはない。正月登山の時に。会長から『板御本尊にしました』という報告はあった。個人が受けた御本尊だから、その人又は会の宝物だから。どのように格護しようと他がとやかく云えない。紙幅を板御本尊にするということは。前からも行なわれている。御開眼とか。入仏式とかは。信仰上からは。僧侶にお願いするのが本当だが。しかし。これも個人の自由で、僧侶を呼ばなければいけない。という事でもない」
このことから、時の管長の御本尊模刻の許可も必要でなければ、僧侶による開眼も必要でない事は明らかですね。
> まぁ、学会が勝手に作ったからといっても、上古には実例もあり謗法でないから問題がない!
> って今は言えるのでしょうけど
宗門と学会は元々別法人ですから、両者の「僧俗和合路線」が手切れになっている以上、運動方針等について別になる事は問題ないでしょう。
ポイントは、日蓮大聖人の仏法からの観点が大切と考えます。
まあ、学会が「お形木御本尊」を下付する事はあっても、図顕する事はないでしょう。
図顕と書写とは違う事、ご理解願います。
|
|