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では本文です。
「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん。
濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん等云云」(二二四頁)
――濁った世の悪僧は、法華経以外の教えが、仏の方便の教えであり、
機根に合わせた教えであることを知らないで、私たちを悪しざまにののしり、
顔をしかめるでしょう。そして、私たちはたびたび追放されるでしょう――と。
この「数数擯出」について、大聖人は
「日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん。
此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや」(二〇二頁)と断言されました。
大聖人以外に、この経文を身読された人はいないということです。
「度度ながされ」というのは、権力者によって受けた
「伊豆流罪」と「佐渡流罪」の迫害のことをいいます。
現代においては、牧口先生も日蓮正宗法主の謗法容認の命令に逆らい、
大聖人の正義を守るために、戸田先生と共に権力者によって逮捕され、
二年余りに及ぶ獄中生活を耐え抜きました。
その中で、牧口先生は獄死(殉教)――。
生きて獄門を出た戸田先生は、新たな創価学会を再建し、
内外の迫害に耐えながら、民衆に大聖人の正義を説いていきました。
その愛弟子である池田先生もまた、無実の罪で牢獄に入り、
時の学会執行部の裏切で会長辞任を余儀なくされました。
さらに日蓮正宗に誠心誠意、尽くし抜いた宗門からも、池田先生と全学会員が破門されました。
勧持品には、「数数擯出」の後に「塔寺を遠離せん」とあります。
つまり寺を破門されるということです。
「二十行の偈」は、大聖人こそ真の「法華経の行者」であり、
創価学会こそが真の法華経を行じている宗教団体であることを証明する経文なのです。
その正義の団体である創価学会に、もしも僣聖増上慢が現れたならば、その選択は一つです。
それは創価三代の正義を捨てるか、僣聖増上慢を捨てるかです。
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