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仏のグリグリのとこ さん
>私たちに置き換えてみれば、
>「夫が信心しない」「子供が信心しない」「自分の問題に向き合うのは辛い」――
>だから学会活動だけに専念してがんばろう。
>そうすれば、それらに向き合わなくても、
>いつかは解決しているだろうという「逃避」の一念です。
いつも勉強させてもらっています、ありがとう、本当に仰る通り。
現実は家庭の問題、経済的な問題など火の車みたいな状況なのに、足元をあえて見ず
祈りもなく、馬車馬のように支援活動しても、それは単なる選挙屋であり終わった後は疲れしか残らない。
SP啓蒙も同じ。活動家自身の申し込みカードを三カ月毎に提出し、成果部数ポイント啓蒙人口を偽ってでも出せ!
そう指示している幹部も事実存在しているし。
俺は常日頃から言っちゃっている
「そんなことは必要ない!題目をあげて師の正義を語り抜いていこう!」
そのおかげで○地後には、役職交替の噂がチラホラ 望むところだが (笑)
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