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【開目抄の指導原理について】1/31

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2014年12月26日(金)10時39分54秒
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  一つの信仰に踏み切るには、直接の動機や、
そこに至るまでの数々の要因というものが誰においても考えられます。

創価教育学会初代会長・牧口先生は、教材のセールスマンの会話をきっかけに、
日蓮正宗の末寺・常在寺の大石講の幹部であった三谷素啓(みたに そけい)を知り、
日蓮仏法への眼を開かれました。

三谷は昭和四年十一月七日に弾正社刊から「立正安国論精釈」という著書を出しています。

牧口先生と三谷の一対一の対話は、三谷の立正安国論講義を中心に、
宗教論、社会改造論等、十日間も続いたといいます。

その対話で、厳格な実証主義的な生き方を貫いてきた、
牧口先生の心をとらえて、離さなかったのは二つあると思います。

一つは、釈尊が説いた滅後の仏法変遷の予言が、日蓮大聖人によって実証されたということ。

二つ目は、日蓮大聖人が明かした「立正安国論」についてです。

正法に基づく人間の変革を中心に、社会変革や国土の繁栄を実現していくという
変革のあり方は、教育改造による新しい人間の輩出をバネに、
社会の改造を志向していた牧口先生の意図よりも、より根源的なものだったからです。

仏法が決して人生の実生活と無意味なものではなく、むしろ万人を幸福にしていくものであり、
釈尊と日蓮大聖人の関係が、二千年の時を越えた必然的因果関係として、
納得できたからこそ、牧口先生の心が「信仰してみよう」という方向に動いたといえるでしょう。

大聖人の生き方は、現実から逃避したり、現実に埋没するような態度ではなく、
あくまでも現実を直視し、その現実の苦悩をどう創造的に変革していくかというところに、
その基本姿勢があります。

長年、学校教育の現場にあった牧口先生は、
一部の権力者の横暴によって「子供の幸福」を第一義におくべき学校教育の場が、
踏みにじられることに強烈なまでの信念をもって抵抗してきました。
 
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