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『創価学会で、上層部の腐敗にあきれ、何とかしようとする人達がいる』ということで、一部法華講内でも話題になり、ここの掲示板を教えられて、のぞかせていただいたが、すでに洗脳完了済みの人達が、色々愚痴を言っているだけのようで非常に残念です。
職業幹部が暴走し、教義的に問題があろうが、公明党の権力志向で政権にしがみつくだけの政策や、議員の不正があろうと、何だかんだ言いながらも、日常として結局は受け入れている。
傍観するだけにしようと思っていましたが、大きなお世話であり迷惑でしょうが、どうしても黙っていられず書き込ませていただきました。
やはり二十年以上自讃毀他と日顕上人への憎しみと呪いを植え付けられてきた人達でしかなかったのかと、落胆しています。
・学会は日顕上人猊下を「血脈詐称の偽法主」と誹謗するが、確たる根拠も示せない。
正信会の裁判をどうこう言おうと、司法では相承について判断出来ないといわれ、正信会のニセ法主との主張も通っていない。よって彼等には居住権が認められたのみであり、不法占拠者が亡くなった後は、宗門に寺院は返還されている。
それと、裁判の判決を重視すると言うなら、離脱僧吉川の善興寺裁判では、学会が散々物語として言ってきた『C作戦』なるものは「無かった」という裁判所の判断を「吉川」も、「創価学会員の弁護士」も「受け容れた」。
すなわち「C作戦の存在を学会は証明できなかった」のである。
・もし平成三年以前は血脈相承があったと言うなら、日蓮正宗の血脈法水とは、平成三年に謗法団体たる創価学会を破門したことで無くなるような浅薄なものではなく、また学会に血脈相承が「ある」とか「ない」とか、その有無に言及できるような資格も権能も一切存在しない。
・また、日達上人は誰にも相承せずに御遷化されたと言い張るなら、なぜ血脈相承のない日顕上人猊下に対し、何百体もの常住御本尊、何万体もの特別御形木御本尊の御下付を会員に願わせ、十年以上に亘り拝ませたのか?
本尊とは信仰の根幹であり、自らの生命を帰する尊極の対境にましますのである。
創価学会は、日達上人より日顕上人への御相承がないと思っていたというなら、そのような不純な信仰で御本尊の下付を願わせたというのか?
・またなぜ、御法主日顕上人猊下への信順を、あれほど創価学会機関紙に何度も掲載し、更にはそれをもとに徹底して正信会を破折攻撃したのか。
昭和五十五年から六十一年までの六年間において、皆さんの師匠・池田大作の行ったスピーチでは、百五十回にも及び各種会合で血脈法水の大事を強調している。
《ほんの一例》熊本・城北圏自由勤行会(阿蘇)
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓を引く行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字なき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである」(広布と人生を語る二―三七)
このように御歴代上人、並びに日顕上人に対する信伏随従の大事を全世界の会員に徹底して説いていたのである。一回や二回の話ではない。昭和五十四年以降、池田大作をはじめ、創価学会幹部が、百回、二百回と、あらゆる会合で繰り返し訴えてきたこれらの本宗宗旨の根幹たる血脈法水への尊崇と、第六十七世御法主日顕上人への随順は、すべて本心からではなかったというのか?
すなわち、かかる宗義の大事を十年以上にわたり、日本全国はもとより、全世界の会員に語りながら、腹の中では、〝日達上人は誰にも相承していない、日顕上人は相承など受けていない〟と思い続けていたというのか?
もしそうだとすれば、池田大作とは宗教史上にも類例のない稀代の虚言者であり、口では信仰を説いて恭順を装いつつ、本心は不信の一念で日蓮正宗血脈仏法の破壊を目論んでいた二枚舌の大悪漢と言うほかはない。
また創価学会そのものが大悪団体であったことになる。
ともかく、これらの池田大作及び創価学会の当時の言動という歴史的事実からは、〝日蓮正宗の連綿たる血脈法水〟と〝日達上人から日顕上人への血脈相承〟を厳然と信仰の根幹に置いていたとしか見えない。
そこで学会諸氏に問いたい。
この時期の十年にも及ぶ、血脈付法の第六十七世御法主日顕上人猊下に対する信順の言葉は、一体本心だったのか?ペテンだったのか?どちらだったのか?
それと共に昭和五十二年の創価学会謗法逸脱路線についても、当時、御先師日達上人にお詫び申し上げ、お許しを戴いた筈である。その折の学会最高幹部らの一々の反省の辞はここには挙げないが、今回、再び過去に遡って日蓮正宗を攻撃するのは自己矛盾ではないか?
あの折の反省のすべてについて、本心だったのか、ペテンだったのかを聞きたいものである。
ここに至って、創価学会の信仰とは一体なんぞやと問わざるを得ない。
ある時は白といい、ある時は黒という。
要するに学会員は、組織にとって都合のよいものは白であり、都合の悪いものは黒なのである。
創価学会の利益になるものであれば、それが一切に優先するのである。
誠に自分勝手、自己中心の我見で凝り固まった外道教団というほかない。
大御本尊に連なった信心をしなければ、御書直結・大聖人直結と強弁しようと空しい願望で終わるでしょう。
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