あそんでいるだけでも逆さまになったり回転したりといったさまざまな動きを経験できます。
ゆっくり鉄棒と仲よくなりましょう。
母を愛せないのは罪なのか…。
そんな問いかけをする一冊の小説があります。
2003年「星々の舟」で直木賞を受賞した村山由佳さん。
幼い頃からの母との確執を「放蕩記」につづりました。
母が認知症になりもう娘の本を読めなくなったからでした。
村山さんは往復600キロの距離を通い認知症の母を見舞っています。
今もなお複雑な思いが交錯しているといいます。
よくボケてくれましたって思うところもあります。
おかげで…「リハビリ・介護を生きる」。
2日目は認知症の母を書きもう一度母との関係を結び直そうと生きる村山由佳さんを見つめます。
こんばんは。
「ハートネットTVリハビリ・介護を生きる」。
今日は昨日に続いて「認知症の母を書く」と題してタレントの荒木由美子さんとお伝えしていきます。
よろしくお願いします。
お願いします。
では早速今日のゲストご紹介します。
作家の村山由佳さんです。
よろしくお願い致します。
村山さんといいますと恋愛小説というイメージが強いのですがこちらの本この「放蕩記」。
こちらは認知症の母と娘のお話で自伝的小説。
母がやはり認知症で自分の事も人の事も分からなくなってしまったという事でそれまでは私の書いたもの全部逐一読んでたんですよ。
でもそれをしなくなってくれたおかげで母が嫌がる事とか母が傷つくかなと思って書けなかった事とかそういったのをようやく書けるようになったというのは大きかったですね。
という事は本の中のいろんなエピソードは本当の…。
9割方本当の事です。
書いてない事もありますけれども書いてある事のほとんどは…。
主人公も小説家ですからね。
そうですよね。
それはご本人はどんな感じで?書かれる時は。
そうですね覚悟がいりましたね。
どれもが自分の事だと思われてしまうっていうそれを引き受けないと…。
何かが自分を書かせたっていうような事って考えた事ってあります?う〜ん。
ず〜っと母に対する気持ちを自分の中で整理できなかったんですね。
何だか許せない事があったり愛してるんだけれどでも憎んでる部分もあるような。
そんな中で書く事で初めて整理をつけられたんじゃないかなとは思うんです。
これ読むと非常に複雑な思いがあるっていう事が分かりますね。
特にお母様と娘って女性同士のっていうところがあるのでなおちょっとリアルな感じしますね。
ではまず「放蕩記」の文章から村山さんとお母様の関係について見つめていきます。
小説は38歳の作家鈴森夏帆と78歳の母との幼少期から現在に至るまでの確執を描いていきます。
母の勧めで小学校からミッション系の学校に進んだ夏帆。
母の期待を背負いその期待に応える事が夏帆の務めでした。
「たまたま気の利いた事が言えると…」「いささか皮肉な話だがそういった経験の積み重ねが教師受けのする読書感想文や小論文を書く訓練につながった気はする」。
小学生の時母は夏帆に一冊のノートを渡し文章の書き方の手ほどきをします。
「そう。
一つのものを見た時にどこかが似てるけど全く別のものに言いかえてみせるのが『たとえ』や」。
「夏帆は急いで目を走らせ庭を見やった」。
そういう強烈なものがなかったら私みたいなのんべんだらりとした性格の者は多分物書きなんかやってなかったし続いてなかったと思いますね。
1964年サラリーマンの父と教育熱心な母の間に生まれた村山さん。
母には決して逆らえなかった幼少期のつらい記憶を小説の中に書き起こしました。
小学校1年生の頃。
飼っていた犬が産んだ6匹の子犬を母は飼えないからという理由で他人に譲ったというのです。
何度も母に問いただすと…。
「言い捨てて美紀子はまた鏡の方を向いてしまった」。
「妙に優しい声で美紀子は言った」。
もう刃向かうっていう事がイコール恐怖だったんですよね。
それって母より力が強くなった頃でももう体がすくんで動かないっていうようなそれくらいの何だろう…。
恐怖政治だったですね。
幼少期から積もりに積もった母への畏怖と恭順。
それは恋人大介との会話の中で明らかにされていきます。
「うちの母親の子育てを思い起こして…」「大介が眉を寄せる」。
「夏帆は少し迷ったものの答えた」。
「伸ばしておいてへし折る。
与えておいて取り上げる」。
「彼に受け止めてもらえたと思うだけでいくらか救われるようだった」。
作家になったあとも母の呪縛から自由になれなかったという村山さんは6年前体にあるものを刻みました。
母が一番嫌がったであろう事をあえてしなくっちゃって思ったんです。
母の望まない形にしていく事で初めて自分の体を自分で愛せるようになるというふうなそんな思いがありますね。
今何か私は自分が親で娘がこういう事をずっと言ってきたりやってきたら私はどういうふうにしてたんだろうってしみじみ。
あのタトゥーを本当に改めて見るとドキッとしますね正直。
私は性格がなあなあなのですぐ易きに流れるものですからね。
