|
日本の社会全体がひところバイオチップとか、ニューロ・コンピュータというものに踊ったことがある。バイオチップは科学的に考えれば不可能な概念であり、ニューロ・コンピュータの本質は技術的限界がわかっている旧い技術であるが、米国で一時的なブームがおきた。冷静に理論的批判を下せば、その限界が明らかになる問題であっても、米国ではやりそうであるという理由だけで、日本の社会はその技術では原理的に不可能な問題まで解決してくれるという期待を膨らませて、情緒的に受け入れてしまう。そして情緒は、すぐ信念に変わる。したがって冷静に調べてみるか、少し論理的に考えてみれば明らかになる技術の陰の部分を「ないものとして」ムラの外に追い出してしまう。社会の論理的な思考力が麻痺してしまう。つまり、自分たちが生きているムラの枠それ自体は論理の対象とすることができない。それは情緒や信念の問題なのである。
|
|