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2005.5.7SP
〔5・3記念〕最高協議会での池田名誉会長のスピーチ から
リーダーの奥底の一念が「学会のため」「会員のため」なのか、結局は「自分中心」なのか。この一念の差で、前進か後退かが決してしまう。
広布のリーダーは「創価学会は私が守る」と決めることだ。そして、その責任感の上に、「異体同心」で進むことである。
一、日蓮大聖人は仰せである。
「(第六天の魔王自身が邪魔をしてきても)諸天善神等は日蓮に力を合わせてくださったゆえに、竜の口の法難さえも勝つことができた。
そのほかの大難をも切り抜けることができた。今は魔王も、こりていることであろう」(御書843ページ、通解)
仏法は勝負である。
広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いである。その大闘争を、魔王さえもこりるほどの強さと執念をもって勝ち抜いていくよう、大聖人は教えておられる。
わが創価学会は、法華経と御書に説かれる通りの大きな難を受けてきた。
特に「言論問題」「第1次宗門事件」「第2次宗門事件」など、10年ごとに「三類の強敵」の迫害を乗り越え、勝ち越えながら、この5月3日を迎えてきたことは、ご存じの通りである。
そして、創立75周年の今年は、ありとあらゆる広宣流布の戦いに、「全面勝利」の晴れやかな実証を示し切っての5月3日となった。
この学会の威風堂々たる前進に、日本の各界が注目し、驚嘆している。私のもとに、そういう声が数多く寄せられてくる。
これもひとえに、諸天善神であり、菩薩であり、仏にも等しい学会員の皆さま方が、仏意仏勅の創価学会に「力を合わせて」、勇敢に、忍耐強く戦い抜い
てくださったおかげである。
正法の敵と戦った人、まっすぐに自分自身の責任を果たし抜いた人は仏となり、三世にわたって、王者の境涯を得る。戦わなければ、仏にはなれない。仏法は厳しい。
人間、だれが偉いのか。
「広宣流布のために戦った人」が偉いのである。
なかんずく、婦人部の皆さま方の奮闘は、あまりにも偉大である
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