母の顔色を見ていい子のふりをして優等生ぶるっていうのが癖になっているのでもう消えない印のようなものを体に刻んで毎日自分で見ないと物書きっていうのは人でなしの仕事なんだという事を刻みつけとかないと駄目だって思って。
今でもお顔見てて笑顔とこのやわらかいお話のしかたを聞いてますとタトゥーを入れようとかっていう見えないですねそういう強さが。
多分完璧にいい人を演じてるんだと思います今。
アハハハハ!今ですか?癖なんだと思います。
でもお母様のそばからそれでも離れなかった訳ですよね。
そうですね。
男の場合は父親と息子だったら息子は父を乗り越えていく事父と決別していく事が一つ通過儀礼のようになってると思うんですけれど娘って不思議と母を切り捨てようとすると悪い娘になっちゃうんですよね。
それはそうかもしれないですね。
男女の違うところだなと思いますね。
母というものはもう愛があふれていて無条件に子どもを愛するものだから子どももまた母を愛さなければならないっていうような。
絶対っていうそうですね。
でもそうじゃない親子も中にはいて。
それで苦しんでる場合もあると思うんですよね。
実際お母様が認知症になった時というのはどうでした?う〜ん。
ものすごく肩透かしを食らったような気がして。
肩透かし?うん。
まだ何にも取っ組み合ってもいないし言いたい事だってあったのにいつかは言えたかもしれないのに分かんなくなっちゃった相手に何言ってもしょうがないので勝手にリングを降りちゃってずるいよって思いましたその時は。
勝手に…。
怒りみたいなどういう感じだったんですか?持っていき場のない感情というかもう永遠にその時は失われたんだなって。
母と…幻想かもしれないですけどおなかを打ち割って話をするという機会はもう二度とないんだなと思って。
でも母ともっと本当は女同士の話したかったなとか世の中の普通の親子のように何だかおでこくっつけあったり抱き合ったりして泣いてもみたかったなとかそんな思いはやっぱりず〜っと残ってますね。
連載などたくさんの締め切りに追われながら村山さんは2週に一度ラジオ番組の収録にやって来ます。
毎回リスナーから寄せられる便りの中には親の介護についても…。
静岡県の時の女神さん63歳の方です。
「母が突然失禁して紙おむつをするような状態で食事も全て介護状態になりただただ必死でした」。
いや〜大変でしたね。
大丈夫ですか?ここで初めて…そしたらもうものの2週間で母はあれだけ自分の面倒を見てくれてた父の事を全部忘れちゃったんですよ。
今まで私は母とあんまりうまくいってなかったですけど初めてようやく親孝行を本当に最晩年の今させてもらう機会みたいなものを与えてもらったのかななんて思いながら今過ごしてます。
村山さんは毎週のように自宅の父を見舞い介護施設に入った母に会うため軽井沢の仕事場から房総の実家まで5時間かけて通っています。
村山さんの母公子さんが認知症と診断されたのは今から10年前78歳の時でした。
「幼い頃風呂に入る度さんざん言われた事を思い出す」。
しかし母が認知症になった時村山さんにはもう一つの思いが芽生えていました。
でもそこから自由になれたというのは母がボケてくれたからこそなので。
何か…。
よくボケてくれましたって思うところもあります。
寂しいんですよ寂しいのは寂しいんだけどおかげで…村山さんは封じ込めていた母との記憶を呼び起こし「放蕩記」を書き上げました。
書く事で改めて思い起こす母との思い出もありました。
いまだに私がその辺の植物を見て全部名前を言えるっていうのは母が教えてくれたからだと思いますし子どもの時からそうして一緒に花庭いじって教えてくれたからだと思いますしね。
小学生の頃庭仕事が好きだった母に連れられ行った植木屋さん。
そこである盆栽に心を奪われました。
「バランスよく枝を張り根元を深緑のコケに覆われたその木を見ていると…」「びっくりして夏帆はすぐには答えられなかった。
そんなふうに聞かれた事などめったになかった」。
「欲しいと思ったものをその場で買ってもらえただなんてまだ信じられなかった」。
私がその小さい木を見て…おっきな草原と空が見えるような気がするって。
それを聞いて母はそれを買ってくれると言ったんですけど。
多分ね自分の教育がとても功を奏したと思ったんだと思うんです。
こんなちっちゃい子がこんなええ事言うわっていう感じ。
だから買ってくれたんだろうなって思うんだけど。
まあでも本当めったにある事じゃなかったからいまだに覚えてますねあの時のうれしさって。
今介護施設に入った母はそんな優しい姿を時折のぞかせます。
実家近くの母のいる施設に通う村山さん。
その度に必ず一枚の写真を持っていきます。
去年の10月に父の89歳の誕生日でみんなで集まった時なんですけど。
家族の写ってる写真見て母もその時のコンディションによっては分かる時もあるんですよ。
この日も村山さんは「お母ちゃん由佳やで」と母に話し続けました。
すいませんだいぶ長くかかっちゃって…。
今までで一番分かんなかったみたいで。
ちょっとこたえましたね今日は。
何か…。
でもきっとこういうのもこちらの勝手な気持ちなので。
記憶の中でなかった事にされちゃうような気がするから悲しいんでしょうねきっとね。
