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返信に感謝申し上げます。
> まずはこれを御覧下さい
> ttp://homepage3.nifty.com/y-maki/souka/nise10.html
恐縮ですが、この種のサイトは昔からアクセスしているので、残念ながらカビ臭い話としてしか映りません。
先ず、「51 御法主上人以外の人が御本尊を書写したという例はありますか。」に「宗門七百年の歴史において、御法主上人以外の僧侶が、たとえ高徳、博学、能筆の方であろうとも、御本尊を書写したということはありません。」はウソ。
七百年の歴史においては平僧や所化ですら本尊書写、模刻をしているし、脇書きを削除したり、加筆したり、時の管長の允可や開眼の無い本尊や書写者不明の本尊は宗内に数多有ります。
故に、前回引用した「祖道の恢復と真の正信確立の為に」の中には、
「宗門中古より大聖人、日興上人、日寛上人の御本尊の模刻、模写のものも多く、時の法主尚かつそれを認めて御開眼の供養をされているもの多し。まして学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来本尊の摺形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。
化儀抄の『末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云々』の許容のまま御守り、御形木御本尊を図せし証拠、東北四国等にも残っておる。
むしろ御本尊授与の御法主の大権が確立され宗門の綱紀統制されしは、創価学会の全国的な折伏による宗門側の対応の成果にあらずや。」 (13頁)
更には「宗門中古より、御本尊模刻し末寺に安置せる例多し、大聖人、日興上人寛尊等の偽筆御本尊も宗内に散見せり、一度時の法主時勢を鑑み下化衆生の為に、御開眼される上は御本尊としてまつりし事、例多し、是を破すれば現今御形木本尊のすべてが偽作となる事」(28頁)とあるのですから、何をか況やです。
> 記録にある『「そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっておけ』云云
この表記は幾らでも都合よく解釈出来、著しく客観性に欠けています。
「記録」を見る事は不可能でしょう。つまり、第三者が見て公正に判断出来る様な文書や写真が無いので、「文証」が無いのと等しいと思いますが如何ですか?
> 「学会本部常住御本尊」は追認され、御開眼がなされたのであって、他の模刻本尊を拝まれたという史実は知りません。
> これは貴殿の勘違いか願望ではないですか?
こちらの板で再会致した折、「あれから勉強された」とのお言葉ですが、残念ながら宗門サイドの一方的な情報のみを勉強された様ですね。
この様な投稿をされる場合は、事実確認が大事なのではないですか?
> 模刻本尊に関する質問の件 投稿者:戸田門下生 投稿日:2014年11月21日(金)18時14分28秒
> (前略)そこで学会は、昭和52年11月7日に創価学会創立47周年記念法要を執行することにして、日達上人の御出ましをお願いし、日達上人はやむなく御承諾遊ばされて、記念法要の大導師、また模刻本尊の開眼をなされたのだそうです。(以下略)
先ずは、正しい歴史を学ぶ事から始められる事をお勧め致します。
日達管長が他の模刻御本尊を拝んだ事実は「1977(昭和五十二)年11月10日付の聖教新聞」にあります。
当然ながら、この頃は御本尊模刻問題など起こっていません。問題になり始めたのは翌78年6月頃からです。
「創価学会創立四十七周年を記念する慶祝法要が九日、総本山より御法主日達上人猊下をお迎え申し上げ、信濃町の学会本部で厳粛に営まれた。」に始まる長文の記事なので、要約します。
この法要の参加者は、宗門から日達管長、早瀬総監、阿部教学部長、吉田渉外部長、藤本庶務部長、早瀬(義孔)主任理事、光久理事をはじめとする役僧達(役職はいずれも当時)。
学会側からは池田会長、北条理事長、副会長、全国幹部の代表である(役職はいずれも当時)。
日達管長の導師で読経・唱題が行われたのは、正午前に「正本堂記念御本尊」(昭和50年10月23日に早瀬総監の導師で入仏法要済)。
その後、師弟会館安置の「学会本部常住御本尊」(同)。ここで日達管長からの説法と池田会長の挨拶が有った。
次に場所を広宣会館に移動して「創価学会文化会館安置の御本尊」(昭和50年11月17日に早瀬総監の導師で入仏法要済)で読経・唱題。
更に、場所を信濃町から隣駅の千駄ヶ谷にあった「日蓮正宗国際センター」(現在、創価国際友好会館)で読経・唱題。その後再び信濃町の聖教新聞社本社に戻りで読経・唱題して、慶祝法要を終わらせた。
この行動を見て分かる事は、創立47周年記念行事としては極めて異例な行事であり、慌しい事が分かります。
通常の慶祝法要ならば、一会場で終わらせます。学会幹部を移動させて、日達管長に目通りすることはあっても、宗門の役僧を移動させることは、当時の両者の関係から有り得ません。
これは今の宗門でも同じではないでしょうか?
