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大聖人は、五箇の鳳詔を述べた後、続いて勧持品の「二十行の偈」を考察していきました。
そしてそこに登場する「三類の強敵」との戦いを勝ち抜いた日蓮こそが、
法華経の行者なのだと結論づけていきました。
この五箇の鳳詔の二品(見宝塔品・提婆達多品)は「師匠の勅命」であり、勧持品は「弟子の誓い」ともいえます。
勧持品を考察する冒頭で、大聖人は「竜口の法難」の意義を表明します。
では本文です。
「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。
此れは魂魄・佐土の国にいたりて、返年の二月、雪中にしるして有縁の弟子へをくれば、
をそろしくて、をそろしからず、みん人いかにをぢぬらむ」(二二三頁)
――日蓮と名乗った者は、去年の九月十二日(竜口の法難)深夜、子丑の時に首をはねられた。
これは、魂魄が佐渡の国に至って、明けて二月、雪の中で開目抄を記し、縁ある弟子に送るのであるから、
ここに明かす勧持品に説かれる難は恐ろしいようであるが、真の法華経の行者にとっては恐ろしいものではない。
しかし、これをわからず経文を見る人は、どれほどおじけづくだろうか――というものです。
ここで「首をはねられた」と表現していますが、
実際に大聖人は首をはねられたわけではありません。
権力者は大聖人の首を斬ろうとしましたが、結果として斬ることができなかったのです。
ここは非常に重要なところなので、もう少し話しを続けます。
自分の命が奪われる「処刑場」という恐怖の極限の中で、
大聖人がもっとも重視したことは、
たとえわが身が殺されようとも、日蓮のつかんだ「正義」は手放さない、
絶対に民衆を救済するという「誓い」だけは手放さないという信念です。
「大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用いじとなり」(二三二頁)という一念です。
まさに、勧持品に説かれる三類の強敵を打ち破った境地を示されたところです。
その境地に立って竜口の法難以降、広宣流布の指揮を取られていくのです。
これが日蓮大聖人の発迹顕本です。
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