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ぽんぽこ狸さんの質問に答えて①

 投稿者:戸田門下生  投稿日:2014年11月25日(火)09時34分30秒
  通報 編集済
  ぽんぽこ狸さんへ

>戸田門下生さんにお一つ質問が有るのですが、日蓮正宗にも自浄作用は存在するのでしょうか?

まず、日蓮正宗では、時の御法主上人に信服随従することが信心です。
宗開両祖以来、御歴代上人が、一器より一器への血脈相承により正しく仏法を伝持されたからこそ我々が正しく信行に励むことが出来るのです。

学会でもそれを信じていたからこそ、未だに全員が日蓮正宗の御法主上人がしたためられた御本尊を拝んでいると思うのですが。

少なくとも、誰が書いても良いとは思っていませんよね。

大聖人様の仏法の根幹をなすものは血脈です。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられたのです。

学会が大聖人から直接、時空を超えて相承されたわけではありませんよね?

御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人です。

いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできません。

唯授一人の血脈こそ信仰の根幹なのです。

退転者は一様に、『日興遺誡置文』の、

時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。(新編一八八五頁)

の御文について、〝日興上人が「遺誡置文」で仰せのとおり、法主も己義を構え謗法を犯すことがある〟と言います。

 しかしその次には、

衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。(同頁)

と仰せです。

仏法の相違を摧く主体を「貫首」とお示しです。

血脈を冒涜する者は、僧であれ俗であれ、また、何人いようとも「摧くべき衆義」に当たるのです。

この『日興遺誡置文』は、その最後に、

右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く。後代の学侶、敢へて疑惑を生ずること勿れ。(同頁)

と仰せのごとく、総じては末代の弟子一同に賜った御遺誡ですが、別しては唯授一人の御法主上人に宛てられた御遺誡です。

要は、貫首たる御法主上人こそが仏法伝持の主体者なのです。その仏法伝持の主体者である御法主上人に、本来己義など存在するはずがないのです。
己義があると考える事自体、不遜であり、不信心であり、謗法なのです。

これらから考えれば、【自浄作用】という言葉は適当ではありません。

日達上人は
「血脈相承によってご法門を解釈していくのでありますから、少しも己義を構えるということはないわけであります。大聖人の教えのとおりにやっていくのでありますから。」
(日達上人全集第二輯七―三四二頁)

と仰せです。大聖人の教えに叶っているかどうかのご判断は、時の御法主上人にしか出来ないと言う事を付け加えておきます。


>花野充道氏

難解な御法門を、私のような者でさえ、おぼろげながらでも理解説出来るほどの、知識と見識のある方だったと個人的には思います。
しかし、どんな理由かは分かりませんが、日顕上人を「裸の王様」と公然と批判するに至っては、残念ながら宗内に御僧侶としていられなくなるのは当然かと思います。

学会本部職員が、池田氏に「裸の王様」と批判した文章を冊子に発表してそれが通りますか?本部職員としてそのまま使ってもらえますか?
そういうことです。


>北海道の末寺住職

前の住職が新寺建立のために貯めていた預金を、私的に殆ど使い込み、それを隠すために残高証明を改ざんしていたというもの。
本当に暴行事件があったなら、警察から阿部信彰御尊師は取り調べられ、刑罰に処せられたはずです。
悪人は、自分に罪があっても隠すために無罪を主張しますし、話の方向を変えるために何でもやります。
そういうことです。


※日開上人の件は、時間が無いので、後日、述べたいと思います
 
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