つまり、一連の行動には、日蓮正宗の最高責任者自らが移動してまで行う重要な法要があったと考えるのが自然ではないか?-と個人的には考えています。
特に、模刻された板御本尊の中に、アメリカ本部とヨーロッパ本部安置の御本尊が有った事と国際センターでの法要がヒントになるかな?-と考えています。
ともあれ、創価学会からは公式な発表がないので、この話はここまでです。
ただ、板御本尊を少なくとも3体、日達管長以下阿部日顕氏、能化の面々が拝んだ事は紛れもない事実。
更に、昭和50年に謹刻された板御本尊が、「学会が許可なく勝手に模刻した」等と宗内で問題にしたのは2年半以上も経過しての事。
計画的な謀略が有ったと考える方が自然でしょう。
※【昭和49年4月に完成していた模刻本尊】
確かに、「模刻本尊のほぞに『昭和四十九年四月 朝陽』とハッキリと刻まれています。」が、この板御本尊は、学会本部常住御本尊ではなく、日達管長から池田会長に昭和四十九年一月二日授与された、「賞本門事戒壇正本堂建立」という脇書きのある所謂「正本堂記念御本尊」なのです。
学会側の説明によると、この御本尊の模刻は、昭和四十九年一月十日に学会本部で開催された宗門と学会の連絡会議がおこなわれた際に、日達管長の許可申請がなされ、翌十一日に早瀬総監から「御本尊に関することは、一応申し上げました」と返事が来た、とあります。
この説明は学会内部資料なので、私はこの目で確認をしていませんが。
同様に学会内部資料では、本部常住御本尊の申請は同年九月の連絡会議に行われた、と説明されているので、信頼性は高いでしょう。
「法蔵」等の反創価学会サイトではこの御本尊を「学会本部常住御本尊(日昇管長書写)」と誤解して投稿し、未だにその誤りを訂正しないのですから(管理人も管理放棄しているのでしょうか?)、笑い話でしかありません。
> 当初の正信覚醒運動自体は、日達上人の命によって行われたので謗法でも何でもない。
これも違いますね。当時の運動の中心は得度した元学会員の坊さんやその寺の檀徒でした。得度した坊さんたちは、宗門の超閉鎖的な階級社会と僧俗差別主義の人事制度に驚愕し、呻吟し、功績争いにあえいでいました。
彼等の功名心に付け込んだのが学会の顧問弁護士だった山崎正友。正信覚醒運動は山崎の意のままに推進され、日達管長まで巻き込まれて行きました。
現在の宗門では、時の管長への絶対の信が根本なので、面従腹背の坊さんが多い事でしょう。時の管長を追い落とし、前代未聞の管長選挙等驚きですね。
> そもそも、この件が謗法との御認識であるなら、わざわざ日亨上人がここに記載されることもないし、謗法ならハッキリこの件を謗法と仰せになるでしょう。
時の管長の許可も無く、勝手に写真石版し、しかも一機一縁の紫宸殿御本尊を下付する。
明治時代ですら、御本尊に対する意識の統一がなされていなかった一例ですね。
> まさに学会は、日亨上人が想像もしなかった大謗法をやってしまったと思いますがいかがでしょうか?
宗門が学会を破門にした以上、元々別々の宗教法人ですから、何ら問題はないですね。
日亨上人にしてみれば、折伏弘教もせず、肉食妻帯して庶民感覚から離れた贅沢三昧の生活をしている坊さんを「自分はいまの状態は一時の変体と見ておる」と喝破されているのですから。
まして、脱会運動の手段として御本尊下付停止を行っていたのですから、大聖人に違背する行為でしかありません。
> さらに当該本尊は、勝手に授与書きを削除した上、主題の筆跡も改変している。つまり"日寛上人の曼荼羅を模写したもの"でさえありません。
大謗法だとは思いませんか?
全く思いません。宗門が学会授与の御本尊に難癖付ける際、出所不明の部分写真が有ります。この写真が浄圓寺格護の「日寛上人書写の御本尊」である証拠が必要です。
今のIT技術を駆使すれば、写真の変造など簡単に出来ますから。難癖をつけるならば、いつ、誰が撮影したのか?写真全体が明らかにならなければ、証拠としての価値は低いですね。
また、宗門の歴史を学べば、脇書き削除や加筆された本尊など数多有ります。勿論上述した通り、書写者不明の本尊すらあります。
第二次宗門事件勃発後、学会が寄進した寺院に安置されている御本尊から脇書きを削除した事例もありますね。
これらを踏まえた上での質問でしょうか?
また、学会草創期に下付されていた日寛上人の御本尊も、脇書きは削除されていた上、削除ミスと思われる部分が有りましたました。
> なんで「紫宸殿御本尊」なのかと聞かれても、そんなことは私が知るよしもありません。(苦笑)
その理由を研究する事も大事だと思いますが如何?
> 宗制宗規のどこに抵触し、貴殿は謗法に該当すると思われるのでしょうか?
勉強不足ですね。「学会授与の日寛上人書写の御本尊は、一機一縁の御本尊で力用がない」等と文句付けて来たのは宗門ですが。
自分の所属する宗教団体の宗規ぐらい覚えておいた方がいいですよ。
「第三条 本宗は、宗祖所顕の本門戒壇の大漫茶羅を帰命依止の本尊とする。」
紫宸殿の御本尊は、市井の庶民が拝する本門戒壇の大漫茶羅でしょうか?
残念ながら、宗門の歴史を客観的に学んでいらっしゃらない様子ですので、富士宗学要集を真剣に学ばれる事をお勧めします。
こちらでの論議は、他の方の迷惑になるようなので、当方の反応も遅くなります事ご容赦願います。
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