Twitterでは社畜ネタが爆散し、はてなではそれをまとめた記事が人気エントリ化し話題となった
彼女はKONAMIによる「ひなビタ♪」というコンテンツに登場するキャラクターで、元々音ゲーユーザーには有名なキャラである。
「廃れてしまった地元商店街の再興のために少女たちがガールズバンドを組む」といったストーリーを背景としたWeb連動企画であり
FacebookやYoutube等でラジオドラマなどのコンテンツが配信され、楽曲等もリリースされている。
わかりやすい例えで言うとけいおん+ラブライブといったところで
架空キャラクターによる音楽バンドという点では初音ミクやGorillazなんかも当てはまるかもしれない。
企画、楽曲制作等にKONAMIの音ゲーの制作に関わってるTOMOSUKE氏が関わっており、
BEMANI等の音ゲーにも楽曲が配信されているということで音ゲーユーザーを中心に人気のあるコンテンツだ。
この「ひなビタ♪」に登場する「芽兎めう」だが「ひなビタ♪」の個性的なメンツの中でもインパクトが強く人気も高い。
そのポップでロリな見た目、語尾の「めう」、ネットスラングを多用した喋り。
双葉杏等、癖のあるロリキャラに定評のある中の人のCVも相まって初見の人間には強い印象を残してくる。
中でも「めうめうぺったんたん」の登場は衝撃的だった。
事件と言ってもいい。
性的なメタファーを含んだ歌詞にDTM以降の高速に打ち込まれたポップな楽曲。中の人よる舌足らずロリボイス。
IOSYSのARMが作曲、夕野ヨシミが作詞を担当したこの曲はいわゆる電波ソングと呼ばれるジャンルで
その手のジャンルには事欠かない音ゲー楽曲の中でも突出して電波度が高く、中毒性も高い。
こういった彼女のキャラクターの強烈さは音ゲーユーザー内でも人気を確立し、「ひなビタ」全体の人気を牽引するキャラの一人となった。
そのキャラクターの強烈さと人気故に彼女の「ネタ」化は不可避であった
最近やたらバズってる彼女の「ネタ」化は「社畜キャラ」であるが
「芽兎めう」と検索して出てくるのは「社畜」の他に「焼きごて」「池沼」「腹パン」等である。
「焼きごて」とは彼女がはんこ屋の娘であるという設定を元にした虐待ネタであり「池沼」は知的障害者の事を指すネットスラングであり、「腹パン」とは腹にパンチする(したい)という意味である。
これらのネタを定着させたのはおそらく「焼きごて」は音ゲー板の「芽兎めうに焼きごてをあてるスレ」、「池沼」はTwitterの「虐待されすぎて池沼と化しためうめうbot」の影響だろう。
現在の「社畜」扱いといい、こういった「不謹慎なネタ」として消費されるのは彼女の常であった。
なぜ彼女はこのような不幸な扱いをされなくてはならないのか?
もちろん原作での彼女は明るく活発で元気な少女であり、学校の成績もよく特に不幸なストーリを持ってるわけでもない。
一つには一部のそういったネタを好むユーザーによるネタの拡散があるだろう
こういったキャラを「不謹慎なネタ」として消費することは二次創作界隈ではよくあることであり、特に2ちゃんねるやふたば☆ちゃんねる等、匿名のネット上では昔からよく見られていた。
東方プロジェクトのキャラをクリーチャー化させたゆっくりの虐待やローゼンメイデンの翠星石をクリーチャー化した実装石の虐待、またひだまりスケッチのゆのっちスレのような「腹パン」ネタなんかもそうだろう。
「芽兎めうに焼きごてをあてるスレ」や「虐待されすぎて池沼と化しためうめうbot」といった「不謹慎なネタ」としての消費のされ方はそういった匿名二次創作の歴史の延長線上にあるように思える。
また、彼女の徹底した「記号化」されたキャラクターもこういった「ネタ」や「ミーム」と化した原因であろう。
「記号化」されたキャラクターというのもキャラクター論では月並みな表現かもしれないが、彼女のキャラクターの「徹底した記号性」というのは特筆すべきだと思う。
語尾の「めう」もそうだが、ローティーンスタイルのファッションにピンクの髪、ウサ耳のついたヘッドホン、ネットスラングを多用するアキバ系のオタクであり高レベルな音ゲーマー。
この極端とも言えるポップに描かれたキャラクター性は「ネタ」や「ミーム」的な消費のされやすさの一因であろう。
大塚英志は手塚治虫の「勝利の日まで」に出てくるキャラクターがミッキーマウスのような「記号的なキャラクター」でありながら「血を流し傷つく身体」を描いた事に日本の戦後漫画に影響を与えた特筆すべき点だと述べていた。
トムとジェリーのようなカートゥーンを想像して貰えればわかると思うが、戦前のアメリカのカートゥーンと言うのは、例えば、殴られとしても目を回し星を散らすだけで、そこには「死」を連想させる「身体性」を持っていない
しかしながら17歳の手塚治虫は「勝利の日まで」という漫画においてディズニーに影響された「記号的なキャラクター」でありながら機関銃に打たれ血を流すという「身体性」を持ったキャラクターを描き、大塚はそこに手塚の特異な点を見ていた。
「芽兎めう」を始めとしたの「徹底した記号性」のキャラクターに対するこういった「不謹慎なネタ」による消費のされ方も「記号的なキャラクター」に対する「死」を描いた手塚治虫と何か共通する点が有るように思える。
もちろんの芽兎めうに対する「不謹慎なネタ」と言うのは匿名のネット特有の悪趣味な悪ノリではある。
しかし、彼らの「不謹慎なネタ」と言うのは、身体性を持たない徹底して記号的キャラクターに対して「殴られたら傷つく身体」や「過労や虐待で病んでしまう精神」といった当たり前な人間性を二次創作で補完するという行為は、
「勝利の日まで」でディズニーの「記号的なキャラクター」の「死」描いた17歳の手塚治虫とは全く別のものであるとは言い切れない、何か「普遍的な欲望」を感じずにいられない。
そういった人間の「普遍的な欲望」を引き出す事において「芽兎めう」のあまりに極端な消費のされ方はこれまでキャラクターと一線を画する特異な存在なのかもしれない。
本来の設定が削げ落ち「めう」という二文字だけ残った情報の残骸、いわば形骸化したミーム然としたものがネット特有のヒットライダー現象で拡がり変異と成長を繰り返しているのをみていると
まるでこのたった4バイトの文字情報が極めて強い生存意識をネットワーク上で持っていて、宿主の認知心理を利用して利己的遺伝子のように振る舞っているかのようにも思えたりするから、言葉の力って凄いと思ったり。
TOMOSUKE氏が自身が原案を手がけた「芽兎めう」というキャラクターの「不謹慎なネタ」に対し肯定しているわけではないのだと思う。
しかし今の「芽兎めう」受け入れられ方にに対し何か広い可能性を見ているようにも取れる。
今後、「芽兎めう」がネット上の「ミーム」として漂いどういった消費をされるのかわからない。
もちろんそこには「不謹慎なネタ」的としての消費も含まれるであろう。
しかし、「芽兎めう」というキャラクターが何か大きな可能性に開けている事は確かなのかもしれない。
とにかく「芽兎めう」というキャラクターは凄いということだ。