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大聖人ご在世当時、日本は一国をあげて念仏思想に毒されていました。
そんな中、大聖人がこのように師子吼されるということは、
大迫害の嵐が吹き荒れることは火を見るより明らかだったのです。
にも関わらず、それを厳然と叫び、巨大な権力を諌める大聖人の大確信は、
法華経の行者の自覚と、民衆を救わんとする大慈悲がなければ、とても言えないことです。
事実、これを叫んだがために、念仏のテロ集団によって松葉ヶ谷の草庵を破壊され、
権力者は伊豆へ流罪し、さらにその後も、小松原の法難、
竜口の頸の座、佐渡流罪等の大難に遭われました。
その大難のすべての淵源は、この師子吼にあったのです。
しかし、大聖人は一歩も退かれなかった。
大聖人の教えを聞かなければ、国が滅び、
民衆は未来永劫に地獄の炎にむせぶことになる。
それを救うために、大聖人は自らの生命を投げ出されたのです。
前回の【立正安国論の指導原理について】の中で、
仏宝とは「主師親の三徳を備えた仏」と述べました。
――如かず、彼の万祈を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには――
という、この師子吼の一句に、
主師親の三徳を具備された日蓮大聖人の仏界の境涯が現れているのです。
民衆を幸せにするのは、自分以外にないとの強い責任感は「主の徳」、
邪法の迷いから目覚めさせ、正道を教えんとの偉大なる智慧は「師の徳」、
全民衆をわが子の如くあわれみ、
それを救うために身命を投げ出される大慈悲は「親の徳」です。
この主師親の三徳を生命に輝かせ、
民衆一人一人に、その涌出の方途を教えている根源の大師匠――
それが日蓮大聖人であり、創価三代の師匠なのです。
その弟子であるというなら、
御書根本、池田先生根本に生き、師弟不二の生涯を歩むべきです。
日蓮大聖人のご生涯は終始一貫、破邪顕正の生涯でした。
法然をはじめとする数々の邪義に毒された民衆を、
根底から救いきるとの確信に立たれた一生でした。
その一生は、民衆を不幸に陥れる邪宗、邪義、邪智との一瞬の休みも無き闘争だったのです。
その「破邪顕正の信心」こそ、創価三代の一貫して変わらない根本精神でした。
私たち会員は、その三代の精神を継承するために、
もう一度、新たな決意に立って、足元を検証する責任があります。
その戦いは、権力を用いるのではなく、
正義に目覚めた会員の「英知と理性」が、必ず魔の働きを禁じられると確信するからです。
最後に、
「世界広布新時代・開幕の年」が明けた本年(平成二十六年)一月一日元旦、
創価新報に掲載された池田先生の歌を記して終わります。
広宣の 一番星と 勝ち光れ
普賢の英知で 未来を照らせや
― 完 ―
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