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創価学会は一体誰のものか
私は「誰のものでもない(すべての人のもの)」と考えます
故に、いかなる立場や境遇の人の意見にも、真摯に耳を傾けていくことが大事であり、それが人間主義であると思っています
意見を言うこと自体が条件付きであるなら、それは差別主義にも通じてしまいます
幹部だから意見が言えて、役職がなければ言えない
活動家なら意見が言えて、未活動家であれば、意見を言う資格がないと
「幹部が上、会員が下」「活動家が上、未活動家が下」
これをピラミッド社会といい、学会は逆ピラミッドと聞いていますが私の勘違いか
もしも幹部が会員に対して「やってから言え」などと思っていたとしたら、傲慢極まりなく、話をする価値すらありません。
では現実にどこまで学会活動をすれば、幹部や組織に意見を言える段階なのか
私個人の話をするならば、座談会一つとっても、出席どころか、司会・企画・会場の空気作り等、全部やっています。これは1、2回の話ではなく、100回以上です。
人材育成においても、何百回と御書の講義をし、多くの後輩を育成してきています
折伏も何十人とする中で、御本尊流布もいくつかしておりますし、孫折も決まっています
会合運営、役員、種々の人材グループにも所属し、選挙においては遊説隊も含め、活動という活動はほとんど経験済みです
年間100万遍以上の題目を唱え、内外問わず、できる限り激励をし、活動も人並み以上にやってきた自負はあります
ではそれで足りるのかと問われれば、私は足りているとは思いません
学会活動というのはどれだけやっても足りないものであると認識しています
そう考えているので、学会活動が足りていない私には、意見を言う資格はありませんね
やっていなければ意見が言えないというのは、単純に「説得力」の問題に関わることなのだと思います。
だけど、幹部の姿勢としては、やっているやっていないに関わらず、意見そのものに注目することが大事ではないか。
誰が言っているかを問題にするのは、ただの感情でしかありません。
まあ、今の学会が人間主義かといえば、そうとは言い切れないので、幹部をうならせるくらい結果を出さないと発言権すらないのが実情かもしれません。
日本人の根底には「働かず者食うべからず」が根付いていますので、いろいろ難しいと思います。
だけど21世紀にはもう一歩深い思想が必要です
残念ながら、「やってから言え」は浅いと言わざるを得ない
20世紀までは何とか通用した一種のパワープレイの理論です
やっている人間からしたら、やっていない人間がとやかく言うことは勘にさわり、腹が立つことは十分理解できます。
しかし、21世紀はその「感情」の次元では対処できない時代であり、現実に問題を解決することもできないのです。
とくに人の上に立つ人間が、前時代的な感性であったのなら、それが人々のモヤモヤを助長し、やる気を奪っていく存在となってしまうのです。
新しい時代を切り開くには、自分自身の思考もリニューアルしていかなければならない
変化に対応できなければ滅びるだけであり、変化のスピードが極めて速い時代こそが21世紀なのです。
「若造の評論家」の生意気発言、失礼しました
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