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自分の心の中にある己心の一凶と、社会に巣くう一凶との闘争こそが、
千万の祈りを修するよりも勝るものはないのです。
さらに主人は、続けてこう訴えます。
「悲いかな、数十年の間、百千万の人、魔縁に蕩かされて、多く仏教に迷えり。
傍を好んで正を忘る、善神怒を為さざらんや。
円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。
如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには」(二四頁)
――悲しいことには、数十年の間に、百千万の人が法然の魔縁に揺り動かされて、
多くの仏法に迷ってしまった。
目の前の念仏を好んで、正の法華を捨てるならば、
どうして善神が怒らないわけがあろうか。
円教である法華経を捨てて、偏頗な念仏を好んで、
どうして悪鬼が便りを得ないでいようか。
災難を根絶するには、そのような千万の祈りを修するよりは、
この一凶である法然の謗法を退治しなければならないのである――と。
「彼の万祈」とは、
立正安国論の冒頭に客が述べた、
「天災・地変を終息させようと、日本全国上下をあげて、
さまざまな宗教によって祈願をしている」ということです。
これを学会に置き換えて考えてみれば、
「悲しいことに、先生が表に出られなくなってからというもの、
多くの幹部が官僚主義・形式主義に陥り、
会員は不満を持っていながらそれと戦おうともしない。
また、何のために信心をしているのか、何のために学会活動しているのか分からず、
悶々としている人は少なくない。
自分の所属している組織が官僚的になっているのに、
それを良しとし、先生の言われる人間主義の思想を捨てて、
偏頗な形式的会合を好んでいて、どうして幹部や会員の思想が狂わないことがあろうか。
自然災害を根絶するには、中身のない上面の体裁だけの安泰を祈ることより、
学会に巣くう師子身中の虫を退治する『破邪顕正』の戦いのほうが大事なのだ」となるでしょうか。
「如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには」――。
この言葉は、三災七難の元凶は、
法然の邪義(師匠の哲学を捨て官僚主義にしてしまった思想)にあり、
これと戦うことが災難退治の要諦であるとの日蓮大聖人の大師子吼なのです。
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