母の分かる間に。
改めてどんな涙だったんですか?ちょうどあの日って母に対して何べんも何べんも言ったんですよ。
ず〜っとこうしてうつむいたまんま「痛い」って言ってるだけだったので。
「お母ちゃん由佳やで分かるか?お母ちゃんの娘やで」ってもう百ぺんも繰り返して。
何でしょうねそしたら言霊に引っ張られるみたいにしてあ〜私はこの人の娘なんだって思えて。
初めての瞬間だったんです。
その事を自分の中で受け入れられるのって。
私はすごく娘になった顔に見えたんですよやっぱり最後に。
私は親目線で母親目線で拝見してたら何かやっぱりああよかった。
自分が娘とまたここから始まるんだっていう本当の優しさを娘が分かってくれたような気もして私はすごくホッとしましたね。
でもきれい事ばっかりじゃなくてやっぱり1年にいっぺんくらい母に抱き締められる夢を見て絶叫して起きたりしたりはするんです。
抱き締められて絶叫するんですか?はい。
嫌でっていう。
今それをされたくないっていうその心の反動みたいなもので叫んで起きるんですけど。
母親という女性からは抜け出せないですか?むしろ別の人みたいな。
何だかかわいい別の人みたいな感じがします。
私をかつて産んでくれた今は何だか違う人になっちゃってるけれどでもこれもこの人の一部ねっていう感じで。
何だかそうですね…。
だから優しくできてるのかなと思うと完全に母を受け入れられたのかどうかは分からないんですけど…。
そういう事も本に書く事によって自分にとってはよかったって事なんですね。
人って名前のないものを理解する事がなかなかできないじゃないですか。
名付ける事によってようやくそれを自分の中にしまう事ができる。
私にとっては本当に小説を一冊一冊書く事が自分の感情を翻訳して名前を付けていくという作業で名前を付けたら人と共有もできる。
そして整理ができたら本棚にも片づけられるっていうような。
だから開いたらまだちょっとはつらい思いもあるかもしれないけどとりあえずしまっておけるという形にはできたとは思います。
また自分の中で新たな一歩また前に進もうっていう気持ちにもつながって…。
そうですね。
人を好きになる事が怖くなくなりました。
これまで怖かったんですか?怖かったですね。
相手の気に入る自分でなくては愛されないっていうふうにず〜っと思ってたんです。
母との関係性がそうだったので。
それは恋愛でもそうだったんですね。
でもようやく母とその関係性をちょっと紡ぎ直せるかなというふうに思えたところとリンクしてるかどうかは分からないです。
でも時は同じ感じでああ何か私は私でいていいんだというふうなそんな気持ちにちょっとなっていますね。
これから先ですけれども認知症のお母様とねどんな関係を築いていきたいなと?コンディションのいい時だけですけれど「由佳やで」って言うと「分かるがなそんなん」って言いますから。
そういう時にちょっと優しくしたり肩もんだら前は言わなかったのにものすごい感謝の言葉の羅列だったりですね。
とてもいい母親になってくれていますので。
なかなか複雑なものはあって私自身が子どもを持っていないから村山さんはお母さんの事を許す事ができないんでしょというようなそういう読者の手紙もたくさん頂いてはいたんですね。
でもそうかもしれないしそうじゃないかもしれない。
親と子というのはあらゆる家庭で必ずそれぞれに特殊ですからだから母は娘を愛していたのだ。
娘も母を愛せるようになるのが幸せなのだというその神話が果たして本当に全てに当てはまるものかどうかは分からないんですけどもう多分何年も残されていないでしょうからね。
そういう時間をできるだけ優しい中で分け合う事ができたらいいなとは思いますね。
ゲストは作家の村山由佳さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/05/14(木) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV あなたの中の私を失う時「認知症の母を書く 作家・村山由佳」[字]
直木賞作家・村山由佳の「放蕩記」は幼少からの母との葛藤を描いた自伝的小説。認知症になった母が娘の本を読めなくなって初めて書けたと語る。村山は母とどう生きるのか。
詳細情報
番組内容
作家・村山由佳の自伝的小説「放蕩記」は、幼いときから今に至るまでのすさまじいまでの母との葛藤の物語である。村山は語る…母は自己顕示欲が強い“劇場型”の人だった。母は村山に規範と事の正邪を示し、村山の行動と心理は母によって承認され、よい娘を演じようとする村山はその抑圧と呪縛の中で育った。そして、その母が認知症になって娘の作品を読めなくなった時、村山は「放蕩記」を著した。母を愛せないのは私の罪なのか?
出演者
【出演】荒木由美子,直木賞作家…村山由佳,【司会】山田賢治
ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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