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爺さんちょっと書き過ぎたね。
最初はアメーバの『ゆうき』を疑ったが、それなら組織にまともにつけてない彼の『言動』としてかなり『不自然』であるから。『創価学会』の看板を使っても実際のところは『嫌悪』してる状態であるからね。そういう「様子」は読み取れなかったかい?
それでネット対策の南ちゃんを疑ったが、彼は僕へは『からかい』でもって『攪乱』に利用する目的であって『潰し』が目的ではなかったからね。「生かさず殺さず」というところであったから。
『宿坊の掲示板』で『書いてる人を潰し』といえば後に残るのは『ポンコツ爺さん』しかいない。
文面には明瞭に僕を潰せば登場しない、というのを書いたのが「命とり」になったね。
それでだ。
今回はブログ(アメーバではなくエキサイトブログ側)に記事を上げた上で『宿坊の掲示板』にも転載をするが、こうして書いたのは他では見ないような事を話そうと思うから。
大聖人様の仏法は人を幸せにしたいがために後世にこうして残された。
『功徳』があるもないも全ては『信じる側の心がけしだい』であるのはわかるよね?それだけ知識はあるのだから。
つまりは、幸せになれるハズのこの大聖人様の仏法は、こちらの『心がけ』しだいで逆の『罰の効果』も生じてしまうんだということ。『罰』は誰が与えるものでもない。自分で自分へ『罰を課す』ということもあるんですよ。
それはさながら『呪い』に近い。
心霊動画なんかを見ると『呪い方』を間違えるとかえって自分に返ってきてしまうそうなんだよな。
それ以前に『呪い』ということが「自分自身」で幸せになれる事か冷静なら十分に判断がつくはずですよ?
『呪い』が日蓮仏法かどうかの判断がつかないほど『逆恨み』をしてる様子を感じているよ。
具体的にどういう事があったのか詳細には知らない。が、このまま恨みの心情でいれば自分を不幸へ貶めてしまうだけだよ?
それを「心配」するゆえやや強い言い方を今までしてきた。
このまま続ければ『呪い方』が自己流の正しいわけじゃないだろうから自分で自分を『呪う』ような人生になっていってしまうよ?
すでに掲示板でも象徴されてしまってるでしょ?
爺さん自身が『やってること』が良くないこと、と認識していながら『呪う』のだから、『呪い返し』も同時に自分でやってるのも同然なんですよ。結果的には相手を呪ってるようで、実際には「自分を呪う」という状態ですよ。そもそも『呪い』は日蓮仏法でもなんでもないじゃないですか。
目を覚ましましょうよ。
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